序章3
水無瀬は誰かを殺したいと思ってる。うぅん、殺人の動機として多いのは金絡みか痴情の縺れってのだけど、目の前にいるコイツにはどっちも当て嵌まりそうにないんだよなぁ。でも、何もないのに殺したいなんて思う訳はないだろうし。さっき人間関係って言ってたよな……もしかしたら本当にそうなのかも知れない。でも、それも何だか釈然としないんだよなぁ。
水無瀬が誰かとトラブルを起こしたりするか?
頭いいし冷静なコイツがそんな目に遭うなんてオレには到底思えない。しかも殺意を抱くような大きいトラブル。だいたいからしてオレだって水無瀬とこんなに口をきいたのは始めてなんだ。トラブルになるほど水無瀬と関わりのある奴なんていないんじゃないの。だったら学校の奴らじゃないって事になる。じゃ中学の時とか塾、バイト……ダメだ。考えてみたらオレは水無瀬の事を何も知らない。同じクラスになって一年が経とうとしているのに。
「答えを知りたいか」
唇噛みしめて考え込んでいると水無瀬が時間切れとばかりに言葉を投げかけて来る。それにコクンと頷き返す。
「母親だ」
頭の中が真っ白になる。え……水無瀬くん、何て言ったの君。
鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしていたのだろう。そんなオレに向かって水無瀬が大人びた苦笑を浮かべる。
「母親だよ。俺は自分をこの世に生み出した女を殺したいんだ」
オレを見る目は優しいとすら思えるのに、その声には静かな怒りが滲んでいる。
「何で……だって、お前の母ちゃんだろ?」
呆然と問い返すオレから目を逸らして水無瀬が黙り込む。
本気なのか、お前が殺したい奴って腹を痛めて生んでくれた母ちゃんなのかよ?
「そんなのダメだ……お前、母親ってのは子供が殺したりしちゃダメなんだよ。そりゃ口煩くてムカつく事もあるけど、だからって殺しちゃダメだろ。家族なんだからお互い話し合えばいい。それでもダメなら家出するなり校内暴力するなり、他で発散させろよ」
シドロモドロに言い募ると、水無瀬が呆れたとでも言うように肩を竦める。
「藤間の道徳観念は少し変わってるな」
そうかな、そんな事ないだろ。
多少のワルなら後戻りできる。できない奴もいるけど水無瀬は頭いいから絶対に大丈夫。
でも後戻りできないワルってのもある。それは犯罪、たとえば殺人とかの重犯罪だ。
アワアワと焦る様子がおかしいのか、水無瀬が口元を歪めて隣に座る。
「藤間の家ってどんななんだ?」
思いもよらない質問をされてキョトンとするけど正直に答える。
「オレの家って……別に普通だよ。五才の時に親父が女作った所為で離婚して、それからは母ちゃんと二人だけど」
「じゃ、藤間はマザコンなのかもな?」
「そんなの自分じゃ分かんねーよ。でもマザコンになるほどベッタリだった訳でもないと思う。母ちゃんは看護師やってるから日勤と夜勤の繰り返して余り家にいねーし」
「でも、いいお母さんなんだろ。藤間を見てたら分かる」
え、お……何だコレ。誰かに母親褒められるのってメチャクチャ恥ずかしいな、オイ!
「俺とは逆だな」
赤面するオレをよそにポツンと小さな声で呟く。
横目で窺うと上体を反らした水無瀬がベッドに手をついて天井を見上げていた。
「父親が仕事人間で俺と母親はいつもこの家に二人きりでいた。父親が見栄っ張りで母親が仕事に行くのを嫌がった所為もある。実際、そうしなくてもいいぐらいには稼いで来るし。ただ、そうなると母親の興味や関心は俺にだけ向けられた。小さい時は何でも買ってくれたしどんな我が侭も聞いてくれた。俺はそんな母親が大好きだった」
えっと、何……もしかして自慢ですか?
