17 その男、誰?
現在の王女宮は、非常に人の出入りを制限している。元々引きこもりで公の場に出てこないカグヤ姫ではあったが、先日の毒殺未遂事件が内部犯の犯行であった為、人だけではなく、物の出入りにも細心の注意が払われていた。
そんな中、カグヤ姫に面会を求めて通される、と言う事は、トキオ宰相、ひいては国王の許可を得ている人物、となる。
そんな人物を前にしてアーサーは、困惑の表情を浮かべていた。
『誰だ、こいつ?』
正式な銀牙傭兵団の紋章を付けているが、アーサーの知らない顔だった。長い銀髪を一つにまとめ、薄紫の瞳をしたすっきりとした美青年だ。傭兵団の団員にしては線が細い印象だが、速度を重視する銀牙傭兵団においては金角傭兵団の様な重量級のガタイの良い団員は少ない。
「お初にお目にかかります、ブリターニ王国銀牙傭兵団で副団長を拝命しておりますパーシィと申します。この度、ゲッショウ王国第一王女カグヤ姫殿下におかれましては、我が国の第二王子アーサー殿下とのご婚約、家臣一同、心よりお慶び申し上げます。」
流れる様な挨拶に正直、引く。
絶対、こんな奴いなかった、とアーサーは確信した。警戒マックスなカグヤ姫の様子に、護衛騎士のオキナと専属侍女のテイの緊張も高まる。
「嫌だなぁ、そんな警戒しないで下さいよ。ほら、銀牙傭兵団の紋章。それに、これ、団長からのお手紙です。」
両手を上に上げた降参のポーズで、パーシィと名乗った青年は、巻物と紋章をその場に置くと、数歩後ろに下がった。
慎重に近づいたオキナが、巻物の封と銀牙傭兵団の紋章を見比べる。
金角傭兵団は盾に鹿の角、銀牙傭兵団は車輪と狼の牙がデザインされている。
封に押された紋様が傭兵団の紋章と一致することを確認して、オキナはカグヤ姫の元にその二つを持っていく。
アーサーは、数歩離れた所で、ちらりとそれらを確認し、一旦、そのまま、オキナを止めた。
「パーシィ、と言ったか、お前、国はブリターニでは無いな。」
「えー、ブリターニですよ。まあ、北の端も端の寒村ですけど。」
確かにブリターニ王国でも北部の出身者は同じ金髪碧眼でも白に近い薄い色合いとなる。だが、パーシィの持つ色はもっと北の方、そんな印象をアーサーに与えた。
「ふーん。」
あんまり見た事が無いな、と、何となく、納得はしないものの、アーサーとて、傭兵団の団員全ての名前と顔が一致している訳では無い。薄い色合いだけで疑うのも礼を失する気がして、オキナに手を伸ばす。
そうして、巻物を手に取り、封を開けようとして、ふと、違和感を感じた。
その瞬間、アーサーは咄嗟に座っていた椅子から、転がるように落ちた。
ザシュ、と豪奢な椅子の座面に短剣が突き刺さる。
抜刀したオキナが、パーシィに迫り、テイがカグヤ姫の前にティーワゴンを盾にトレーを掲げて庇う様にかがみこんだ。
ピィー!
オキナの口から鋭い口笛が鳴り、室内に騎士達が飛び込んできた。
「あれぇ、どうして気が付いたのかなあ、俺が偽物、って。」
パーシィは飄々と周囲を見回すとコテン、と首を傾げた。「それ、紋章も封も本物なんだよ。」
「教えてやる義理は無い。」
倒れた姿勢からアーサーはパーシィを睨みつける。
「そりゃそうだ。」
あっけらかんと言うとパーシィは軽く跳躍する。周囲を取り囲んでいた騎士を足蹴にして、そのままの勢いで窓を蹴破った。
「またねー、お姫様。」
「大丈夫ですか、カグヤ様?」
テイがカグヤ姫を助け起こしている間に、騎士達はパーシィを追いかけ、オキナは椅子に刺さった短剣を注意深く引き抜いた。アーサーの手にある巻物と紋章も回収する。
「紋章と封は確かに銀牙傭兵団の物だ。と思う。急いでブリターニ王国に、銀牙傭兵団に確認をとってくれ。」
アーサーの命令に、ここにこのままカグヤ姫をテイと残して行く事は出来ない、とオキナは首を振る。ならば、とテイがその役を代わろうとしたが、オキナは戦力の分散を恐れた。
「あー、わかった。お、私も一緒に行く。」
宰相に銀牙傭兵団を名乗った偽物をどうやって見破ったのか、その理由を追及されると困った事になるアーサーとしては、なるべく会いたくは無かったのだが、頑としてこの場を動こうとしないオキナに、故郷に連絡をいれるのを優先すべきと考えて、カグヤ姫は文字通り重い腰を上げた。
トキオ宰相は先ず、カグヤ姫の無事を喜んでくれた。次いで、自分が暗殺者を近ずけてしまった事を謝罪した。けれど、許可を与えたこと自体にミスは無い。パーシィと名乗ったあの青年が提示した銀牙傭兵団の紋章は紛れもなく本物だったからだ。ただ、巻物の封蠟に使われた色が問題だっただけで。
けれど、アーサーはブリターニ王国の安全に関わるその秘密をここで明らかにすることは出来ない。
