25 視察
毎朝、起きてすぐ、恒温室に向かう。室温を確認し、卵を撫で、声をかける。それから、日課の散歩に出かけ、トレーニングを済ませると、食事の前にもう一度、恒温室と卵の確認。
常に目の届く所に卵は置かれているのだが、頻回に様子を見に行くカグヤ姫に、テイは苦笑を隠せない。
「孵化するまでまだまだ、時間はかかりますよ。」
ガウェインもそう言うのだが、念願の自分だけの伝書鳥に今、アーサーは舞い上がっている。
肩に子猫を乗せ、その頭を指先で撫でながら、カグヤ姫は唇を尖らせる。
「もし、知らない間に孵化して、最初に他の者を見てしまったら、嫌だ。」
恒温室はカグヤ姫の王女宮内に置かれているから、無断で入室する者はいない。立ち入りを許可されているのは姫の側近とブリターニ王国の二人の飼育員だけで、孵化しそうなら、間違いなくカグヤ姫を呼ぶ。
初めて見たものを親と思う、と言われていても、それ程強い刷り込みがされる訳でも無く、その後の餌付けや世話、親愛を高める事で、十分に意思疎通が可能になる、とガウェインは教える。
企業秘密の雛用の餌を団子状に丸めながら、そう言う青年の横で、アーサーは水替えを手伝っている。まだまだ横幅のあるカグヤ姫の体が動くので、飼育舎の水屋の圧迫感は半端ない。そのせいで、テイたち侍女は水屋の外でハラハラしながら、様子を窺っているのだ。
交通・交易省の建物に隣接する飼育舎は、鳥たちを放つために、高い尖塔を持っている。鳥たちの訓練・散歩用にその最上階は、四方に窓を切っており、今、アーサーたちがいるのは、そのすぐ下の階だ。この高さまで塔の狭い階段を上がっていくのは一苦労だが、体力強化とダイエットの為に、カグヤ姫は、ぜーはぜーは言いながらも、毎日通っている。
そんな尖塔の最上階に鳥たちの餌や水を運ぶのは重労働だ。その為、滑車を使って、釣瓶から水をくみ上げるように台車に積んで、必要物資の運搬をしている。
「これは、何とかならないのか?」
侍女たちが悲鳴を上げる中、一度、滑車で水を汲み上げる作業をさせてもらったアーサーは、途中で腕力で上げるのを諦め、自らの体重を使って持ち上げた。腹の立つことに、台車は水をまき散らすほどの勢いで急上昇し、滑車に激突した。
「餌やりや掃除、そう言う事を考えると、低い所の方が良いんですけれど、鳥たちの生態を考えるとね。」
台車から水瓶を降ろしながら、ガウェインが言う。「親父殿に言わせるとこれも修行、らしいです。」
零れてしまったため、溜め置き用の水瓶にはまだまだ余裕がある。次の水を上げてもらうべく、台車を下ろす。
「余計な労力だと思う。」「同感。」
二人は、ははっと笑いあった。
「今、ブリターニ王国にはあの万能の天才レオ・ラヴィン老師が滞在しているから、何か考えてもらえるよう頼んでみるよ。これは、ここだけの問題じゃないんだろ?」
この伝書鳥事業は、当初、アーサーが気軽にカグヤと連絡が取りたい、と言う、簡単な望みから始まったが、もはや、ブリターニとゲッショウ二国間のみならず、ロマーニャ連合を含めた巨大な通信網の構築、となっている。その基点となる飼育舎の使い勝手の改善は、事業にとっても重要だ。
そんな話をして10日あまり、そろそろ、アーサーの育てている卵が孵化するか、と言う頃に、資材と設計図と共に、ブリターニ王国から職人が到着した。鳥たちの飛行の邪魔にならないよう工夫された運搬システムは流石、万能の天才と周囲を唸らせるものだった。勿論、そのシステムも伝書鳥事業の技術の一つとして組み込まれ、レオ・ラヴィンとブリターニ王国に発明特許権が与えられ、それを口実に、アーサーはカグヤ姫の名で、また、いくばくかの支援を母国に送っている。
『それにしても』
と、アーサーは思う。カグヤ姫の持つ権力・財力は、貧乏王国ブリターニのアーサー王子とは桁違いだ。『勿体ないなぁ。』
アーサーがカグヤ姫の立場であったなら・・・。
そう考えて、頭をブンブンと振る。12歳の今、入れ替わったから、そう思えるのだ。生まれた時から、この環境だったなら、これが当たり前なら、どんなに恵まれていようと、その事に気付きはしないのだろう。
ブリターニ王国から届けられたもう一つの贈り物をぎゅっと抱きしめて、アーサーは、偽のカグヤ姫として、どこまで許されるのかを考える。
「え、視察、ですか?」
ある日の朝、出勤したトーマス・キッカンシャー交通・交易省次官は、一枚の紙を渡されて呆然と立ち尽くした。
「いつ?え?今日?そんな・・・。」
彼が中心となって進めている伝書鳥事業は、ユーラリナ大陸全土から注目されている。外国の使節は元より、自国であっても事業に関係していない貴族は、事前に申請してから、折り返しの日程連絡をもらった後、視察となる。そのスケジュール調整も、今や、トーマスの仕事だ。
飼育舎に物資運搬システムを取り付ける工事も急遽入った。不特定多数の人間が鳥たちに近づくのは、訓練途中には望ましくない為、工事は、鳥たちを放した日中に突貫工事で行われることになっていた。
そんな中、手の中にある一枚の紙きれで視察が強行されるなど、無礼どころか、妨害工作、と非難されても仕方ない。けれど、それが、第三王女アリエルの要請であれば、一介の下級貴族には、止めるすべは無かった。こんな時、一番力になってくれるトキオ宰相は、現在、グラード帝国との通商条約締結に向けて、草案作りに忙殺されている。
「へー、これが、あの白豚が夢中になっている新しいおもちゃ?」
第二王妃派の上級貴族たちをぞろぞろ引き連れて現れたアリエル第三王女は、出迎えたトーマスとガレス・ショウに向かって開口一番にそう言った。周囲の貴族たちから、クスクスと忍び笑いが漏れる。工事の為に積み上げられたレンガや木材の陰に控える職人に難癖をつけている者もいた。
「鳥に手紙を結んで飛ばすんですってね。そんな事出来る筈ないわ。ちょっと考えたらわかる事よ。やっぱり、あの白豚の頭の中は食べ物で一杯なのね。お父様はあの白豚に甘すぎるわ。お前も大変ね、そんな夢物語に付き合わされて。」
引きこもっていたカグヤ第一王女が、ブリターニ王国のアーサー王子と婚約し、表舞台に現れるようになって、半年以上がたつ。これまで、我儘で贅沢な白豚王女と噂でしか知られていなかったその為人が、全くの出鱈目であった事は、もう周知されている。第一、実現不可能な夢物語であるなら、この伝書鳥事業に各国の注目が集まる筈が無い。
にも拘らず、彼女をそう呼び続ける愚を犯し、自らの無知を曝している事を誰もこの第三王女には教えないのだろうか?
