【一場面小説】ジョスイ物語 〜官兵衛、犬を陥とすノ下段
前田利家ら使者との会見は円満に終わり、そのまま酒宴に移行した。秀吉は得意の調略をせずに早々と席を立ち、後を官兵衛に任せた。
秀吉が酒席を立った。調略の名人が去り、幾ばくか残っていた緊張感が前田ら柴田方の与力達から消えた。前田利家と金森長近、不破勝光は相互監視の意味も含めて三人での使者とされた。前田と秀吉の仲は周知の話だ。金森らは二人のやり取りに注目せざる得なかったが、晴れてお役御免となった。
使者達が安心したのを見計らい、官兵衛は黒田にござると前田に近づいた。伊丹の酒は澄んでおりましてな、一献お試しあれと前田の盃に注ぎ、自分も手酌で清酒を呷る。どちらかといえば下戸の官兵衛は、却って幸いと酔った勢いで前田に絡む。
伊丹と言えば有岡城。忘れもせぬ土牢の日々。何より悔しかったのは裏切りを疑われたこと。故に我が子の松寿丸が殺されかかった、酷い目に遭った。信長はとんでもない暗君だった、そう捲し立てた。
無礼講とは言え、旧主を誹謗され前田の顔色が豹変する。これは御免と官兵衛が畏まる。咳払いして盃を置く前田、脳裏には信長との日々が去来し、酔うほどに懐かしく感じられ、切ない想いに支配される。
フン、愚かしい。今の宿老どもを見たら右府様は何と仰せられるか、と今度は秀吉と勝家を非難し始めた官兵衛。おいたわしいのは幼い三法師様、そう云うと官兵衛はオイオイと泣き始めた。
黒田殿、過ごされたな、そう言って前田利家は官兵衛の肩に手を掛けた。藤吉郎の軍師も酒が入ると案外とだらしないものだなと、前田は泣き止まない官兵衛に閉口した。しかし、確かにそうだ。
護るべきは三法師様、織田家の嫡流。自分は織田家の家臣であって柴田の家来ではない。前田利家は盃に映った己が眼にそう呟いた。
つづく