ソラとナツメ(後編)
その口から発せられた言葉は、ボクが思っていたよりもずっと衝撃的で、深く胸を貫かれるような感覚に襲われた。
そんなボクの様子に気づいたのか、ナツメは慌てた様子で手を振った。
「ちょっと、誤解しないでよ? 正確には、あたしが他人だと思い込んでいたルミアに対してね。あの時にあんたがルミアだって気づいてたら、あんな気持ちにならなかったのよ。本当よ、嘘なんてつかないわ。
ねえ、覚えてる? 駄菓子屋で会ったときのこと」
もちろん、覚えている。ボクの好きなお菓子に手を伸ばすと、ナツメと手がぶつかったのだ。そういえばあの時ナツメは、友人が昔好きだったって言ってたっけ。……もしかしなくてもボクのことだな!?
「まさかナツメがあのお菓子見てたのって」
ボクが言い終わる前に、ナツメは頷いた。
「ちょっと照れるんだけど、そうね。駄菓子屋見て懐かしくなって立ち寄ってみたら、あんたが大好きなお菓子があってさらに懐かしくなっちゃったのよ。
ゲームと違って全然うまくいかなくて、うんざりしてた時にソラを思い出してさ。あーあ、あの頃に戻りたいなぁ、なんて思いながら、気づいたら手を伸ばしてたわ。あたし、無意識のうちにソラを求めてたのね。
なんて、いや、もう! そんなに笑顔にならないでよね! 恥ずかしいじゃない!」
「えっ!? 嘘、笑ってた!?」
ナツメがいかにボクと会いたがっていたのかを聞いていたら、自然とにやけてしまっていたようだ。ナツメが怒っているから顔を引き締めようとするが、どうしても抑えきれない。
数分かけてどうにか真顔を保てるようになったところで、ナツメは話を再開してくれた。
「次笑ったら承知しないわよ。
で、手を伸ばしたら、あんたの手とぶつかった。あの時のあたしにとって、ルミアも転生者だってことくらいは見当がついてたけど、ソラだとは思ってなかった頃だったから、当然あたしはあんたのことをただの邪魔者としか思ってなかったわけ。なんでこんなところにいるんだって、最悪な気分になったわ。
でもね、それよりももっとあたしは許せないことがあったの」
「それって?」
残念ながらボクの頭では、ナツメの感じた許せないことが全くわからなかった。それはナツメもわかっているのか、ソラにはわかんないでしょうけど、と言い添える。くっ、何か悔しい。
「嫌だったのよ、嫌いな奴があたしの一番大切な人と同じものが好きだなんて。攻略対象まで取られちゃった上に、あたしの記憶の中のソラまで取られちゃう気がして、むしゃくしゃしちゃったのよね。さらに表情や仕草もソラと瓜二つだったから益々嫌になって、だから呼び出して痛い目見せてやろうと……。それにあんなに酷い目にあったら心まで閉ざしちゃうかも、と思って、先に言いたいこと言っておこうとしたらあんな言葉を……」
「え? あれで心閉ざすの?」
「え? 何事もなかったの?」
無限に迫り来る生徒たちを倒すのはそこまで心を痛めなかったけど……? うん? でも酷い目? それに痛い?
要するにナツメはボクがぼこぼこにやられると想定していたということか! ふふ、残念だったな! ボクが強いばっかりに……って言っても、結構早くにティチアーノさんによる爆発が起こされたし、兄様に叱られたからそこまで胸を張れることではないけれど。
まあそれはそれとして、ナツメに対しては少しくらい見栄をはらせてもらおう。
「残念だけど、ナツメの想定していたことは起こらなかったようだね! へへーん! これでもすばらしい使用人さんに恵まれて、護身術の方を少々習ってたんだよね!」
「そ、そうだったのね。無事だったならよかった……、いや、護身術を教えてくれる使用人って何よ。おかしいから。普通は教えてくれるような使用人いないわよ」
「そうなの!?」
頼んだらあんなにあっさりおーけーもらえたのに!? イリスさんもセザールさんも特殊だったのか?