「それに、何、この匂い。臭いわ。」
真っ白な扇を拡げて、王女は顔を歪める。
「鳥たちは生きている。食事をすれば出す物は出す。そんな当たり前の事も知らないのか?」
サクサクと軽い音を立てて、巨大な黒馬を引き現れたのはカグヤ第一王女。トーマスの表情がホッと緩むのを目の当たりにしたアリエルは、バシッと扇を閉じるとそれでカグヤを指差した。
「あ、あなた、どうしてここにいるのよ!」
アリエルの目に映るカグヤは、いつも自分たちから逃れるように巨大な体を丸め、王女宮に引きこもっていた卑屈な目をした白豚だった。まだまだ、でっぷりと太ってはいたが、強い意志を秘めた瞳で堂々とまっすぐに立つ目の前の少女はまるで別人だ。
「カグヤは、」
アーサーは言う。
「今は亡き第一王妃の娘であり、第一王女である。この国でカグヤより、身分の高い者は、国王陛下と第二王妃殿下のみ。そのカグヤの許可も得ず口を開き、あまつさえ、扇で指差すとは、不敬であろう。」
そう言い、周囲を見回す。アリエルの侍女、護衛騎士達は慌てて無言で膝をついた。じーっと見つめると、渋々ながら上級貴族たちも礼をとる。今、この場で、立っているのは、カグヤ姫とアリエル姫のみ。
カグヤ姫を指差す扇がプルプルと震える。アーサーは視線を逸らすことなく、義理の妹を見ている。
ぶるっ、とカグヤ姫の手綱に繋がれた黒馬が、小さく鳴いた。
『いつまでここにいるのか、早く、走りに行こう。』
そう言いたげに首を上下に振る。
「ああ、そうだな、大地の覇者漆黒の風サンダーアロー。」
アリエルから視線を切って、愛しそうに黒い鼻面を撫でたアーサーは、トーマス次官とガレスを見ると、「今日は、工事が入ると聞いていたから、立ち寄っては邪魔になるだろう?また、明日来させてもらう。」
そう言うと、馬の手綱を取って、くるりと向きを変えた。黒馬の頭の上には一羽の鳩、背には真っ白な白猫キャスがくっついている。
「そうそう、この工事の進捗は国益に関わって来る。皆の精勤を期待している。」
アーサーは、資材の影で縮こまっていた職人たちに手を振って、侍女のテイに何か囁いた。彼女は頷いて、手にしていたバスケットをその中の一人に渡す。
「休憩時に皆さまで召し上がってください。」
中にはぎっしりとクッキーが詰まっていた。
振り返ることなく立ち去るカグヤ姫の後を侍女のテイと護衛騎士のオキナが一礼して従う。
職人たちとトーマス、ガレスは更に深く頭を下げて、その姿を見送った。
姫が立ち去った後でほっと緩みかけた緊張感が、パラパラとその場に姿を見せた数人の近衛騎士によって、再び張り詰める。カグヤ姫を陰から護衛していた者達だ。負け惜しみを口にしようとしていた数名が、口をパクパクさせて、黙り込んだ。
「で、では、皆さま、塔の中をご案内致します。」
「帰る!」
気を取り直したトーマス次官が、移動を促すが、アリエル王女は、その場に扇を投げ捨てて、ドレスの裾を翻すと近くに止めていた馬車に戻って行った。共に来た上級貴族たちが右往左往しているうちに、王女を乗せた馬車は出発してしまう。
・・・。
「・・・他の皆様は、如何いたしますか?」
トーマス次官の問いに、貴族たちは気まずげに顔を見合わせて、「こ、工事の邪魔は出来ませんな」「左様、左様。」「では、我らもこの辺りでお暇しようではないか。」そうもごもご口にすると、馬車を追いかけるように消えてしまった。
「早速、助かりましたね。」
大きく息を吐くトーマスの横、ガレスの元に一羽の鳩が舞い降りて来た。その足に先程この場を立ち去ったカグヤ第一王女の黒髪を止めていたレースのリボンが結ばれていた。
尖塔の最上階から事の成り行きを見ていたガウェインが、アーサーに送った救難信号は無事に届いていたようだ。




