24 たかが卵、されど国策
そうして今、カグヤ姫ことアーサーの前に、まん丸の白い、掌にすっぽり収まる大きさの卵が、豪奢な赤色のビロードクッションの上に乗せられている。
「おおーっ。」
謁見室に呼ばれたアーサーは思わず、声を上げた。
カグヤ姫が、交通・交易省に突撃し、ブリターニ王国から派遣されて来たガレス・ショウに、梟の卵をねだり、自分で育てる、と宣言してから、一か月あまり。ようやく手に入れた卵にアーサーの感動もひとしおだ。
「これ、ホントに梟の卵?へぇー、思ったより小さい。でも、へへっ。楽しみ~。どんな子が孵るのかなぁ。」
そおっと、卵の表面を撫でる。カグヤ姫の太い指は、ちょっと力を入れただけで、その殻を突き破ってしまいそうだ。
周囲がハラハラする中、満面の笑みを浮かべる愛娘に、国王はデレデレだ。
「ありがとう、陛下!っと、パパ。大事に育てるね。」
テイがそっと差し出したバスケットの中に、ビロードクッションごと卵をいれる。にゃっ、と白猫のキャスが自分もその中に潜り込んだ。
「お、キャスも卵を温めるの、協力してくれる?こりゃあ、益々、頑張らないとね。」
子猫と卵の入ったバスケットを、さり気なく、また、テイが回収して、カグヤ姫一行は謁見室を出て行った。
残された人々を見回して為政者の顔に戻った国王が言う。
「さて、伝書鳥事業の進捗はどうかね?」
卵の孵化について、アーサーは自室でガウェインに教わっている。
と言っても、暑すぎず、寒すぎず、適温で温め続ける事。この時期にする事はそれしかない。
「本当にご自分でお育てになるのですか?」
恐る恐る、ガウェインがカグヤ姫に尋ねる。
鳥の飼育に関してはガレスとガウェインが教える立場だから、必要以上にへりくだらなくてよい、と何十回も繰り返して、漸く二人は顔を上げて話をするようになった。
気軽に一緒に鳥小屋掃除などもしていたアーサーにとっては、何とももどかしい距離だ。
「はぁ。」
思わず、溜息をつくとガウェインの肩がびくりと揺れる。
また、意味も無く、怖がらせてしまったようだ。
「ああ、すまない。伝書鳥の話を聞いてから、ずっと気になっていたんだ。どうやって、鳥たちに言う事を聞かせているのか。」
犬は、特に猟犬は厳しく躾けられている。一方、猫はどんなに躾けようとしても、自分のやりたい事しかしない。鳥は?どんなに可愛がっていても、籠から飛び出した鳥は、二度と戻って来ない。にも拘らず、伝書鳥たちは必ず、戻って来る。
「それは、秘密です。俺たちの飯の種ですからね。」
「そうだな。・・・・。ガウェイン、ガレスもそうだが、お前たちが、こちらに来てしまって、ブリターニ王国の伝書鳥たちは大丈夫、なのか?」
自分の不用意な一言が、母国の不利益になっていないのか?それが、アーサーの気がかりだ。
「あー、」
ガウェインはガシガシと頭を搔く。柔らかな薄茶のそれこそ鳥の巣の様なふわふわな髪だ。
「よっぽどの事が無い限り、残ってる連中で、何とかなります。姉にも、良い経験になるだろう、って、親父殿が言ってましたし。」
ガウェインの姉・フローレンスは、アーサーの印象にはあまり残っていない。
「お姉さん?がいるのか?」
「ええ、かなり人嫌いで、鳥バカって言うか、鳥と一緒に鳥小屋に住んでるような人で、嫁の貰い手が無くなるって言っても、って、すみません!こんな話、王女様にするような話じゃないですね。」
そう謝罪して、ガウェインは苦笑した。
鳥小屋の端でぴょこぴょこ動く、ガウェインと同じ色の鳥の巣頭をアーサーは思い出して、クスリ、と笑った。
「確か、鳥は生まれて初めて見たものを、親と認識する、のだったか?」
「はっ、はい。あー、つまり、俺たちの秘密の一つがそれです。」
うわー、やっちまったーと言いながら、ガウェインはそう認める。
まあ、アーサーにしてみれば、それは既に旧知の事なので、今更、ゲッショウ王国にブリターニ王国の秘伝が漏れた訳では無い。
「大丈夫。内緒にする。テイもオキナも良いな。」
側近二人は、無言で頭を下げた。
「この卵はあとどれ位で孵化するのだろう?」
「一般的に梟の卵の孵化までの期間は30から40日ぐらいですね。この卵は産まれてすぐ回収されたので、届けられるまでの期間を考えて、後2週間かそこら、でしょうか。」
「そうか、楽しみだ。」
