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お説教

「……なぜ貴方がここに?」


 そう声を絞り出したのは兄様だった。皆の表情を見てみると、驚いた顔をしていた。どうやら皆にも知らされていなかったらしい。ただ一人、ルドヴィンだけが勝ち気な笑みを浮かべていた。


 そんな様子を少し眺めてから、父様は何でもないように言った。


「なぜ、と言われてもね、ボクはルドヴィン様に呼ばれたから来たんだよ」


「それは本当か、ルドヴィン」


 急に目を向けられたルドヴィンは、兄様の差し迫った表情にぎょっとしていたが、すぐに言葉を返した。


「あー、まあそうだな。そういうことになるか」


 その言葉を聞くと、兄様の目はより鋭いものになった。


「お前、カルティエ候がどれほどお忙しい方だとっ、」


「まあまあ、アンドレ様。旦那様が自ら来られたわけですしー」


 激高する兄様の言葉を切ったのはセザールさんだ。セザールさんは父様がいる前でも軽い口振りなところは尊敬する。

 しかし、どうして父様はここまで来たんだろうか。はっ、もしやボクがしたことで何か問題になってしまったとか!? くっ、ごめんなさい、父様! 一体何が問題になってしまったのかわかりません!


「セザールくんの言うとおりだよ。ボクがボクの意思でここに来たのだから、ルドヴィン様を責めないでもらおうか。

 それに、ボクは君にそういう呼ばれ方をされるのは嫌だと、何度も言ったはずだよね、アンドレ」


「……はい、申し訳ありません、父上」


 兄様はそう言って深々と頭を下げた。


 兄様は父様だけには頭が上がらない。ボクもそうではあるけれど、兄様の場合はちょっと違う。多分、引き取ってもらえた恩義というか、引け目というか、そんなものが関係しているのだと思う。


 だからこそ、父様に対しては他人行儀な態度を取ってしまうのだろう。逆に父様も子供との接し方が未だによくわかっていないので、親子らしい気軽な態度を取れずにいる。そして、お互いが相手の気持ちを尊重しているせいか、どちらもこれ以上歩み寄る気配がない。

 ボクとしては、もうちょっと親しい雰囲気になってくれるのが理想なのだけど、もう何年もこの状態なので、今更難しいかもしれない。それとも、そろそろボクがどうにかした方がいいのだろうか。こういうのは当人同士で何とかした方がいいと思っていたけれど、作戦を立てるべきだろうか。


 ん? そういえばルドヴィンはどうして父様を呼んだんだ? 呼んだからには理由があると思うのだけど、全く見当がつかない。何かあったっけ?

 考えていると、父様はボクを見て、困ったように笑った。


「君がそんなに他人事のような顔をしていると、さすがのボクも寂しいんだけどな? ボクは娘が危ない目にあったと聞いて、お見舞いに来ないほど薄情な父親ではなかったと思うんだけどね」


「……まさか、お見舞いのためだけに来たの!?」


 やっぱり、微塵も考えていなかったんだね、と父様は落胆したように言った。

 いやだって、父様はいつも多忙な人だし、心配はしてくれるだろうけど、まさか直接来るとは思わないじゃないか。まだちょっと信じられないくらいには衝撃的だ。


 説明を求める視線をルドヴィンに向けると、目をそらして後頭部を掻いた。


「いや……、呼ぶか呼ばないか寸前まで迷ったあげく、報告だけしておこうと思って連絡したら、無理やり時間を空けて来てくれることになったんだ。つまりオレが、お見舞いのためだけに来いって言った訳じゃあない」


「そうだったん、ですか」


 兄様が、ほっとしたようにそう言うと、父様は複雑そうな顔をしながら一つため息をついた。


「ルミアのためだけじゃないよ。アンドレのことも心配して来たんだ」


「はい……? 怪我はしていませんよ?」


 ボクも兄様を見てみるが、いつも通りきれいな兄様で、外傷は一つもない。不思議に思っていると、父様は呆れたような顔で兄様を見た。


「四階から飛び降りてきたって聞いたけど?」


「えっ!? 飛び降りたの、兄様! 大丈夫なの?」


「ああ、カルシウムは十分摂取しているからな」


 そういう問題じゃないよね!? どうしたら四階から飛び降りなきゃいけない状況になるんだ。まあ兄様のことだから、近道感覚でやったことなんだろうけど、聞いているこっちとしてはひやひやする。


