元婚約者は幸せにはなれないだろうと思っていたら、私が幸せになれませんでした。
「アーシャ・・・ごめん。婚約を解消してほしいんだ」
「はい。喜んで解消させていただきます」
「えっ?」
「まずこちらの・・・こことここと、ここにサインしてくださいませ」
「えっ?」
「婚約解消ですよね?わたくし聞き間違いました?」
「いや、あっているけど・・・」
「サインする前に書面はきちんと読まれたほうがいいですよ?」
書面を読もうともしないマルツルーナ様に書面を読むように勧める。
表層に目をすべらせただけで、十枚✕3にもある書類に全てサインされてしまわれてしまいました。
「もう一度確認しますが、本当にサインしてよろしかったのですか?」
そう言いながら私も書類にサラサラとサインをしていく。
「アーシャ、君という人がいながら僕は・・・」
「あぁ・・・大丈夫です。その辺りはお聞きしなくてもわたくし、知っておりますので。お幸せになられることが出来るのかは、わたくしには解りませんけど、お幸せになられることを望んでいますわ」
マルツルーナ様はうれしそうに「ありがとう」と言った。
わたくしは不自然にならない程度の笑顔を表情に浮かべて、立ち上がり「今までお世話になりました。ではこれで失礼いたします」
そう言って、部屋から出ていった。
一部はマルツルーナ様が保管し、一部はわたくしが保管し、一部は婚約、婚姻に関する受付へと提出しなければなりません。
マルツルーナ様と別れたその足で、すぐに提出に向かいます。
書類が提出され、婚姻破棄の受理書をいただいてすぐ、わたくしは婚約届け出を提出することになります。
既に二人のサインがされている一枚の婚約届け出を私の愛するスタッド様と一緒に届け出ました。
マルツルーナ様がサインしたものには、彼の家が持つ伯爵位をわたくしへ譲渡するというものがありました。
本来なら、マルツルーナ様のお子様がたくさん生まれた時に、爵位を渡すことが出来るものです。
それをわたくしへと譲渡してしまいました。
わたくしはその書類も制作しておりましたので、わたくしが伯爵位を授爵する書類も、一緒に届け出ます。
当然、爵位だけあっても生活はしていけませんので、伯爵家の領地も全ていただきました。
マルツルーナ様が準男爵令嬢と一緒になれる可能性はかなり低いと思われますが、マルツルーナ様が準男爵へ降下すれば結婚はできるでしょう。
その心構えがマルツルーナ様に有ればの話になりますが、その覚悟を持てる方ではないとわたくしは思っているので、わたくしと婚約解消した事、伯爵位と領地を慰謝料代わりに譲渡した事が問題にならなければいいと思ってはいます。
ですが、おじさまは大変気分を害されることになるでしょうね。
おばさまはきっと、我が家へやってきて、婚約解消の解消を願い出てくることでしょう。
その他の細々したことの手続きが終わり、婚約届も受理されました。
わたくしが想定していた以上にスムーズに手続きは進んでいきます。
両親にいただいていたマルツルーナ様から婚約解消を申し出て来た時には結婚してもいいと言って、サインをしてくださった婚姻届にわたくし達もサインをします。
見つめ合って、わたくしとスタッドは幸せな笑みを浮かべます。
二人一緒に婚姻届も提出して、受理されるのを今や遅しと待ちわびていました。
スタッドの家名で二人の名が呼ばれ「おめでとうございます」と言う言葉とともに婚姻届受理書を受け取って、わたくしとスタッドは手を繋いでわたくしの屋敷へと向かいました。
お父様に全ての書類を見せ、婚姻も済んでいる受理書も見せました。
スタッドはわたくしより爵位の低い家の三男でした。
スタッドは結婚相手を選び損なうと、平民になってしまうところでした。
わたくしはスタッドは身分欲しさでわたくしにすり寄ってきているのだと思っていましたが、わたくしが婚約しても変わりのない態度に好感を抱いてしまいました。
当然、わたくしには婚約者がいるので、適切な距離感を持ってお友達として付き合っておりました。