「同時に産まれたもう一つの卵は姉が世話をしています。この子の親や兄弟は、立派な伝書鳥ですから、きっと優秀な雛が生まれますよ。」
実のところ、梟の親は3つの卵を産んだ。一つはカグヤ姫の元へ届けられ、一つはブリターニ王国でフローレンスが世話をしている。そして、最後の一つは、ここゲッショウ王国に運ばれ、飼育舎でガレスが万全を期して育てている。勿論、カグヤ姫がまともに卵を孵せないと予想しての事だ。途中で飽きて放棄するならまだしも、素人が適当に育てて孵る可能性はそれほど高くない。カグヤ姫に渡った卵が無精卵の可能性もあるのだ。万が一の時の為に、身代わりの卵を彼らは用意していた。
彼女の言葉が切っ掛けだったとして、ブリターニ王国とゲッショウ王国の間で結ばれた伝書鳥事業が、第一王女の我儘で頓挫する事があってはならない。まして、この事業はブリターニ王国の貴重な財源になる可能性を秘めている。
ガレス、ガウェイン親子が慎重になるのも、仕方が無い。
そんな裏事情を知ることなく、カグヤ姫は卵の周りにふわふわクッションを敷き詰め、王女宮内に作らせた専用の恒温室に卵を運び入れるのだった。
「伝書鳥など、上手くいくはずがございません。そんな事に貴重な予算をお使いになるより、ジャスミン、アリエル両王女殿下のご婚姻による、グラード帝国との関係強化に力を入れるべきです。」
カグヤ姫が自分も伝書鳥を育てたい、と言い、積極的に伝書鳥事業に関りを持ち始めた為に、第二王妃
派閥の貴族たちが、動き始めていた。
伝書鳥による通信網の整備に対抗し、そんな鳥任せの不安定極まりない手段ではなく、これまで仮想敵国であったグラード帝国との間の交易を活発化する。その為には、北東方面の街道を整備する必要があった。グラード帝国はゲッショウ王国より北方に位置し、冬季には街道が閉鎖される。それでは、交易可能な期間が制限されてしまう。
今回の二人の王女の婚姻と共に、その不都合を取り除くべく、冬季の交通を可能にする方法を検討しようと言うのだ。
「そちらはそちらで考えている。我が国の益になる事業を一つに絞る必要はあるまい。」
執務中の国王に陳情するのは、外務省の長官ムンバイ公爵だった。それに書類から目を離さずに答えた国王に、長官は大きく首を左右に振る。
「恐れながら、陛下、グラード帝国はわが国と肩を並べるほどの大国。その国との一年を通しての交易と比べれば、西の小さな島国・ブリターニ王国との約束など些細な事。これは、高度な駆け引きにございます。」
「公爵。まさか、グラード帝国の南下政策が我が国を狙っていない、とは思ってはおらんだろう?
姫たちとの婚約を足掛かりにして、何を仕掛けてくるかわかったものでは無いぞ。全く、早まった事を・・・・」
後半のセリフは口の中に消える。その消えたセリフを同席していたトキオ宰相は正しく理解した。
北方の雄であるグラード帝国は、その一年の大半を冬が占める。そのせいか、豊かな実りをもたらす南方への憧れ・渇望が強く、隙あらばその領土を南に広げようと周辺諸国を狙っていた。
幸いにゲッショウ王国自体が大国であること、グラード帝国との間には地の底まで続くような深いアララ渓谷が横たわっている事で、これまでは、かの国の侵略の手がこちらに伸びてきた事は無かった。
今ある交易路は、遥か北側を迂回するルートで、その為、冬季には、雪で道が閉ざされてしまうのだ。
交易を盛んにする目的で、街道を整備する事は、大軍の行軍を可能にすることにもつながる。
わざわざ、襲ってください、と道を整えてやる必要は無い、と言うのがこれまでの考えだった。
しかし、グラード帝国は農耕地には恵まれないものの、豊かな鉱物資源を保有している。
昨今、新たな燃料として利用度の増している石炭や、鉄鉱石など、ゲッショウ王国の今後の発展に必要不可欠な資源の宝庫だ。街道を整備し、これらの資源が年中輸入する事が可能となれば、益々、王国の発展が約束される。その為、国王も王女たちの婚約に表立って反対はしなかったのだ。まさか、二人ともが、とは思わなかったのは、今、考えると油断していたのだろう。
王家にとって、世継ぎ以外の子女は政略結婚の駒。その事をよくわかっている筈の第二王妃が、いくら大国の寵妃の皇子とは言え、継承権の低い第5、第8皇子との婚約を良しとする、とは。
何やら、カグヤ姫の婚約成立後、色々燻っていた諸々が、吹き出し始めている事を、トキオ宰相は実感していた。




