21 アーサーの日常
12歳の誕生会を迎えてから後の、カグヤ姫の朝は早い。
陽の昇りきらぬうちから起き出し、早朝の庭を散歩。その後、専任侍女のテイの指導の下、古武術の稽古。
「そうです。ゆっくり息を吸って、おへその下に力を込めて、ゆっくり息を吐きながら、腕と足を動かします。」
テイが教える古武術は、今では、武術としては廃れてしまった格闘術の一種で、アーサーはゆっくりとした動きと呼吸法で、その型を体に覚え込ませている最中だ。完璧に型をとれるようになると、その動きを次第に早くしていく、とテイは言う。
「それでも、型と呼吸法の基本は一緒ですよー。この武術の凄い所は、攻防一体にあるんです。まあ、見ていてください。」
一度、こんな動作で刺客を躱すことが出来るのか?と懐疑的になったアーサーに、テイは大きく頷くと、護衛騎士のオキナに模擬剣で自分を攻撃する様に頼んだ。
声を失い、武器庫番の閑職に追いやられていても、屈指の近衛騎士であったオキナの剣戟をまともに食らえば、例え”忍び”としての修練を積んだテイでも無事では済まない。
そう思っていたアーサーだったが、目の前で繰り広げられるオキナの剣捌きとそれを見切って防御するテイの技に、大きく目を見開いた。
そして気づく。
テイの動きは、ここ連日、アーサーが繰り返し練習してきた型と同じ、と言う事に。
突きを避け、横薙ぎをいなす。上からの切り下げをブロックし、反撃の掌底を放つ。するするとした足運びで、オキナと距離をとり、一瞬の間にその懐に入り込む。
模擬剣と言えど、当たれば痛いし、当たり所が悪ければ、死ぬ可能性もある。
そんな危険な訓練を二人は楽しそうに繰り広げる。
見ているアーサーも参加したくなる。
「と、まあ、こんな感じです。まあ、姫様にはここまで武闘派になる必要は無いんですけどね。」
さらりと構えを解いたテイも剣を置いたオキナも、あれ程動いていたにも拘わらず、汗一つかいていなかった。
見ていただけのアーサーの方が、減らぬ肉布団と興奮の為、汗だくであった。
そんな経緯を経て熱心に取り組むようになった、古武術の鍛錬が終われば、入浴。
アーサーがカグヤ姫になって、唯一良かった、と思った事は、このお湯をたっぷりと使った入浴の習慣だった。母国であるブリターニ王国では、入浴はしていたものの、こんなに大量の湯を贅沢に使いゆっくりと浸かるなんてしたことはなかった。いつも、ただ単に汗を流すだけの行為。なんなら、川や井戸で済ませても変わらない、とさえ思っていた。
それが、カグヤ姫の入浴ときたら、広々とした浴室の中央に、ベッド程の大きさの浴槽が、ドンと置かれ、その中に香りの良い季節の花を浮かべたたっぷりのお湯が張られている。カグヤ姫の巨体が入ると、勿体ない事に、ざばばっとお湯が溢れ出る。
最初の頃はその贅沢を満喫していたアーサーだったが、何時でも好きな時にこの風呂に入れるように、準備を怠らない召使たちに、捨てるためだけのお湯の用意をさせるのが忍びなくなった。
お湯も花びらも少なめにしてもらい、浸かっただけで零れるほどのお湯は止めてもらう。本当は回数も減らしたかったのだが、白豚王女の体は非常に汗かきで、朝の運動の後、さっぱりとするには入浴は必須だった。せめてもと、熱めのお湯を少量用意してもらい、ささっと、汗を流す事にした。その代わり、夜、寝る前の入浴は温めにしてもらい、ゆっくり楽しんだ。
朝の入浴後に、朝食。あっさりとした鶏肉中心に、野菜ジュース。食後には、新しく雇われた家庭教師による授業。そして昼食。午後は、まず仮眠。食後の眠たい時間帯に家庭教師の講義など聞いていられない。折角、宰相に頼んで来てもらった第二王妃の息のかかっていないまともな家庭教師なのだ。眠ってなどいられない。週に2回はダンスの授業もある。人目をはばからず、体を動かせる貴重な機会だ。女性パートを習うのは屈辱だが、ダンスは意外と体力を使う事を知った。自由時間には王宮の図書室にも通っている。カグヤ姫様にカスタマイズしてもらった閲覧室は、アーサーが一人になれる貴重な場所だ。大きな窓から注がれる晩秋の日差しに、もうあの誕生会から半年近くがたったことを実感する。
陽だまりに丸まる白猫は小さな子猫のままで、「あまり体の大きくならない種類の猫なのでしょうか?」と侍女たちが不思議がっている。
