幕間
暑い。
七月に入ってから急遽訪れた夏の暑さにウンザリしながらも、右手に提げた紙袋を持ち直す。
今日は土曜日。ついでに母ちゃんは夜勤だしってな訳で、オレとしては、徹夜してでも借りっ放しの本を読破してやるつもりだった。
それなのに帰った途端、家の中に揚げ物の匂いが充満していたのだ。
「お弁当作ったから水無瀬くんと一緒に食べなさいね」
内容は唐揚げとメンチカツ、あと申し訳程度にポテトサラダが詰め込まれてる。
高校生男子が全員揚げ物好きだと思うなよ。
そう言ってやりたい所だが、この弁当は八割の確立で水無瀬の為に作られたものなのだ。そうでなかったら息子が揚げ物苦手だと知ってるのに、わざわざこんなメニューにはしないだろう。つまりオレはオマケって訳。
春先にひょんな事からオレは水無瀬と関わりを持ってしまった。誰の所為って、オレが悪いんだけど。
それからと言うもの、水無瀬はオレに懐いて来て、しつこいの何のって。
気の利かない厭な奴だったら無視してしまえるのだが、困った事に水無瀬はイケメンなのだ。ズバリ美形。しかも背が高い。オマケに勉強が出来る。
そして更に困った事に、オレと水無瀬はどうやらウマが合うらしい。一緒にいても苦ではない。それどころか楽しかったりする。
他人を遠ざける水無瀬がオレに纏わり付くので、クラスの女子から羨望だか嫉妬だかの 視線を向けられる事もある。でも、それに優越感抱いちゃう辺りオレもかなり変だ。
変って言うか複雑だ。
何しろ水無瀬とはキスした事あるし、それどころか扱かれてイカされた事だってあるのだ。
何コレ。行き過ぎた友情って奴?
ヤベヤベ、気を付けないと。手遅れな気もするけど、今ならまだ引き返せる。
そりゃ、触られた時は気持ちよかったさ。キスも上手かったし、うっかり流されて好きとか言っちゃったかも知れませんよ。だからって、オレはホモになるつもりなんかナイ。誰が何と言っても、水無瀬が美形だとしても、だ。優しくて可愛い女の子の方が断然好きなんだって。
まぁ、それは兎も角として。
夜勤に出掛けた母ちゃんを見送って、弁当持って水無瀬の部屋にのこのこ行こうとしている訳だ。因みに水無瀬は家庭の事情で一人暮らしをしている。
その背中をグイグイ押しまくったのがオレだから、それなりに責任って言うか心配みたいなのがあるってのも実情で。
引っ越す時に住所教えて貰ってたから連絡は省いて勝手に行く事にした。
オレ以外に友達のいない水無瀬の事だから部屋にいるって思ったし、いなくても玄関に弁当ぶら下げとけばいいかって思った。って言うか、やっぱ密室に二人きりとかヤバいじゃん。どうやらオレってば流されやすいみたいだし。だから、留守ならいいなーって期待してたりもして。
でも、教えられたマンション見て、アチャーって思ったね。
高校生の一人暮らしに、オートロック。しかも周りの建物より頭一つ高いよ、このマンション。そう言えば水無瀬のお家って金持ちだったっけ。
どうしたものかなってエントランスで迷っていたらマンションの住人らしい若いお姉さんに不審者を見る目を向けられて慌てて携帯を取り出す。
そんな事より部屋番号押して呼び出した方が早いのに、オートロックのマンションなんて入った事ないから勝手が分からないんだよ、悪かったな。
メールより電話の方が手っ取り早いだろ。
そう思ってアドレス帳から水無瀬の番号を選んで通話ボタンを押す。
「藤間?」
はやっ!
呼び出し音しなかったよね、今。
出るのが余りに早過ぎて付いて行けないよ、水無瀬。
「あぅ、あの……えっと、」
家にいる?
そう言いたいだけなのに吃ってしまう。これはアレだ。何て言うか、ちょっと頭の回転が追いついてないだけだから。
「どうした、藤間?」
電話だからか、低い声がいつもより近くで聞こえてドキッとする。
だってしょうがないじゃん!
水無瀬の声って何か色っぽいんだよ!!
「その、今マンションなんだけど」
何とかそう言って、これじゃ分かんねーだろ!って激しく突っ込む。ああ、もう帰りたい。
でも、水無瀬はニュアンスで分かったのか「下にいるの?」と言ってくれる。
そうそう、そうなんだよ!