誰かにあの二人怪しいよね?と言われることなど無いように、家族ぐるみのお付き合いにとどめていました。
そんなある日、マルツルーナ様が準男爵令嬢と恋に落ちたという噂が流れました。
愚かなことだと思いましたが、わたくしにとっては好都合だと思いました。
父にマルツルーナ様がいい人を作ってしまったこと、マルツルーナ様は真っ直ぐな方なので、婚約しながら、他の人とうまく付き合っていくことなどは出来ないと思っていることを伝えました。
父と、わたくしは何度も衝突しながら、わたくしの望む未来を勝ち取っていきました。
最後の決定権はマルツルーナ様にありました。
わたくしから婚約解消を申し立てるのではなく、マルツルーナ様から婚約解消を言わせて、わたくしが爵位の譲渡を受けることが条件でした。
わたくしはマルツルーナ様には何もしていません。
決して唆してもいません。
けれど、わたくしの望むように話は進みました。
それからはマルツルーナ様のご両親から色々言われましたが、わたくしはもう既に人妻です。
本来なら小父様のサインがない爵位の譲渡は認められないのですが、婚約解消の代償に支払った物だとマルツルーナ様が言い張り、爵位の譲渡も問題なく行われました。
わたくしとスタッドが学院を卒業したら、伯爵家の領地へと下がることになります。
わたくしは公爵家の嫡子でしたが、それは妹に譲ることになりました。
スタッドと幸せになるために公爵家を捨てることを惜しいとは思いませんでした。
妹に「嫁に行けばいいと思っていたのに、私に公爵家を譲るなんて酷いこと、よくも出来たわね!!」と
罵られ「お姉様、おめでとうございます」と抱きしめ合いました。
これで終われば完璧なわたくしの結婚でした・・・。
学校を卒業して、領地の屋敷を整えてそこで生活するようになると、スタッドは女癖の悪い本性を表しました。
わたくしは溜息とともに、やはり自分はまだまだだと思いました。
父に相談すると、そらみたことかと言われると思っていましたが、両親はわたくしのことを心配し、スタッドの身辺調査を行ってくれました。
わたくしは大人しくスタッドのすることに「やめてください。このままではいい未来は掴めません」と伝えるだけです。
わたくしが三度ほど打たれた時、王都から裁判が起こされたとスタッドに手紙が届きました。
わたくしとスタッドの離婚のためのものです。
スタッドの味方になるものは誰もいませんでした。
わたくしが殴られているところを見ている人も多かったので、証言者にも困りませんでした。
スタッドの浮気相手には慰謝料を請求することも出来ました。
平民もいたので、些細な金額です。
スタッドにも慰謝料が請求されましたが、支払うことなく逃げることは解っていたので、裁判所が代わりに支払い、スタッドが裁判所に返金が終わるまで強制労働をしなければならないことになりました。
運良く、子供も出来ておらず、妊娠もしていませんでした。
己を振り返り、マルツルーナ様のことを幸せになれないだろうなんて、驕っていたことを恥ずかしく思います。
マルツルーナ様は準男爵へと婿養子になり、それはそれは仲睦まじく生活されていると、伯爵領にまで聞こえてきます。
わたくしがどこで間違ったのだろうかと執務をこなしながら考えても、結論は、男を見る目がなかった。
それだけのことでした。
二年ほど経ったとき、父が「相手も再婚なんだが」と言って、わたくしに再婚話を持ち込んできました。
「大きな欠点が一つあるんだ」と父が私に言いました。
「欠点とは?」
「人が好きで、誰彼構わず仲良くなり、人を家に呼ぶんだ」と言いました。
「その欠点は大きすぎませんか?」
と尋ねると「一度会えばわかるが、いい人間なんだ」と言いました。
「でしたらわたくしは会わない方がいいでしょう。だって、お父様はもう、たぶらかされているのでしょう?」
「・・・そうだな」
わたくしは結局お会いすることなく、一人で伯爵家をもり立てています。
まだ二十三歳。まだ出会いは何処かにあると信じて今日を生きています。