夕食の前に、もう一度王女宮の周囲を散歩して、夕食。時には、国王に呼ばれる事もあり、国内外の貴族達との会食もある。12歳となり表舞台に顔を出す機会を少しずつ増やしているらしい。アーサー王子と結婚後、養子縁組により、他国の国主となり、ゲッショウ王国を出る第一王女に、少しでも助けとなる人脈を広げてやろう、と言う、国王の親心らしい。これまでも子供同士の交流の機会などを設けていたが、カグヤ姫自身が引きこもっていたのだ。それは彼女の性格もあったが、第二王妃の意志を受けて、王女宮勤めの者達が、カグヤ姫にある事ない事吹き込んだ結果だった。
当然、マナーなど、人目に晒されるため、その間はずっと気が抜けない。それでも、アーサーは貴族たちの話に真剣に耳を傾けた。自ら口を開くことは殆ど無い。疑問に思った事は、覚えておいて、図書室で調べるか、家庭教師に尋ねた。そんなアーサーの態度はカグヤ姫の評価を高めたのだが、彼は勿論、自国・ブリターニ王国の為に懸命なだけだ。下に見られているブリターニ王国では決して手に入らないだろう情報。それを見せてくれる貴重な機会だから。
そんな会食の後はクタクタだが、あの豪華な浴槽でゆっくり入浴し、テイによるマッサージが癒してくれる。実際、マッサージの途中で寝落ちしてしまう事も度々で、危機感が無くなっている事に、アーサーは慄いた。テイのマッサージはカグヤ姫の体のぜい肉をもみほぐし、ダイエットにも一役買っていた。
フリフリとピンクだらけのカグヤ姫の寝室は、すっきりと、むしろシンプル過ぎるほどに物が減らされた。
その日も、地方領主との会食を終え、寝室に入ったカグヤ姫は、自室の窓から外を眺めた。
今日は満月。カグヤとフェイと直接話の出来る貴重な日だ。
「キャス、見張り頼む。」
「なぁう。」
子猫は返事をすると、ぶわりと体を震わせた。瞬時に仔馬程のサイズになり、ドアの前に陣取る。遺跡で浴びた魔力と一度死んだ事で、妖精猫となったキャスは、いつの頃からか、変身できるようになっていた。体の大きさだけでなく、その戦闘力も格段に上がっている。その辺の鎧など、一噛みで粉々だ。
アーサーはフェイの魔法のかかった手鏡を鍵のかかった引き出しから取り出すと、満月の光を映すように窓際に置いた。
やがて。
その鏡面に、人を食ったモーガン・フェイの胡散臭い笑顔が浮かび上がった。
『こんばんわ、カグヤ姫様。ご機嫌如何?』
「相変わらずだな、フェイ。」
『ありがとう~。もう、毎日が面白くてさー。』
『何が面白いのか、全然わからないのだけれど!』
不機嫌さを隠さずアーサー王子が横から割り込む。一か月ぶりに見る元の自分の姿だ。毎度のことながら、太っていないのを確認して安心する。まあ、貧しいブリターニ王国で太る程、食事が出来るとは思えないのだが。
『あなた、また、やせたわね。』
一方のカグヤは複雑そうだ。アーサーの努力の甲斐あって、カグヤ姫は少しずつ痩せている。成長期とも相まって、これまで体に蓄えていた脂肪は縦に伸びる事に使われているのかもしれない。まだまだ、標準体型と比べると随分と太っているのだが、それでも、ぽっちゃり、と表現しても何とか許される程度には痩せて来た。
「フフン、そうだろう、そうだろう。」
アーサーは胸を張った。
「もう、走っても息切れはしないし、ダンスで一曲踊れる体力もついた。」
これで漸く城外に出かけられる、そう独り言ちる。
流石にあの白豚体型では、城の中ならいざ知らず、城外、特に商業地や平民の暮らす地域へは顔を出せない。何かあった時に、逃げる事すら出来ないし、当然、助けを期待する事は出来ないのだから。
これからの城外視察に思いをはせつつ、アーサーは言う。
「そうそう、運河に関する本を見つけたから、送ってある。ケインに渡してくれ。」
ヴァニス商会主導によるブリターニ王国の新たな王都造りは、密かに各国の注目を浴びている。
長く歴史のある国ほど、その中心地の老朽化の問題を抱えている。
今回のブリターニ王国の遷都における上下水道の配備と、貴族街、商業地、平民街と明確に線引かれた街割り、防衛と交通路を兼ね備えた運河の配置、等、新しい試みは、成功への期待半分、失敗への期待半分で見られているのだ。
そんな事もアーサーは国王臨席の会食の話題として聞かされている。しかし、当事者であるカグヤ達には耳に入る事もないであろう情報だ。
期待している国からなら、協力を得られる可能性もある、とアーサーはその国名などをカグヤに告げる。彼女はあまり興味を示さないが、義務としてケイン王子には伝えているので、アーサーの情報はしっかり役立っているはずだ。
『そんな事より、聞いてよ。』
と、カグヤが身を乗り出して言った。
『わたくしに馬に乗れと言うのよ!』
「それがどうかしたか?」
何を当たり前のことを言っているのだ?とアーサーは首を傾げた。




