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暖かい場所

 声が聞こえる。一人二人じゃない、たくさんの人の声が。どれも、ボクがよく聞く声だ。

 まどろみの中で耳を傾けていると、どうやらボクの名前がたくさん呼ばれているようだった。いや、これはボクの名前ではなかったかな。元の彼女からボクが名前も居場所も奪ってしまったから、この名前で呼ばれてしまっているのであって……。


 ううん、違う。そんなことを考える方が、彼女に失礼だ。これはもうボクの名前なのだ。彼女はそう言ってくれたのだから、認めなければならない。


 ゆっくりと、瞼を開けると、そこには見慣れた顔がたくさんあった。皆一様に、心配そうな表情をしている。

 ああ、ボクがあそこにいた間、こんなにも皆は心配してくれていたのか。これは確かに、早く無事を知らせなければならない状態だ。先ほどまで話していた相手のことを思い、少し切なくなったが、それ以上に心が暖かくなった。大丈夫、また会えるって。


 ボクが、ぱちぱちとまばたきを繰り返していると、皆は何を言うこともなく、じっとボクの方を見ていた。

 こういう時って、そっちから話しかけるものじゃないのか。どうしてボクの第一声を待ってるんだ。そんなことを思ったが、このままでは話が進まないだろうから、声を出すことにした。


「……え……あ、んんっ、えーと、おはよう?」


 声を出そうとしたら声が出なくて、やっと声を出せると思ったら、おそらく状況的に間違っていることを言ってしまったボクの気持ちは、きっと彼女にもわからないだろう。なぜならボクもわからないからだ。

 いや、でも皆、朝起きたらおはようって、言うもんね!? 今それと同じような状況だから。多分。だからおはようって言うのもあながち間違いじゃないだろう。今が何時かはわからないが、とりあえず朝だと信じることにする。


 ボクの発言を聞くと、まずエドガーさんが笑顔で返事をしてくれた。


「ルミちゃん! おはようございますっす! よく眠れましたっすかっ!」


「いやそうじゃないでしょ。今、夜だからね。場を和ませるために言ったのかもしれないルミアには悪いけど、気絶してからそんなに経ってないからね」


「そんな現実突きつけないでください! ルミアちゃんは意外と恥ずかしがり屋さんなので、夜におはようって言うだけでも恥ずかしがっちゃうんですよ!」


「そんなルミアもかわいいな。それに、無事そうでよかった」


「だから言っただろ? 怪我もしてないんだから、お前らはさっさと帰っていいって」


 まだそんなに時間は経っていなかったのか。それなら確かにちょっと恥ずかしいけど、そんなに大声で言わないで、フラン。あと兄様は何でもボクはかわいいで片付けないで。少しくらい兄様も、かわいくないなって感じる時があると思うんだ。……あるよね?


「えー! でも心配で心配で、帰っても寝られないっすよー!」


「うるさい、耳元で大声出さないでよ」


 ラフィネとエドガーさんは騒ぎ合っているのを見ていると、兄様とフランが近寄ってきた。ルドヴィンは元々ボクの一番近くにいたようだ。


「ルミア、痛いところはないか? 腹が減ったか? 俺で良ければ何か作るが」


「お前はこいつを殺す気か」


「甘いものが食べたいなら私に任せてください!」


「うん、ありがとう」


 ボクのことを思って言ってくれているフランの言葉に、感謝を伝えると、フランは動揺したようにふらついた。倒れるかと思って焦ったが、フランは体勢を立て直して、祈るように、というか崇めるように、指を組んだ。


「ひゃわわ、か、かわいいです! 天使ですね……」


「ああ、ルミアはこの世で最もかわいいからな」


「ひょええ、女神! 女神ぃ!」


「そうか、女神が天使に姿を変えて降臨した姿だと言いたいんだな。正解だ」


 二人の掛け合いに、ルドヴィンは苦笑いをしていた。ボクもついていけていないから安心してほしい。それに二人は意外とこんな感じである。フランへの反応に関してはエドガーさんも同類だけども。そして全く正解ではない。ボクは人間以外の何者でもないからね。


 皆がわいわいと騒いでいる様子を眺めていると、大切なことを思い出せた。そうだ。ボクはフォンダートさんに会いに行かないと。あの子に聞きたいことがあったんだ。

 とりあえず近くにいるルドヴィンに、こっそりとフォンダートさんのことを聞こう。


「ルドヴィン、ルドヴィン」


「おう、なんだ。女中さんと下僕なら今席を外してるぜ」


 ルドヴィンはイリスさんとセザールさんのことを、女中さんと下僕と呼ぶ。名前覚えてないんだろうか。ルドヴィンに限ってそれはなさそうだけど、まあボクのこともほとんど名前で呼ばないし、そういうものか。

 それにしても二人がいないとは、何か用事でもあるのだろうか。気にはなるが、聞きたいことはそれじゃない。今はフォンダートさんのことを優先しよう。


「ううん、聞きたいのはそれじゃなくて、フォンダートさんって」


「おおっと、待て待て。お前、フォンダートのところに行く気か?」


「そりゃあ、まあ、そうだけど」


 ボクがそう言うと、一斉に皆がこっちを見た。あんなに騒いでたのに、こっちの話聞いてたのか。というか何で見るんだ。怖い。


「お前、さすがにそれは駄目だろ」


「何で?」


「何でって言われてもな」


 ルドヴィンは苦々しい顔をして、言いにくそうにしながらも耳元で囁いた。


「お前が落ちた時の状況考えてみろ。あれじゃフォンダートがお前を突き落としたようにしか見えないんだろ? 今は一応、あいつを拘束だけしてる状態だから何が起こるとも思わないだろうが、生憎こいつらは気が立ってるんだ。お前とフォンダートが会うことを嫌がるに決まってる」


 確かに、言われてみれば、あの状況だけ見てたらそう思ってしまうかもしれない。でもボクがフォンダートさんを助けようとした結果、彼女は拘束されてしまったのか。うーん、いいのやら悪いのやら。


「でも、ボク、どうしてもフォンダートさんに話したいことがあるんだ」


「わかってる。時間は作ってやるから、今は大人しく寝とけ」


 そう言ってボクにデコピンをしてきた。何で? しかも結構痛い。

 それはおいといて、時間を作ってくれるというのは本当だろうか。まあルドヴィンは何だかんだ言って約束守ってくれるもんね。後で誰もいない時にでも詳しい日時を決めたい。


 ボクがフォンダートさんの名前を出してしまったことで、少しピリついた空気が漂っていた。何とか元の空気に戻そうと、口を開きかけたとき、部屋のドアがノックされた。


「こんこんこーん、がちゃ! 失礼しまーす」


「失礼します。セザール、こんな時にふざけないで」


「イリスさん、セザールさん!」


 入ってきたのは普段通り楽しそうな様子のイリスさんとセザールさんだった。思わず声をあげると、二人とも嬉しそうに顔を綻ばせてくれた。


「ルミア様! 起きたんですね! もう、俺めちゃくちゃ心配しちゃいましたよー」


「お元気そうで何よりです。ルミア様」


「うん、もうめちゃくちゃ元気だよ!」


 にこにこと笑い合っていると、イリスさんが、はっ、として、セザールさんの服を引っ張っていた。続けて、セザールさんも何かを思い出したように後ろを見てから、気まずそうな顔をしている。どうしたんだろう。


「……訪問者様をお連れいたしました」


「どうぞー」


 セザールさんが大きく扉を開くと、信じられない人が中に入ってきた。


「ああ、ありがとう」


 二人に迎えられて入ってきたのは、いつものように穏やかに微笑む父様だった。

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