12 カグヤ 旅の途中
カグヤがアーサー王子として、ゲッショウ王国を去ってから初めての満月の夜。
アーサーからキャスの毒殺未遂事件を報告され、鏡の向こうでカグヤは青ざめた。かつての自分の周囲にそれ程までの悪意があった事を全く知らなかった。
一方、アーサーは一か月ぶりに見る自分の顔に懐かしさを感じていた。デブになっていない、心底安心する。
『キャスさんは、無事、生き返ったのですねー、良かったです。これで無事、妖精猫になれました。』
『「妖精猫?」』
『僕の造語ですけど、妖精の力の影響を受けた猫、で妖精猫。良いでしょう?』
「なんか、羽根生えそうだな。」
まだ、片手に乗る大きさの白い子猫に昔絵本で見た妖精の半透明な羽根を想像して、あまりの可愛さに悶える。
『・・・アーサー様の妖精ってそんな感じです?』
フェイが引いていた。『妖精王様を見て、泣かないでくださいね。』
『そんな事より、あなたは大丈夫なの?王女宮に毒が持ち込まれたなんて、そんな・・・。』
青ざめたままのカグヤの声は震えている。自分の近くに命の危険があった事が信じられない。
「お前、ほんと、何やってたんだ?いや、何にもしてないからこの状況なのか。何だよ、あの母親と妹達。最低だな。まあ、俺は好きにやってるぜ。使用人も全て交代した。宰相が味方してくれてるから、上手いこと行ってる。護衛騎士と専属侍女も付いたし、骨折もほぼ完治だ。お前達の方はどうなんだ?」
そのアーサーの問いかけに対し、カグヤはぎょっと視線を逸らし、フェイは何を思い出したのか吹き出した。
「あぁ?」
アーサーは低い声で目を細めた。
『何よ、何も悪い事はしていないわよ。わたくしは、わたくしのお金をただ有効に使おうとしただけ。』
「お金、って、あの?お前、あれは、これから冬を迎える国民の為に使えって、渡した奴だろうが!」
『何言ってるのよ、元々、カグヤのお金なんだから、何に使おうとカグヤの勝手でしょ!それに、そんな一時しのぎじゃ、あの貧乏はどうにもならないわよ!』
ぐ、とアーサーは詰まる。
確かに、如何に大金とは言え、カグヤ姫の手持ちの小遣い程度では、国民一人一人に毛布の一枚も配れない。だけど、それでも・・・。
『まあまあ、カグヤ様も最初は自分のお小遣いを守りたいだけだったみたいですけど、あれはあれで、なかなか良いアイデアだと思いますよ。』
フェイがニヤニヤ笑いを納めて間に入る。
「・・・結局何をしたんだ?」
『実は・・・。』
そう言って、カグヤは王城を出てからの事を話し始めた。
ゲッショウ王国を早朝に立ち、ブリターニ王国に向かっていた一行に混じったカグヤは、侍女に扮したモーガンと共に馬車に揺られていた。ブリターニ王国から乗って来た馬車とは比べ物にならない位、上質な馬車だ。カグヤ姫が用意したそれは、王族のお忍び用に仕立てられており、安全と乗り心地を優先しているが、ド派手では無いので、遠目からではそれほど目立たない。
抜群の乗り心地を誇る馬車であったが、王女宮から出た事の無いカグヤにとって、馬車の旅は初めての経験で、直ぐに馬車酔いを起こしてしまい、ぐったりと横になっていた。本来なら、この旅の間にも、ブリターニ王国のおさらいをする予定だったのだが、出来ないこのままでは、帰国後、直ぐにボロが出てしまう。
「もう、記憶喪失、って事にしたらどう?」
馬車酔いで青ざめた顔でそう言うカグヤに、モーガンは呆れた顔を見せる。
「それって、絶対、白豚王女と婚約したくないから仮病を使ってるって信じてもらえないって。」
ただでさえ、馬車酔いで気分が悪い上に、ブリターニ王国の食事は、カグヤからしたら、人間の食べる物とは思えないレベルの粗食だ。当然、食事もろくに喉を通らない。周囲は強引に進めた婚約に対するハンガーストライキと解釈したようで、暫く、そっとしておこう、となったようだ。