そんな馬鹿な。セザールさんはともかくイリスさんは普通のメイドさんじゃ……いや、でもイリスさんは結構不器用さんだからなぁ。素敵な女性だとは思うけれど、普通のメイドさんではない……? でもその理屈でいくとセザールさんが普通の執事だったということに! ぐぅ、何となく認めたくないような。
「何でそんな葛藤してんのよ」
「はっ、いや、何でもない。それで、つまりルミアが嫌いなのに、あまりにもボクの面影が重なりすぎてたから、酷いことしようとしたってこと?」
「そうよ。あたし、性格は嫌いって言ってなかったでしょ?」
ふむ、確かに性格自体は嫌いって言ってなかったような気がする。あの時ナツメが言いたかったのは、ルミアがボクみたいな性格をしてるのが嫌だって言ってるわけで、つまりボクのことが大好きだと言っているわけである。一周回って恥ずかしくなってきた。顔に熱が集まってくる。
「あ、照れてるのね、ソラ。もぉっとあんたへの思いを言っちゃってもいいのよ?」
「もう! こっちが照れると急にそういうこと言い出すんだから!」
「あら、怒ってもかわいいだけよ? ソラちゃん!」
ナツメのこういうところ良くないと思うな、ボクは! まあそういう感じじゃないとナツメじゃないんだけどさぁ、ほんの少しでもいいから自重してほしい。
「はあ、それで? けじめってどうするの?」
気になっていたことを聞いてみると、ナツメはそうね……と考え込むような素振りをした後、にっこりと笑った。
「それはその時のお楽しみ、ね! 大丈夫よ。別に死のうとか考えてないわ」
「それだったら全力で止めてるよ。それに、ナツメがけじめをつけるのにお楽しみも何もないよ」
「それもそうね。ま、明日か、もしくは明後日には教えるわよ。それまで待っててちょうだい」
そう言ったナツメの目は、一瞬寂しそうにしていた気がしたが、次の瞬間にはもう、先程までのナツメに戻っていた。でも見間違いじゃなかったはずだ。やっぱり内容を聞いてみようと口を開きかけるが、それよりも早くナツメは口を開いた。
「ところで、元のこの世界の話とか、もっと聞きたくない? ソラはめちゃくちゃ愛されてるから、全然違うことを知ったら驚くわよ?」
「えっ、さっきまでのとは別に、全然違うところあるの?」
「あるに決まってるじゃない! 一からルート説明してあげるわ。あと気づいてないみたいだけど、エドガーは隠しルートのキャラクターね。隠しのときだけ悪役令嬢がルミアじゃなくてフランソワーズになるの」
「フランが悪役に……? 一体何がどうしたらそうなるんだ……?」
思いっきり話をそらされたことはわかっているけれど、そこまでするほど今は聞かれたくないのなら、ボクは深くは突っ込まない。楽しい雰囲気を、わざと壊すようなことは、彼女と再会したばかりのボクには出来なかった。
明日以降に何をしようとしているのか。ナツメは自分に厳しいタイプだから、決してこうして笑い合える状態にしておく気はないのだろう。ボクがそれを言われたとき、どんな反応をするのかはわからないけれど、今のボクに出来ることはただナツメを待つことだけだ。
ふと、ここに入る前のルドヴィンの言葉が頭をよぎった。今のボクらは、前世のままのソラとナツメ。けれど、ボクが話を終えてこの部屋を出ていってしまえば、もうボクらはこの世界のルミアとベルだ。それは揺るがない事実だ。
だから、もう少しだけここに居させてね。きっと、部屋を出るときには、ボクはこれからもルミアとして、生きていけるから。そうしないと、ルドヴィンにも嘘をついてしまうことになるから、もう少しだけ許してね。