急に始まった思い出話にどう反応していいんだか分からず黙って水無瀬を見つめる。あ、やっぱ自慢話じゃないっぽい。懐かしんでるみたいだけど少し悲しそうにも見える。
「学校に上がってからは更に拍車がかかった。俺が誰かと口をきくと目に見えて不機嫌になるんだ。自然と俺は一人でもできる勉強をやるしかなくなって、そのおかげでテストでいい点取ると喜ぶんだ。ニコニコ優しく微笑みながら頭を撫でてくれたんだ。その時は昔に戻ったような気がして嬉しかったよ。だから俺は次のテストも頑張ろうって、その繰り返しだった」
専業主婦の有閑マダムって奴か。それなら子供の教育に熱心だとしても納得だな。そして水無瀬がそんな母親の期待に応えてたのも分かった。だから頭いいのね、お前。
でも聞く限り水無瀬が母親が殺す動機なんて皆無なんですけど。
「変だと思ったのは小学校五年の時だ。母親と出掛けたのをクラスの連中に見られたんだ。俺は母親と腕を組んでいて、次の日はその事で散々からかわれた。その時になってやっと小学校高学年になったら母親と腕を組んだりしないし、夜一緒に寝るのも風呂に入るのも普通じゃないって分かった」
「え……」
まぁ、よその家の事に口出しするのはどうかと思うよ。でも腕組んで風呂入って一緒に寝るって、それは流石にどうなのよ。それじゃまるで恋人じゃん。
呆気に取られるオレを見て水無瀬が自嘲するように鼻を鳴らす。
「他人に言われた途端、自分でもおかしいって思った。そうしたらもうダメだった。それまでは普通だと思ってたのに、異常だと気付いてしまったんだから。俺は母親を女として意識してしまったんだ」
それはまぁ……何て言うか、キッツイだろうな。オレにとって母ちゃんは女である前に母親だ。生物学的には女だと分かってるけど、オレの頭の中では母親って生き物に分類されてるんだ。だから女としての面なんて考えた事もない。そんなモン考えたらどんな顔して母ちゃんと接すればいいのか分からなくなる。
「だから俺は母親を避けた。言われる前に一人で風呂に入って夜は自分の部屋で寝るようにした。買い物に誘われても理由を付けて断った。そして中学に入ってから女と付き合った」
まぁ、オレでもそうする。聞いた所、水無瀬の母ちゃんは息子にベッタリなようだし、だったら彼女作るのが手っ取り早いモンな。そうか、水無瀬は健全なんだ。良かった。
自分の置かれた状況も忘れてホッと安堵する。それなのに水無瀬は「それが間違いだったんだ」と続ける。
「好きでも何でもない、今となっては顔も覚えてないような女だ。学校から一緒に帰ってどうしてもって言うから家に招いた。当然、玄関で母親と鉢合わせだよ。挨拶しようとする女を母親はジッと見つめてた。いや、あれは睨んでいたんだろうな。その気配に怖じ気づいたのか女は言い訳付けてさっさと帰った。その夜だ、俺が母親を殺したいと思ったのは」
さっきまで色んな表情見せてたのに、淡々と話す水無瀬は怖いぐらいの無表情だ。だからでもないが何だか厭な予感がする。そうじゃない、ここまで順序立てて説明されたんだ、これは推理、或いは予測だ。
続きを聞きたくないって、知りたくないって思ってしまう。でも、ここまで来たらそれは許されない。
「ヤラれた」
思い出したくないのだろう。短く端的な言葉に水無瀬の憎しみを感じる。
そりゃ近親相姦は犯罪じゃない。だからと言って許容できるものでもないし、大抵の人間はどうしようもなく厭な気持ちを抱くだろう。本能的な生理的嫌悪を抱かずにはいられないのだ。見た所、水無瀬は健全であろうと努力している。母ちゃんを女として感じてしまう事に罪の意識を抱いている。
オレはそれを当然だと思う。だから軽々しく水無瀬を慰めたり励ましたりなんかできない。




