大聖女ティナは活躍する
あの女生徒を追いかけていくと――死ぬ。
紅葉は校門と女生徒の後ろ姿を交互に見つめた。
このまま真っ直ぐ校門をくぐり抜ければ、無事に入学式に間に合う。
(放っておくべき。お助けマスコットが放っておけと言ってる)
柊紅葉は死にやすいらしい。
今までの柊紅葉としての人生で――死ぬような思いをしたことなど、一度も記憶にないのだが。
ごく普通の中流階級の両親の元に一人娘としてうまれて、小学校も中学校も自宅から歩いて行ける距離にあった。
つつがなく、特に問題もない日々を送り続けてきた。ティナだったころとは大違いだ。
『って、おい! 紅葉! せっかく僕が正しい選択肢を教えてあげてるのに、どうして追っていくんだよ!』
「私が異形に殺されるのなら、あの女生徒も異形に殺されるということ。放ってはおけない!」
悩む必要などない。
女生徒が誰だか知らないが、これから辿る運命を知っているのに放っておくことなど紅葉にはできなかった。
ティナだったころ、人を助けることはティナにとってはごく当たり前のことだった。
それが紅葉に生まれ変わったからといって、変わるわけではない。
ふらふらと何かに誘われるように校門から続く道を歩き、両脇に竹林が広がる小道へと女生徒が足を踏み入れる。
紅葉は女生徒の後を追った。紅葉としてはごく普通だが、ティナとしてはかなり高い身体能力のために、すぐに女生徒に追いつくことができた。
「待って! そこで止まって! どこにいくの?」
紅葉が声をかけると女生徒は振り向く。
光を受けて輝く栗色の三つ編みの髪。丸い眼鏡の奥の、鳶色の瞳。
「――あなたは」
「逃げなさい!」
何か嫌な気配がする。
それは――生まれ変わる前に、魔物に感じていた気配とおなじもの。
魔物よりも知性のある上位魔族はそんなことはしないが、下級の魔物は人を食らう。
それと同じ気配だ。
ずるりと、竹林の中から這い出してくるものがある。
密集する竹林の中から出てくるには質量の多いそれは、テーブルにこぼしたジャムのようにどろりと、這い出てきて形を為していく。
水蛸のような体に沢山の瞳。ゆらゆらゆれる触腕の先には凶悪な歯の並ぶ口が、ぽっかりと開いている。
立ち並ぶ竹林ほどに背が高く細長い。感情のない虚な瞳が、ぎろりと一斉に紅葉を見た。
「な、なにこれ、嫌ぁ……っ」
「なにこれ……いや、本当になにこれ」
『これは、異形だよ。この世界にいる人を食らうものだね』
「いや、だからなんでこんなのがいる必要が」
『そんなこと言われても、そういうものだから』
即死トラップ乙女ゲー『ドキドキイケメン学園!』通称『ドドメ』には、メインストーリーがある。
ここは普通『ドキ学』もしくは『ドキイケ』などと訳されそうものだが、『ドドメ』になったのはあまりにもヒロインが死ぬので『とどめを刺す』をもじって、ドドメと呼ばれるようになったのだ。
ドドメに通う攻略対象たちはそれぞれ様々な事情を抱えていて(イケメン介護などとも言われる)攻略対象たちは大抵の場合『ハンター協会』と呼ばれる異形討伐組織に所属しているのである。
「何その設定」
知らない記憶が紅葉の頭の中に流れてくる。どうやらエンジュが、会話での説明を面倒くさがって頭の中に直接情報を送り込んできたらしい。
紅葉の記憶が確かなら、この国は――日本と呼ばれていて、日本にはティナのような聖女がいない。
特殊能力を使える人間など存在ない世界で異形を討伐しなくてはいけないなんて、一体どうなっているのか。
それは紅葉もよく死ぬはずである。
紅葉は何の力も持たない、ごく普通の少女なのだから。
「ひっ、嫌ぁ……助けて……!」
「私の後ろに」
どうするべきかかと紅葉は考える。ティナは――今はもう、紅葉にとってティナの記憶は古びた前世のものだ。
前世の記憶では、ティナは聖女だと知られたせいで不幸な人生を歩んだ。
だからできれば、目立たず生きたい。
死にやすい学生生活を無事に生き延びて、恋愛なんかして結婚もして、孫の顔なんかもみたい。
縁側でのんびりお茶を飲んで、流れゆく雲を眺めるのだ。
そんな生活が送りたい。
だから――ここで死ぬわけにはいかない。この女生徒も、自分も。
「仕方ない」
指先に意識を集中させると、体に力が巡るのがわかる。
聖女の力とはティナの魂に刻まれたものである。ティナの魂は紅葉の中にある。
それならば、力を引き出すことは、呼吸を行うぐらいに容易だ。
異形の触腕が、紅葉に向かって何本も伸びてくる。ラブオアデスのデスの部分。
本来なら紅葉はここで、異形に食われて死ぬ。バッドエンド回収そのいち。異形との邂逅である。
紅葉は落ち着いた表情で、異形を見据えた。向かってくる触腕に、恐怖に怯むこともない。
だって慣れているのだ。ティナとして、こういった魔物とは何度も戦ってきた。
「絢爛なる光の奔流、魔を払う破邪の矢!」
紅葉の手の中に、美しい弓が現れた。
光の弓の弦を弾くと、光の奔流が異形に向かって突き刺さる。
異形はその中心に大穴をあけて、それからはじけ飛で、黒い霧のようになって霧散した。
「ふぅ……」
輝く弓を消して、ティナは額の汗を軽く腕で拭った。
軽く食後の運動をしたぐらいの、平常心で。
そう――ティナは、大聖女と人々から崇められるぐらいには、とても強かったのである。