「でもどうしてそれを……おい、ルドヴィン?」


 兄様が再びルドヴィンに目を向けると、ルドヴィンはあからさまに目をそらした。


「どうして言った」


「そ、それはだな、アンドレが無茶をしていないかと聞かれたから、ありのままに伝えようと思って、な?」


 うん、確かに無茶なことではある。兄様にとっては普通のことでも他の人からしたら、そうは思えない。正直伝えなきゃいけないことだと思う。


 けれど、本当に兄様にとっては普通のことではないため、なぜ無茶といわれるのかが理解できていないらしい。ボクがやろうとしたら止めるだろうに。兄様の基準が地味によくわからない。


「残念だけど、ルドヴィン様に怒る権利は君にないからね? 久しぶりにお説教が必要かな?」


 父様にそう言われてしまうと、今度は兄様が狼狽える番だ。兄様の視線が外れて、ルドヴィンはほっとしていた。


「いえ、かる、父上。その必要はありません」


「なら次も同じ事をしないって、約束できるのかい?」


「……それは」


「できないってことだね?」


 兄様は控えめに頷いた。頭が上がらない、という中に、兄様の場合は、嘘がつけない、という意味も含まれる。悲しいことに兄様はお説教を避けるための嘘がつけなかった。というわけで、兄様にはしっかりお説教を受けてきてもらおう。


 父様のお説教かぁ。懐かしいな。服装とか髪型とか、一人称に関しても怒られたことはなかったけど、かわいい女の子用の服を無断で捨てたときはお説教をされる羽目になってしまった。

 あと、キャッチボールに夢中になって、窓ガラス何枚か割ったときも。ちなみに窓ガラス割ったときはイリスさんとセザールさんも一緒にお説教をされた。その後の六時間正座も辛かった。セザールさんとボクが痺れでもだえ苦しんでいる中、イリスさんだけ涼しい顔をしていた。なぜだか負けた気がした。


「あっ、そうそう。アンドレが終わったらルミアにもお説教するからね」


「えっ」


「ルミアも今回無茶をしたからね。全く、こんなところばっかり似ている兄妹なんだから」


 そんなバカな。ボクがいつ無茶をしたって言うんだ! 理解できない!って思うところが兄様に似ているんだろうか。似てちゃいけないところだとわかっているのだけど、兄様と似ているところがあると言われて嬉しいのも確かである。治る気がしない。


「さて、皆様。今宵はもうお帰りください。我が主は安静をとって、ここでお休みさせていただきますが、明日も変わらず授業があります故、これ以上は支障をきたすでしょう。また明日の放課後、お見舞いにいらしてください」


 イリスさんがそう言うと、確かに、と皆は頷いた。


「じゃあそろそろ部屋に戻ろうかな。僕皆勤賞狙ってるから休んでられないし。じゃあね、ルミア」


「あーっ、待ってほしいっす! おれもラフィーと一緒に帰るっすよ! ばいばーい、ルミちゃん!」


「うん、ばいばい」


 ラフィネとエドガーさんはわいわいと騒ぎながら、部屋を出ていく。それに手を振っていると、次はフランが動き出した。


「それでは私も、実はすごく眠くて……」


「フランソワーズ様はわたくしがお部屋までお送りいたします」


「ありがとうございます。ふふっ、ルミアちゃん。また明日来ますね!」


「うん、待ってるね」


「それでは、ルミア様。また後ほど」


 二人が出ていくと、次は父様が口を開いた。


「それじゃあ、ボクはアンドレにお説教をするために部屋を変えようかな。お休み、ルミア。セザールくん、アンドレが逃げないように見張っててもらえるかな?」


「はーい! アンドレ様、逃げちゃダメですよー?」


「わかっている。……ルミア、お休み」


「おやすみなさい、兄様」


「また来ますねー、ルミア様!」


 扉が閉じられて皆の姿が完全に見えなくなると、お別れを言っている間大人しくしていたルドヴィンは、ようやく動き出して、ボクの近くに椅子を引っ張ってきて、そこに座り込んだ。……うん? 帰るんじゃないのか?


「ねえ、ルドヴィンは帰らないの?」


「帰るさ。もう少し後でな」


 ルドヴィンはベッドに手を置いて、ぐいっと顔を近づけてくる。急なことに驚いて、ボクは起こしていた身体を布団に沈ませてしまった。


 どうしたの?と口に出す前に、唇に人差し指が押し当てられ、声に出すことも叶わなくなった。ただできることは目を合わせることだけだ。


「さて、お姫様。オレと面談といこうか」


 その瞳は、初めて会ったときのものとよく似ていた。

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