昼食で立ち止まった小高い丘の上、何か言いたそうにこちらを見やっていたトリスタンが、コンコン、と馬車のドアを叩いた。
「殿下?アーサー殿下?少しよろしいですか?」
「馬車に長く揺られておられるので、ご気分がすぐれないのかも知れません、少し体を動かしませんか?私がお相手させて頂きます。」
「え?気分悪いのに、体を動かすって何?」
「アーサー様。」
青い顔で顔を顰めるカグヤに、やれやれと肩をすくめて、モーガンは閉めていた馬車のカーテンを少し開けた。
「トリスタン卿、王子殿下は愛しい姫と離れてお寂しいのです。何かご気分を晴らす良いお考えはありませか?」
「ええーっ!な、何言ってるの、モーガン。誰もそんなこと言ってないでしょ。」
ガバリと座席から起き上がるカグヤ。
「では、久しぶりに剣の稽古でもいかがですか?それとも、午後は馬で行きましょうか?」
「は!?剣?馬?」
さあさあ、とモーガンに押し出され、カグヤは仕方なく馬車を降りた。アーサーの護衛騎士は、ほっとした様な、けれど探るようにカグヤを見つめている。
『あ、風が気持ち良い。』
丘を吹き抜けるの風が、夏の暑さを少し和らげる。カグヤの後では、モーガンが馬車の扉を全開にして室内の籠った空気を入れ替えていた。
喉の奥につかえていた様な息苦しさがふっと軽くなった。
下げていた視線を上げると、眼下に緑の農園が広がっていた。
「あれは?」
「ブドウ畑の様ですね。」
やや後ろから、トリスタンの声がする。
「綺麗。」「はい。」
規則正しく並んだぶどう棚の列。その向こうにレンガ造りのワイナリーが見える。美しい緑は今年の豊作を約束しているようだ。
王女宮に引きこもり、ちやほやされるだけのカグヤは自国の産業すらよく知らない。ここが、ゲッショウ王国有数のワインの産地であり、今通っている街道が国の東西を横断する主要街道である事、それ故、最も整備された安全な街道で、一定間隔で兵舎が置かれ、常に衛兵たちが巡回し、いざ、と言う時には、この街道を封鎖して、外敵を防ぐ機能すら持っている事を。
ブリターニ王国の騎士達にとって、整備された街道など、初めて目にするもので、ましてや、これだけの広さの街道を安全に維持するなど、考えただけで気の遠くなりそうな人手と費用がかかっている。
道一つとっても、国力の違いを実感させる。
「羨ましいですか?」
無言でブドウ畑を見つめるカグヤをどう思ったのか、静かにトリスタンは声をかける。
「我が国では決してありえない風景ですから。」
「そうなの?」
「?」
「決してありえない、なんて、それこそありえない。」
『穴に落ちたら、そこが呪われた遺跡で、カグヤとアーサーの中身が入れ替わる、なんてことが起こるのだから。』
「ブリターニ王国に、目の前にあるのと同じような豊かな恵みの大地が広がることだって、十分に起こりうるわ。」
「「「はっ。」」」
揃った声に驚いて振り返ると、トリスタンを先頭に騎士達が跪いていた。中には感動に打ち震え涙ぐむ者もおり、カグヤは大いに驚いた。
「この度のご婚約にかけるアーサー王子殿下のご覚悟、我ら一同、今、改めて、感服いたしました。必ずや、ブリターニ王国に豊かな大地の恵みをもたらしましょうぞ!」
「「「大地の恵みを!」」」
使節団と共に帰国する大使のロンド公爵が、代表して宣言した。
『ええーっ!?』
カグヤは心の中で盛大に叫び声をあげる。騎士達の後でモーガンが両手を振って応援している。
「わ、わかれば、良い。い、行くよ。」
アーサー王子は盛大に照れて、真っ赤な顔で馬車に向かって走って行った。
これまで見せた事の無い、その子供らしさに、ロンド侯爵を始め騎士達は、心を打ちぬかれた。
『これまでの乱暴な態度は、子供の背伸び。大人っぽく見せたかったから故のふるまいだった』と、全員が勘違いし。
アーサー第二王子はツンデレ認定された。