流石は水無瀬。そう感心しながらコクコク頷く。でも、見える訳ねーよなぁ。
「行くから待ってて」
そう電話を切って一分もしないで自動ドアの向こうに水無瀬の姿があらわれる。
ジーンズにポロシャツ。至って普通の格好なんだけど、普段と違うってだけでドキドキする。何コレ。
「ごめんね、待った?」
切れ味鋭そうな外見からは想像も付かない柔らかい声と言葉。オレにだけだと思う。ま、水無瀬が他の人と喋ってるのなんか見た事ないだけど。
「これ、」
そう言って弁当の入った袋を差し出したら、何故か手首ごと掴まれる。このままじゃ連れ込まれる……!
何なんだよ、お前。もう帰らせて、お願いだから。
「こんなに沢山一人で食べられないよ」
そう言われて、それもそうか。じゃ、明日の朝にでも食えばいいじゃん。って、言い返せないのはオレが流されやすいからなのか?
ズルズルと引きずられてエレベーターに乗せられ、あれよあれよと言う間に水無瀬の部屋のドアを潜ってしまう。
うぉ、綺麗。ってか、何もない部屋だな。
前に水無瀬の実家に行った事がある。その時も水無瀬の部屋は必要最低限しか家具がなくてガランとしていたな。
あれより酷い。
前はテレビとパソコンがあったのに今はそれすらない。
ベッドと机代わりのちゃぶ台。あと、何故か立派な椅子が一脚あるのみ。
部屋広いのに勿体ねーなぁ。
「適当に座って」
そう言われて、はいそうですかって立派な椅子に座る気にはなれない。ベッドなんて以ての外だ。意識し過ぎなのかも知れないけど、危機は出来るだけ回避したい。
だから、ちゃぶ台の傍にストンと座り込む。
それを見た水無瀬が苦笑いを浮かべているのに気が付いてムッとする。
でも、言い返す前にすっと姿を消したと思ったらペットボトルのお茶とコップを二つ持って戻って来る。どうやら、そっちにキッチンがあるらしい。ついでに冷蔵庫も。
その事に少しばかりホッとする。
だって、水無瀬がここに越したのは一ヶ月近く前なのに、ここまで家具がないんだからちゃんと生活出来てるのかどうか不安になるに決まってる。冷蔵庫があるって分かっただけでも安心できる。
「わぁ、唐揚げだ」
弁当の蓋を開けた水無瀬が嬉しそうな声を上げる。それが子供みたいで、見た目とのギャップの所為か物凄く可愛い。
「母ちゃんが水無瀬に、って」
「うん、嬉しい。ありがとうって言っといて」
普段は冷たそうな一重の目がニコリと笑う。ヤベぇ、マジ可愛い。
そんな事を思っちゃう辺り既に手遅れな気がしないでもないが、向かい合って弁当を食べる。他にする事ないし。
他愛のない話をしながら全て平らげ、んじゃ帰ろうかなって言おうとしたタイミングで水無瀬が「珈琲いれるから」と腰を上げる。
断るのも悪いし、食後の珈琲とか素直に嬉しいし。
そんな訳で「うん」といい笑顔で頷いて水無瀬がキッチンに消えたのを確認してから改めて部屋の中を見回す。
こんな部屋でどうやって普段生活してるんだろ?
そう首を傾げたくなるぐらい何もない。
そりゃちゃぶ台とベッドはあるよ。でも、何て言うか……娯楽に繋がる物が皆無なんだよな。テレビがないのはまだいい。でも、部屋の隅に積まれてるのが教科書と参考書だけって、幾ら何でもそりゃないだろって感じだ。
小説どころか漫画すら読まないのか?
そう思ってからふと気が付く。そう言えばエロ本もないなぁって。
エロ本まで行かなくても、アイドルの写真集ぐらいあってもいいじゃないか。いや、あるべきだろ。
そう思うとムクムクと好奇心が湧いて我慢出来ない。
定番としてはやっぱりベッドの下かな。あとはクローゼットの中とか。
そうと決まったら時間を稼ぐしかない。
「水無瀬、牛乳ってある?」
キッチンに向かってそう声を掛けると、「買って来るよ」と返事がある。
どうやら水無瀬はブラック派のようだった。オレだってブラックでも飲めるけど、今はカフェオレしか飲みたくないんだ。と言うのは建前で。
悪いな、とか言いながらニコニコ見送る。
玄関のドアが閉まった瞬間、捜索開始だ。
這いつくばってベッドの下を覗いたら衣装ケースの隙間にそれらしき本の山を発見。
案外、チョロい男だな。こんな常套手段を取るとは。さてさて、水無瀬の好みのタイプはっと。
手を伸ばして引っ張り出す。
「紛らわしいな、おい!」
グラビア誌じゃなくて辞書と参考書だった。しかも参考書は二年のだから使ってんじゃないの? 何でこんな所にしまってあるんだ?
