23 伝書鳥事業 始動
ダイエットは一日にして成らず。
そんな当たり前の言葉だが、アーサーにとって、どんなに努力しても一向に取れないぜい肉は、ナイフで切り取ってしまいたいほど、腹が立つ代物だ。日々の運動と食事の見直し、テイによるマッサージと、出来る限りの事はしているつもりだが、如何せん、生まれてから12年間の蓄積を数か月で消し去るなど、土台無理な話だ。
それでも、恐らく、希望的観測かもしれないが、カグヤ姫の体は、少しずつ痩せてきている、筈だった。
しかし、先日、アーサー王子が”馬に乗れるようになった”と言う報告の衝撃は大きい。
「馬に乗りたい・・・。」
息が詰まる。
例え、どんなに広くても、ここはゲッショウ王国の王城の敷地内で。どこにでも、警備につく騎士達の気配がある。例え姿が見えなくても、カグヤ姫は必ず、誰かに見張られている。それは、キャスの毒殺未遂事件から、特に人員が増強されており、カグヤ姫が一人で過ごす時間は今やほとんどなかった。
勿論、四六時中、傍に立って見張っている訳では無い。カグヤ姫には護衛騎士のオキナや専属侍女のテイがおり、この二人がいる時は、警備の任に当たる騎士達は、目に入らない所に控えている。それでも、アーサーは気配を感じるし、カグヤやフェイと鏡を使って会話が出来る満月の夜は、一人になる必要があるので、とても苦労する。
そんな状況だからこそ、特に、思う存分、馬を駆る時間は、何物にも代えがたく思えた。
そんな鬱々とした日々が続いたある日、アーサーは一つの新しい建物の前に立っていた。
うっかり、伝書鳥の話をしてしまった後、深く深く反省したアーサーは、「これ以上の事は知りませーん。伝書鳥なんかに興味無いでーす。」と公言し、宰相や国王が何か尋ねても、知らぬ存ぜぬ、を通し、伝書鳥による新しい通信手段についての関りを一切断った。
それでも、カグヤ姫の側近たちは、天邪鬼な主の心情を慮って、伝書鳥事業の進捗をそれとなく教えてくれる。
だから、アーサーも、先だって準備されていた伝書鳥の飼育小屋に、数十羽の鳩が搬入され、同時にブリターニ王国から飼育員が派遣されてきている事は知っていた。
それが、ブリターニで最も信頼の篤いガレスとその息子のガウェインだったことに驚き、父王であるブリターニ国王の、この伝書鳥事業に対する並々ならぬ熱意を感じた。
ガレスは60歳を越えている。ブリターニ王国の宮廷で働く家臣たちの中でも、高齢者に属する。王国の伝書鳥を何十年も前から育てている、まさに第一人者だ。ガウェインはその末子で、優秀な育成者ではあるのだが、ガレスにはまだ及第点をもらえていない。祖国にいる時は、アーサー王子とも時々交流を持つ機会もあり、半人前と言われる事をいつも不満げに話していた。ただ、そんな事を言いながらも、ガウェインはガレスをとても尊敬していたし、自分が、父親に適わない事が、むしろ自慢ですらあった。
そんなブリターニ王国の伝書鳥全てを管理しているガレスにゲッショウ王国に来るためにとても無理をさせたのではないかと、アーサーは健康を心配してしまう。
直ぐにでも顔を見に行きたかったが、気軽に話が出来る筈もなく、それならば、顔を合わせる方が辛いくなりそうで避けていた。
けれど、いつもの様に王女宮を散歩していた筈のその日、気が付くと目の前に見知らぬレンガ造りの塔を持つ立派な建物があった。
「あれ?ここ何処?」
思わず、周囲を見回す。
「新しく建てられた交通・交易省でございます。」
そっと後ろから、テイが答える。
初めて、カグヤ姫が足を踏み入れた場所だからなのだろう。四方に騎士達が散って、周囲を警戒している。護衛騎士のオキナはいつもの如く、カグヤ姫の斜め後ろに控えているが、その目は注意深く辺りを探っていた。
何故、こんな所に、と慌てていると、塔の先端、最上階の窓が開け放たれた。
そして、一斉に、白い鳥が飛び立つ。
アーサーの横で、テイとオキナが瞬時に戦闘態勢をとった。
けれど、それは、アーサーにとって見慣れた光景。
空の青を背景に、自由に羽ばたく無数の鳥たち。
聞こえてくる笛の音。その中に混じって奏でられている筈の人の耳には聞こえない音楽。
それこそが、この鳥たちを導いている。
「見事だ。」
いつの間にか、カグヤ姫の数歩前に礼の姿勢を取ったまま控えている人物に向かって、アーサーは声をかけた。
ブリターニ王国とは違い、ここゲッショウ王国では、身分の低い者が高い者に声をかける事は厳しく咎められる。これまで、王族と言えど平民とあまり生活レベルの変わらない暮らしをしてきたアーサーは、この慣例をあまり気にしていなかった。ただし、引きこもりを辞めたカグヤ姫に対し、密かに馬鹿にしてきた延長で、このルールを無視する者達が一定数いたため、側近たちは、主の権力を正しく用いて対応する事にした。