この事件がブリターニ王国に与える影響は大きい。
身分証である傭兵団の紋章は、失くせば当然報告義務があり、そう簡単に再発行してもらえるものでもない。ただ、幸運にもこれまでは、悪用されるようなことは無かったのだ。だが、今後、アーサーとカグヤの婚約を通して、両国での伝書鳥を使ってのやり取りが頻回になれば・・・。
貧乏な国の鳥を使った通信手段が、大陸屈指の大国とのやり取りに使われるなら、その情報には天と地ほどの価値の差がある。
『紋章に通し番号でも付けるか?』
そうすれば、無くしたにせよ、盗られたにせよ、誰の持ち物だったかが判明する。
まあ、それもカグヤ姫の姿では、出来る事が限られるが。
そんな事をぼーっと考えていたアーサーは、宰相が自分をじっと見ている事にやっと、気が付いた。何か、話しかけられていたようだが、まるっと聞いていなかった。
「先程、北の大国グラード帝国の王子とカグヤ姫様の妹姫様の婚約が内々に、結ばれました。このタイミングで姫様が襲われた事、無関係とは思われません。御身の安全に更なる注意を払いますので、どうぞ、カグヤ姫様はこれまで通り、お健やかにお過ごしください。」
『暗に余計な事はするな、と、そう言っているのだな。』
金角傭兵団に手紙を送った事を怒られているようだ。
「では、第二王妃さま、我が国の第五、第八王子殿下と貴国の第二、第三王女の婚約、楽しみにしております。」
ゲッショウ王国国王との会談を終えて、第二王妃の住む後宮でもてなしを受けたグラード帝国の使者は立ち上がった。豪華な廊下を進む一行の後にそっと付いて行く影が一つ。
「てへっ。失敗しちゃった。」
可愛らしさを演出し、首を傾げるのは、白金髪淡紫色の瞳の美青年。
「ほぅ、お前がしくじるとは珍しい。」
その言葉と同時に飛ばされた礫が、後宮の磨かれた廊下の床を抉った。
「嫌だなあ、たまたまだよ、たまたま。俺が攻撃した時、あの王女様、直前に椅子から転がり落ちたんだよ。ぷくく。ホント、まん丸だからねー。ころんってさ。まあ、あの運の良さを甘く見ない事だね。」
「運、だと。」
「運、でしょ。攻撃を、短剣を避けた、とでも?この僕が至近距離から投げてるのに?流石に、その言葉は見過ごせないなあ。」
パーシィ、と名乗った青年は、研ぎ澄ました殺気を叩きつける。
途端に先頭の礫を投げた使者以外は、影の様にゆらゆらと揺れた。いずれもうら若い女性。まあ、そうでなければ、後宮に出入りを許されることは無いのだが、フードの下の彼女らは、表情が抜け落ちている。
「落ち着け、私が運などと言う不確実な物が嫌いなのを知っていて、その言葉を使ったのはお前だろう。」
ポン、と殺気を消して、パーシィは笑う。「えへへー、流石はラス。ちょっと、失敗って言われてイラッとしたからさぁ。」
「まあ、良い。第一王女の死体は、おまけみたいなものだからな。」
ラス、と呼ばれたのは、グラード帝国国教グラード正教の白い司教服を身に纏ったうら若い女性。後宮の出入口て待っていたゲッショウ王国の騎士と合流するとにこやかにお礼を言う。
既に最後尾にいたはずの青年はどこかに消えていた。
あの紋章と巻物の封印は本物だ。疑われる要素は何も無い筈だった。けれども、あの時あの白豚王女は、確かに、メッセージに気が付いて、椅子から降りた。そうパーシィは確信していた。
傭兵団において、伝書鳥に持たせるメッセージには文字数が限られる。その為、鳥の足に付けるメッセージを入れる筒の蓋、そこに使う封蝋にも意味がある。
通常の定期連絡は白、至急なら赤、そして、
危険を知らせるメッセージは、黒。
アーサー第二王子の婚約者は、その意味を正しく理解し、危険を察知し、避けた。
『ただの一目ぼれや、政略がらみでは、なさそうだ。』
そう美青年は独り言ちる。
彼の所属は黒羽傭兵団。金でも銀でも無い、ブリターニ国王直属の黒を纏う隠密機動を主任務とする傭兵団だ。傭兵団を名乗っていても雇い主は国王ただ一人。当然、その存在をアーサーは知らない。交差する二枚の羽の紋章は、二心が無い事の証。
パーシィことパーシヴァルは、その黒羽傭兵団の若き団長だ。
「うちの真ん中の王子様、なんか面白い事になってるねぇ。」
真面目な長男と体の弱い末っ子に挟まれて、昔から、何かとトラブルメーカーだった第二王子は、これからも楽しませてくれそうだ、と、同年代である真面目な王太子のしかめっ面を思い出して、パーシヴァルは、一人笑う。
ともあれ、北の軍事大国グラードが、ゲッショウ王国第二王妃に接触を図り、ゲッショウ王国の二人の姫とグラード帝国の寵姫の王子との婚約が成立した件は、至急で知らせる必要がある。故国に援助を惜しまない奇特な白豚王女の命の値段が上がった事も。




