10 遭遇
「ご加減は如何?」
第二王妃に話しかけられれば、いかにアーサーとて、返事をしない訳にはいかない。
「おはようございます、第二王妃殿下、姫君たち。お陰様で、順調に回復しております。」
そのハキハキとした語り口に、おや?と、第二王妃は片眉を上げた。一方、妹姫達の方は、カグヤ姫姿のアーサーには見向きもせず、その腕に抱かれている子猫を注視していた。
早朝から、寝床の柔らかく暖かいクッションの山から、連れ出されたのもあり、白い子猫はアーサーの腕の中(三角巾の中)でクークー眠っている。真っ白な背中が小さく上下する様子も、実に柔らかそうなその毛並みも、つい、手を伸ばして触れたくなる可愛らしさだ。妹姫達も瞳を輝かせて、今にも、飛びかかろうとする様子に、アーサーはキャスの身の危険を感じた。
いつでも、間に割り込めるように、けれども、無礼にならないような立ち位置に控えるオキナにひどく冷たい視線を送った第二王妃は、とりあえず、アーサーとオキナを引き離す事にした。
「ご婚約おめでとう、カグヤさん。義理とはいえ、わたくしも母親、何かお祝いを差し上げなくてはね。これから、わたくしのサロンで一緒にお茶をいかが?」
目的が何かは分からないものの、この第二王妃の誘いにはきな臭いものしかない。第二王妃のサロンといえば、後宮内。いくら護衛騎士とはいえ、許可の無い男性のオキナが立ち入る事は許されていない。そして、今、カグヤ姫には女性の護衛は元より、傍仕えの侍女すらいない。
『拙ったな。まさか直接声をかけてるとは思わなかった。オキナを雇った時に女騎士も探しておくべきだった。』
心の中でがっつり後悔しつつ、
「ありがとうございます。ですが、まだ、お話の出た段階で、決まった訳ではありません。決定しましたら、報告に伺わせて頂きます。」
そう軽く頭を下げると、アーサーはオキナに車椅子を押すように合図をする。それまでは、トレーニングの為に自走していたのだが、さっさとこの場を離れる為には仕方がない。
「ちょっと、待ちなさいよ。その猫、私によこしなさい!」
バッとアーサーの車椅子の前に飛び出したのは上の妹姫ジャスミン、オキナの元護衛対象だった。
『おっとまさかの実力行使か?』
飛び出してきたジャスミン姫の台詞にアーサーの目がスッと細くなった。とは言っても、元々、顔もぷくぷくで目蓋がいつも目を覆っているようなカグヤ姫だ。目を細めると、もう、殆ど一本線にしか見えない。
「そこをどけ。」
威圧を込めて命じる。
ちょっと大きな声を上げただけで、ビクビクしていた年上の腹違いの姉が、こんな態度をとることに、妹姫達は驚き、そして、怯えないことに腹を立てた。
「何よ、生意気ね。あなたなんか、誰にも相手にされず独りで黙々食べているか、暗い部屋でメソメソしているのがお似合いよ。可愛い物は似合わないんだから、さっさと渡して。」
ぐいと伸ばされた手をアーサーは避けることが出来ない。車椅子をバックさせようにも、後には護衛騎士のオキナが立っているし、そもそもがこの体重が載っているのだ。車椅子を素早く動かす事は困難を極める。
しかし、伸ばされたジャスミン姫の手は、宙を切った。さりげなく斜め後ろに車椅子がわずかに引かれていた。
「ちょっと、なんで避けるのよ。」
地団駄を踏む妹姫に、アーサーは殊更大きなため息をついてみせた。
「子猫が欲しければ、買って貰えば良い。何もわざわざ、他人から奪うことはない。」
「あなたが可愛いものを持ってるのが気に入らないの!あなたがチヤホヤされるのが嫌なのよ!」
『こいつ、本当にあの時の大人しそうな姫かよ。』
カグヤ姫の誕生パーティーで、おっとり微笑んでいた姫君とは思えない変わりように、アーサーは信じられないものを見た思いだ。そのせいで、反応が少し遅れ、もう一人の妹姫アリエルが手にしていた人形を投げ付けたのに気付くのが遅れた。
人形は素早く伸ばされたオキナの手の中にすっぽりと収まったが、慌てたアーサーの動きに右腕の三角巾の中で眠っていたキャスが驚いて飛び出した。
「今よ、お姉様!捕まえて!」
「キャス!」
床に飛び降りた子猫は、毛を逆立ててシャーシャー言っている。
「お前達、何をしている?さっさと捕まえなさい。」
静かに命じる第二王妃の声が不気味だ。妹姫達の護衛が、戸惑いながらもキャスに手を伸ばす。キャスは素早い動きで彼らの腕を掻い潜ると、真っ直ぐ、ジャスミン姫に向かって行った。
「きゃーっ!」
悲鳴と共に、盛大に転ぶ。ドレスの裾が捲れ上がる。キャスはその手前で鮮やかなターンを決めると、アーサーの膝の上に戻って来た。
「お姉様!」「ジャスミン。」
真っ赤になって床に倒れたまま恥ずかしさと怒りのまま起き上がれないジャスミン姫。護衛達は、視線を逸らせて、主の醜態を見ないようにしている。口をあんぐり開けた妹姫。異様なほど冷静な第二王妃。
