夢原冬子はモブである。
異形を倒し終わった紅葉の元に、女生徒が駆け寄ってくる。
泣きながら抱きついてくる女生徒を、紅葉は抱きとめた。
(うん。怖かったね。あんなものに襲われたのだから)
よしよしと背中をさすり、落ち着かせる。
この世界で紅葉に訪れる死が、あの程度のものだとしたら――なんとかなりそうだ。
(いや、油断してはいけない。よくわからないが、これは序盤。序盤に出てくるのは、一番弱い敵と相場が決まっている)
ティナが最初に戦ったのも、夢幻のスハルトと呼ばれる魔人だった。
魔物の次に位が高く、魔族よりも位が低い。ティナはその時腕を一本失う怪我を負ったけれど、自己回復の力で助かった。聖女でなければ死んでいたところだ。
「なんなの、あれ……っ、怖かった……!」
「あれが何なのか、私にもわからない。でも、あなたが無事でよかった」
「助けてくれてありがとう。あなた、すごいのね……」
「いえ。あなたは……」
「私は夢原冬子」
『夢原冬子。異形との遭遇エンドのためだけに存在しているモブだよ。本来ならここで死ぬはずだった』
エンジュの声が紅葉の頭に響く。
死ぬためだけに存在しているモブ。酷い世界もあったものである。
とはいえ、本来だった死ぬはずだった冬子も紅葉も生きている。
「君――すごいね。ググリスを倒せる力を持っているんだ。人間じゃないのかな」
すんすんと、背後から頸の匂いを嗅がれるという気味の悪さに、紅葉は冬子を抱きしめたままその場を飛び退いた。
「反射神経も人並みよりもすごい。ねぇ、君の名前は?」
飛び退いた場所にいたのは、鼻から上を覆う仮面をつけたいかにも怪しげな男だった。
紅葉の記憶では、そのような姿をしている一般男性はいない。
フード付きのパーカーを着ていて、髪を隠している。
強盗、犯罪者。そのような雰囲気の男だ。
声はまだ若い。
(エンジュ、誰だこれは)
『知らないよ。君と冬子はここで死ぬはずだった。ルートにないことは僕は知らない』
お助けマスコットといっても、万能ではないらしい。
「私は、柊紅葉。ググリスとは?」
「君はハンターじゃないの? 新しい異形ハンターなのかと思ったけど、違うのか」
「ググリスとはなんだ?」
「ググリスは、異形の中でも量産型。人を誘い、人を食う」
「人を誘う? だから、冬子は誘われてここに。それで、あなたは誰?」
「僕はオロチ」
「おろち?」
「そう。よろしくね、紅葉。君とは、長い付き合いになりそうだ」
オロチは、紅葉の手を取った。
紅葉がそれを払いのける前に、その手の甲に軽く口付ける。
「じゃあね」
オロチは口元に蠱惑的な笑みを浮かべる。
その足元に黒い水溜りができて、そこに吸い込まれるようにちゃぷんといなくなった。
「なんだったんだ、あれは」
オロチも異形ハンターなのだろうか。
エンジュのいう攻略対象とやらの一人?
だとしたら、エンジュの反応が薄い。
『ステータス異常、追跡。オロチに居場所がいつでも知られるようになったよ』
エンジュが、無機質な声で言う。
視線を落とすと、手の甲には十字に蛇の紋様が刻まれている。
「なんなんだ、これ」
「今のはなんだったの……? ていうか、その印はなに……? 紅葉ちゃんの右手に、抑えきれない闇の力が……」
「冬子。これ、隠したい」
「包帯を巻くしかない。任せて、私、いつでも応急処置ができるように、包帯持ってるの。親が医者なので」
冬子が早口で言った。
心なしか瞳が輝いている。
冬子はいそいそと鞄から包帯を取り出して、紅葉の手に巻いてくれた。
「紅葉ちゃん、よく似合う! かっこいいわ!」
「包帯とは、かっこいいものなのか、冬子」
「うん。すごい。創作意欲が湧いてくる……紅葉ちゃん、もしかしてシャーロット学園の一年生?」
「そうだよ」
「私も! 紅葉ちゃんと会えてよかった。助けてくれてありがとう」
「冬子、入学式に遅れる」
「うん、行きましょう!」
『装備、包帯。特殊効果、中二病』
それは追跡よりも嫌な状態異常かもしれないと、紅葉は思う。
こうして、入学式前に死なない代わりに状態異常が付与されるという、波乱の学生生活が幕を開けたのだった。