訳が分からないまま括ってあった紐をほどく。
あれ?
気の所為かも知らんが、何となく見覚えがあるような……?
どうって事ないページの折れ目や、マーカーの跡。おいおい、もしかして。
厭な予感がしながらページを捲って大声を上げる。
「オレのじゃん!」
そう言えば、先々週ぐらいに辞書も参考書もなくなったんだった。普段から学校のロッカーに置きっ放しにしてたから自己責任だよなぁって思ってたら水無瀬が予備のがあるからって新しいのくれたんだっけ。
何で、どうして?
これじゃまるでストーカーみたいじゃん……。
「いやいや、水無瀬カッコいいからあり得ないし」
あんだけ女子にキャーキャー言われてるのに、オレのストーカーとか絶対ない。これはアレだ……えっと、そうだ!
置きっ放しになってたからちょっと借りるつもりだったんだけど、うっかり返しそびれたんだな。んで、日が空いちゃったもんだから律儀な水無瀬は新しいのをオレにくれたって訳だ。
やべーやべー。もうちょっとでクラスメートに変な濡れ衣被せちゃうところだったぜ。
取りあえず、弁当を入れて来た袋にそれらを入れる。
気持ち悪いとかそういうんじゃなくて、ほら、その……えっと、返そうにも返せなかった水無瀬の心的ストレスを軽減してやろうかなって言うオレの気遣いだよ。
頭の中で必死に言い訳しながら、ふぅと溜め息をつく。
何か知らんけどダメージ喰らった。気を付けよう、そうしよう。
次はクローゼットか。
まだ帰って来ないのを確認して、そっとクローゼットの扉を開く。
服少ないな。でも、着回し出来そうなジーンズやシャツばかりだから、そんなに困らないのかも知れない。あ、スーツがある。やっぱ金持ちは違うなぁ。
そんな事を思いながらふと目を転じると、学校指定の体操服があるのに気が付く。
おいおい、何か厭ぁな予感がするんですけど……。
おそるおそる引っ張り出して、「やっぱりか」と絶望の溜め息をつく。
オレのだった。間違いない。だって、母ちゃんに言われて渋々名前書いたんだから。
何てこったい。これはどう理由付けたらいいのかな。
えっと、さっきの参考書と同じで、ちょっと借りるつもりが……って、無理じゃん。オレと水無瀬は同じクラスなんだから体育だって一緒だよ。
しかも気の所為なのかどうか、これ洗ってないでしょって感じなんですけど。
流石に汗臭いとかはないんだけど、このヨレヨレ加減は絶対に洗ってないと断言出来る。
オォイ、水無瀬くん!
何なの、君は。もしかして、本当にオレのストーカーなんですかー?
もう、どうしたらいいの。
欲しいなら欲しいって言ってくれたらオレだって素直に……やらんな、絶対。
参考書や辞書はいい。でも体操着はダメだ。どう考えても、それを使ってする事なんて一つしか思いつかん。
あれ、もしかしてオレの体操着って、水無瀬にとってエロ本と同じ?
それはイヤだ……無性に厭だ。だって、水無瀬のズリネタにされてたって事でしょ、それ。あ、だめ。ちょっと泣きそう。
体操着握りしめたまま硬直してたら、玄関の方で物音がする。
ハッとするけど間に合わない。何しろ一人暮らしに最適なワンルームマンション。アッと言う間に水無瀬が顔を見せる。
「買って来たよ」
そう言いながらオレの手にある物を見て、顔を強張らせる。
いいよな、イケメンは。そんな顔ですらカッコいいんだからさぁ。爆ぜろ。リア充じゃないけど爆発してしまえ、この野郎。
「これ、何?」
ギギギって音がしそうなほどぎこちない動きで体操服を見せると、水無瀬が諦めたような溜め息をこぼす。
よぅし、言い訳を聞こうじゃないか。事と次第によっては容赦しねーからな。
「欲しかったから」
は、い……?
え、何その言い訳。全然、言い訳になってないよ?