アーサーはゆっくり車椅子を動かし、彼らの横を通り過ぎようとした。
「お待ちなさい。ジャスミン姫に怪我をさせた責任を取りなさい、そこの騎士。」
第二王妃が扇の先で示したのは、オキナの後任となっていたジャスミン姫の護衛騎士。
「なっ!」
「お母様?」
「其方は黙っていなさい、ジャスミン。そもそも、たかが子猫一匹、捉えられないものが護衛騎士など、烏滸がましい。おまけに主に向かってきた獣を放置するとは、何事か?」
第二王妃に指さされた時点で、真っ青になり、膝をつく護衛騎士達。しかし、彼女の目は護衛騎士ではなく、アーサーを見ている。
彼女はアーサーに向かって言っているのだ。「さあ、どうする。この罪のない護衛騎士を助けることができるのは、お前だけだ」と。
はっきり言って、アーサーには関係のないことだ。名前も知らない、今、初めて会った他国の騎士が死のうが生きようが、どうでも良い。しかし、彼の車椅子の横に立って、彼を護る護衛騎士の心情はどうだろう。
自分と同じように、近衛騎士と言う騎士として最上級の地位に昇って、それでもなお、主人の気まぐれで人生を狂わされる。こんな結末の為に、騎士を目指したのでは無かった筈だ。救ったはずの命が手の届かない所で失われた過去を持つ彼は、この状況をどう思っているのだろう。
くるりと車椅子を回して、アーサーは第二王妃を睨みつけた。
「一国の王妃ともあろう人が、たかが子猫一匹の悪戯に護衛騎士を誅するとは、この国はいつから人より獣を尊ぶようになったのだろう。ならば、お前達が白豚と呼ぶ我が身の方が、人であるお前達より尊いはず。そこの騎士、人の騎士など辞めて、白豚である我の騎士となるが良い。」
そう言うと、アーサーは、他国の王族を見送るに相応しく着飾ったアクセサリーを一つ二つと外し、それを王妃たちに向かって投げつけた。
「な、な、な」
「恵んでやる。それだけあれば、どんな子猫も子犬も小鳥も子馬も買えるだろう。お前達は、来い。」
傲岸に言い放ったアーサーに、流石の第二王妃もあまりの無礼に言葉を失った。
「なんの騒ぎですか?」
いつの間にか、周囲には人が集まっていた。その中から出て来たトキオ宰相は、床に転んだままの第二王女、宝石を拾い集めている第三王女、立ち尽くす第二王妃の様子に眉を顰めた。
「何でもありませんわ、宰相。ちょっとカグヤさんをお茶にお誘いしていただけですわ。では、ご機嫌よう。」
第二王妃は娘達の腕を取るとそそくさと後宮に戻っていった。
「お母様、指輪。イアリングも。」
「いいから、」
「覚えてなさいよ!」
「黙って!」
アーサーが投げつけたアクセサリーを拾い集め、アーサーの元に届けた護衛騎士は二名、二人の妹姫の護衛が二人ともカグヤ姫の車椅子の前に跪き、頭を垂れた。
「宰相、この二人を穏便にあの姫達の護衛から外してください。その後の安全も確実に保証出来る所へ移動を。」
「殿下!私共を王女宮付きに。」
その言葉を聞くや否や、二人の護衛騎士は縋り付くようにアーサーの前ににじり寄った。思わず引いたアーサーだったが、実際に、車椅子も少し、後に引かれている。
「えっと、さっきのは言葉の綾だから、ね。それにしてもタイミング良くきてくれた、宰相。貴重な宝石をドブに捨てずに済んだ。」
騎士達の圧力に気おされたものの、何とか、話を誤魔化そうと、差し出されたアクセサリーを再び身につけながら、アーサーは老宰相を見上げた。
「?カグヤ姫様がお困りである、と近衛騎士が呼びに参りましたが?」
ちらりと斜め後ろに目をやった宰相の先の近衛騎士がオキナに向かって軽く頭を下げた。
『いつの間に?』
オキナの右手がすすっと動くと、彼らは頷いて去っていく。
『ハンドサイン?』
ふーん、と、アーサーは一人納得すると、オキナに命じた。
「よくやってくれた、礼を言う。この二人のことは任せた。宮に戻る。」
そして、遠巻きに見ている官僚や侍女、衛兵達に告げた。
「皆も、騒がせた。ここで見聞きしたことは口外無用。良いな。」
そう言って、車椅子を自走して王女宮に戻っていくカグヤ姫に、宰相を始めとした宮廷人たちは感嘆を持って頭を下げた。
口外無用、とは言っても、この第二王妃と第一王女の一幕はすぐに王宮中の知る所となるだろう。しかも、これまで白豚と馬鹿にされていた第一王女の凛とした態度が声高に語られ、逆に可愛らしくおとなしいと慕われていた第二、第三王女の我儘ぶり、護衛騎士を軽んじる第二王妃の冷酷さが、ヒソヒソと噂されて。
これまでカグヤ姫を虐待してきた第二王妃たちを、強かに打ち伏せて、溜飲を下げたアーサーだったが、その高揚感は長くは続かなかった。