つまり、カグヤ姫から声をかける前に話しかけてきた者たちは、即時or後日に拘わらず、物理で排除された。
そんな経緯もあって、交通・交易省次官で今回の伝書鳥事業の責任者であるトーマス・キッカンシャー子爵はガレスを伴い、静かに、けれどワクワクしながら、カグヤ姫の御前に控えていた。
トーマス・キッカンシャーは、この一大事業を立ち上げる切っ掛けとなったカグヤ第一王女に、心の底から感謝している。出来るなら、初対面の時の様に、直接会って、この気持ちを伝えたかった。そして、これからこの世界がどのように変わっていくか、そんな未来の話がしたかった。
どんな理由があってかは不明だが、カグヤ姫が伝書鳥事業との関りを完全に断ち、また、彼の身分から第一王女に面会など畏れ多くて申し込めない、などの理由があって、トーマスの情熱は心の底に押し込められたまま、今日に至る。
幸い、伝書鳥事業は順調で、ブリターニ王国での第一人者が、立ち上げに関わってくれることになった。
王城では、飼育の為の建物が増設され、王国各所に、中継地点となる塔も建設が進んでいる。実際の鳥たちの訓練も始まり、まさに、トーマスにとって、今この時は天国だった。
そこに、カグヤ姫が何の前触れもなく現れた。まさに、女神の降臨!と、階段を転がらんばかりに駆け下りて来たのだった。
「見事だ。」
空を舞う鳥たちを見て、カグヤ姫がこぼした言葉は、トーマスにとって何よりの誉め言葉だった。
感動のままに、彼は、自分の傍らに控える老人を紹介する。
「交通・交易省次官トーマス・キッカンシャーが、カグヤ第一王女殿下にご挨拶申し上げます。王女殿下のお言葉を持ちまして始まりました伝書鳥事業は順調にございます。この度、ブリターニ王国より、有能な人物を派遣して頂き、実用化も前倒し可能となりそうです。
こちらが、ブリターニ王国で伝書鳥の育成をされておられるガレス・ショウ殿。そして、塔の最上階で、鳥たちを笛で調教しているのが、ガレス殿の末子、ガウェイン・ショウ殿でございます。」
ガレス・ショウは、更に深々と頭を下げ、カグヤ姫が、顔を上げるよう言っても、決して視線は地面から離れなかった。
『相変わらず、頑固だなあ。』
とアーサーは思う。
ガレスもガウェインも平民だ。今回、彼らが名乗ったショウと言う姓は、ブリターニ王国における、匠たちに与えられた称号の様な物だ。
ゲッショウ王国との伝書鳥を用いた連絡網の確立に、彼らの能力は非常に役立つだろう。
そう思うと同時に、ブリターニ王国の中枢で彼らのはたしてきた役割を継げる者がいるのだろうかと、心配になってしまう。
「ああ、仕事の邪魔をしてすまなかった、次官殿。ガレス殿、無理はなさらぬように。あなたの技はこの世界の常識を覆すほどのものだと、思っています。」
そう言葉をかけ、カグヤ姫は踵を返しかけ、ふと、思いついたかのように立ち止まった。
「鳩ばかり?」
空を見上げ、鳥たちを目で追う。
そして、納得した。
『そうだよな、技術提携と言っても、全てをさらけ出す必要は無いんだ。』
ブリターニ王国の伝書鳥は主に、鷹や梟などの猛禽類。調教に時間がかかり維持費も馬鹿にならないが、捕食者である彼らは、鳩に比べ、他の動物たちから襲われる確率が低く、それ故、運ぶ文書の安全性は高い。
今回、ブリターニとゲッショウ王国間で結ばれた伝書鳥事業は、汎用性の高さを一つの課題に掲げている。だからこその鳩、なのだろう、とアーサーは思った。と同時に、むくむくと子供の頃からの野望が頭をもたげてくる。
「ガレス殿!おれ、っと、わたくしも自分だけの伝書鳥を育てたい!」
突然の要求に、トーマスもガレスも下げていた頭を上げて、王女をまじまじと見てしまった。キラキラと垂れ下がる重い瞼を押しのけて、輝く瞳。ユーラリナ大陸一の強国の国王が溺愛する第一王女の希望には、頷く以外の選択肢は残されていない。
「うん、鳥は梟が良い。キャスとお揃いの真っ白な梟。」
カグヤ第一王女が我儘だと言う噂は真実。一瞬、そう納得しかけて、呆然とするトーマスに、カグヤ姫は「楽しみだー」と満足げに手を振って、更に塔に向かって歩き始めた。
「キッカンシャー子爵、塔の中を案内してもらえないか?ガウェインにも会いたい。」
その一言に、トーマスの中の疑惑は消し飛んだ。
「喜んで!」
白豚王女の巨体が、塔を最上階まで登るには、数度の休憩を必要としたのだった。