お前、学年で一番の秀才だよね。もっと何かそれらしい事言いなさいよ。
「ちゃんと新しいの置いといたし」
「そういう問題じゃねぇー!」
そりゃありましたよ。新品の体操着が。母ちゃんに言ったら、これなら来年は買わなくていいわねって喜んでましたとも!
でも、そういう問題じゃない。断じて違う。
目を怒らせてふぅふぅ唸ったからか、水無瀬が拗ねたようにオレをチラッと見る。
「だって藤間はさせてくれないだろうし」
はいー?
何その理屈。じゃ、何ですか。オレが悪いとでも言うんですか、そうですか。
そりゃ、お前とキスした事はあるよ。だからって、オレはお前の彼女でも何でもないんだっての!
「これ使って何したんだよ」
怖いけど聞くしかない。これで本当にオカズにされたたら本気で立ち直れない。
ジッと見つめると、渋々と言った様子で水無瀬が答える。
「だから、こう……ギュッとしたり。あと、ちょっと匂い嗅いだりとか」
へ……あ、そう。その程度か。
何だ、もっと凄い事してたのかと思ったじゃんか。ビビらせんなっての。
それならギリギリセーフだ。多分、きっと。
「と、取りあえずこれは没収!」
「どうして」
「どうしてもこうしてもあるか、このバカ。新しいのを置いとこうが何だろうが、水無瀬がしたのは泥棒、窃盗なんだよ。その年で前科なんか厭だろ、だから証拠隠滅としてオレが持って帰る」
滅茶苦茶な理屈だけど、水無瀬が反論して来る気配はない。そりゃそうだ。元はと言えばオレのなんだから、元の持ち主が返せって言ってそれに逆らえる筈なんかないんだ。
「だったら、」
お、反論しないのかと思ったけどやっぱりするのか?
ポツンと呟いた水無瀬に目を向けると、捨てられた子犬のような顔をしてオレを見ていた。
「これからは藤間を抱きしめてもいいか?」
はいぃー?
何でそうなるのか、さっぱり分からん。
えぇっと、整理してみよう。
水無瀬がオレの持ち物を盗んだ理由は、それが欲しかったから。じゃ、何で欲しかったのかと言うと、オレを抱きしめたかったから。んで、オレが全部持って帰ると抱きしめる物がなくなるって訳で……だからオレを抱きしめたい、と。
よしよし、こんな所だろう。
自分の考えに満足してうんうん頷いていたら、いつの間にか水無瀬がすぐ傍まで近づいてた。
「いいか?」
近ぇーし、良くねーての!!
鼻息掛かるっての。イケメンが鼻息荒いって何か珍しいと思うんだけど、キモいと言うよりセクシーとかって思っちゃって軽く落ち込む。くそ、イケメンなんか大嫌いだ。
「藤間?」
ひ……耳元で囁くな。思わず頷く所だったじゃないか!
「ダメです……っ!」
流されまいと大声を上げたにも関わらず、水無瀬の腕がギュッとオレの腰を囲い込む。エロい、姿勢が何だかエロい!
「は……はは…は……」
口をパクパクさせてたら水無瀬が「笑顔って事はいいの?」と首を傾げて顔を覗き込んで来る。
違うわ。何も言ってねーし、笑ってんじゃねー!
「離せ!」
何とか言って水無瀬の胸に手を当てて突っぱねる。それなのにビクともしないどころか、逆に引き寄せられて頭の中が真っ白になる。オマケに耳をペロッと舐められてゾワゾワと震えてしまう。イーヤァー!
コイツ、コイツ……さっきまでの柔らかい口調とかさては全部演技だったんだな。そうだよな、水無瀬は何だかんだ言って強引な奴だって分かってた筈なのに……騙された。
「大丈夫。これ以上は何もしないよ」
「ん……っ、」
クスクスと笑う吐息が耳に当たってくすぐったい。それから逃れたいのに、力で適わないんだ、どうすればいい。でも、何もしないって言うなら本当にそうなんだろう。だったら、少しぐらいならイイのか。うぅん、どうだろう。
そう気を抜いた途端、水無瀬が楽しそうにそっと囁いて来る。
「今はね、」
あぅ。見抜かれてるし。
くそぅ、何でこの暑い中、男と抱き合わなきゃならないんだっての。
でも、楽しそうに笑ってる水無瀬を見ると何が何でも振り払ってやろうって気にはなれない。それどころか少しぐらいなら我慢してやってもいいかなとか思ってる。
あー、うん。オレってば本当に流されやすいな。




