二人のルミア
目を覚ますとそこは花畑だった。
「……いやいや、ありえない」
さっきまでボクは学園にいたはずだ。それがなぜ花畑に? 夢と言うには意識がはっきりしすぎているような気がするしなぁ。
状況を整理しよう。確かボクは直前に、そうだ、恐怖で記憶が曖昧だけど、階段から落ちたんだっけか。そこから考えると、ここは、もしかして天国!?
うーん、けどそれはないかな。ボク、前世で死んだときは天国行かなかったし。はっ、前世では行いが悪かったから天国に行けなかったとかか!? ありうる。心当たりが山ほどある。
でも、それだったら今世はどうして天国に行けてるかがわからない。なにか善行ができていただろうか。何が理由で天国に来れたのかって、神様に聞けば教えてもらえるのか?
「あっ、天国なら、昔飼ってた猫にも会えるんじゃないか!? おーい、おとうとー!」
「何を叫んでおりますの?」
凛とした女性の声が聞こえて、後ろを振り返ると、そこには綺麗な、まさにお嬢様と呼ぶべき姿をした女性がいた。そんな、まさか。
「ごめん! まさか女の子だったとは!ちゃんと性別確認してたはずなのに! おとうとなんて名前にしてしまって! 本当にごめん!」
「ちょっとあなた」
「これからはいもうとって呼ぶね!」
「話をお聞きなさい!」
てっきりおとうとが人間の姿になって現れたのかと思いきや、どうやら違うらしい。というかこの人、どこかで見たことがあるような?
女性が手を叩くと、どこからともなく机と椅子が現れた。机も椅子も豪奢で、ボクなんかが使ってはいせないのではないかと思うほどのものだ。
女性は平然とした様子で、向こう側の椅子に腰かけた。
「さあ、お座りなさい」
悠然とした、気品あふれる態度だが、何より有無を言わさぬ圧力がある。座るのも気が引けるが、言うことを聞かない方が失礼な気がする。ここは大人しく座っておこう。
うぐう、でも緊張するなぁ。あんまりこういう、非の打ち所がない感じの美人さんって、それこそ一人しか見たことないし……うん?
ボクの記憶と目の前の女性を照らし合わせていると、女性は表情を変えず、ただボクを見据えた。
「ああ、ようやくお気づきになられたの? そう、あなたのお察しの通り、私はルミア・カルティエよ。あなたがこの身体を所有する以前の所有者です」
「え、ええっ!? 本当に!?」
「私の姿を知っているあなたに、隠す必要もないでしょう」
もしやとは思ったけど、本当にルミアだったのか。道理でボクと同じ声してると思った。
けれど、それならここはどこだ? え、やっぱり夢?
「まあ、そうね。正確には違うけれど、あなたがそう思うのならそういうことにしておきましょうか」
「そっか、じゃあこれは夢ということで……って、あれ? ボク、口に出してた?」
確かに心の中で考えていたはずだけど、なぜか会話が成立していた。知らない内に声に出ていたのだろうか。
「いいえ。けれど、私にはあなたの考えていることがわかるわ。私はあなたの心の世界の住人ですもの」
「心の世界?」
「ええ、あなたが主人格としてこの身体を動かしている間、私はずっとこの世界に囚われていたの」
つまり、ボクが前世の記憶を思い出して、ルミアとして生活している間、実は元のルミアもボクの中に存在していた、ということか。人格は同じかと思いきや、実は別々のものだったらしい。不思議なこともあるものだ。
だとすると、ボクはまだ生きている彼女から人生の大半を奪ってしまったていたということになる。今までは主に見た目を好き勝手にやってしまっていたが、彼女がいるのなら、今からでも彼女に身体を返した方がいい。
あっ、でもボク今死んでるのか? こんな状態で返されても迷惑か!? 生きていたとしたらせめて日焼けくらいは治した方がいいのか!?
「色々考えてくれているようだけど、その必要はないわ」
「えっ!? あっ、心読まないでよ!」
「読まないでと言われても、聞こえてしまうんだから聞いておかないと損でしょう?」
そう言ってやっと、ルミアは表情を崩してくすくすと笑った。その表情はさっきまでの高貴なものとは違い、年相応の少女のようだった。
そういえばルミアはゲームでは悪役令嬢だったんだっけ。悪役令嬢……響きと聞いた情報だけを元に想像してみると、すごい悪い人になるんだけど、目の前にいる彼女はあまり悪い人のようには感じない。どうして彼女が悪役令嬢になってしまうのだろうか。
「そう見えないと言うのなら、あなたが変えたのよ」
ルミアはまっすぐ、ボクを見て言った。
「ボクが変えたって、どういうこと?」
「そうね、まずは昔話でもしましょうか。私にとってはそれほど昔のことには思えないけれど、ね」
そう言ってルミアは懐かしむように、そしていとおしむように微笑んだ。
「六歳のあの日、おそらく潜在意識に眠っていたあなたの意識と、私の意識が入れ替わり、あなたがルミア・カルティエになった。
どうやら記憶はあなたと私で共有されているようね。あなたは前世の記憶を思い出しただけだと思っていたようだけれど、私はあなたのその様子にほんの少し、と言えば嘘になるわね。かなり怒りを感じていたわ。突然身体が乗っ取られたようなものだもの、それくらいは許しなさい」
「はい」
なぜかはわからないけれど、ボクが人生奪っちゃったんだし、むしろボクの方が許されない立場だ。けれど、あまりにも高圧的な言われ方だったから、思わず返事をしてしまった。
ボクの様子に心なしか満足そうに頷くと、ルミアは話を続けた。
「幼い私は必死に身体を取り戻そうとしたけれど、すぐに無理だとわかったわ。というよりも、諦めた、に近いかしら。
私は愕然としたの。私には自然な笑顔の一つも見せなかった、イリスやセザール、それに他の使用人たちから、あなたはいとも簡単に笑顔を引き出してみせた。人を見下ろして生きていくことしか能がなかった私には大きな衝撃だったわ。
それに、短期間で兄上との仲を修復したことも、諦める要因になったのよ。今考えると、あれを見てから勘づいたのね、私がルミアとして生きるよりも、あなたがルミアとして生きた方がいいのだと」
「そんなこと」
「あるのよ。あなたはアンドレ・カルティエの意味となり、ラフィネ・ユベールの導となり、フランソワーズ・レヴィアの糧となり、エドガー・スーブニールの勇気となり、そしてルドヴィン・アランヴェールの救いとなった。
全て、私では成し得なかったことだわ」
ボクは皆にとって、そんな大それた存在ではないはずだ。それでも、目の前の彼女はそれを確信しているようで、勝ち誇るように笑っていた。けれど一瞬、どこか寂しそうな顔をした。
「私、あなたの前世の記憶も見させていただいたの。この世界とは随分と違うようね、興味深いわ。申し訳ないけれど、あなたの見てほしくないであろう記憶も見させてもらったわ。それは許しなさい、故意ではないから。
それに、私たちが題材にされているゲームというものも見たわ。あなたの記憶だけでは全貌が把握はできないけれど、やっぱり、私じゃ駄目なのでしょう? 答えは出ていたのよ。あなたが私である方が、ずっと幸せになれる、と。
私が今、あなたたちが言う悪役令嬢と言うものに見えていないのは、あなたの生き方を見てきたからよ。もしこんなことにならず、私がそのままあの世界で生きていたら、私はゲームと同じ展開になっていたもの。
だから、私を変えたのはあなたよ。自分の未熟さを知れたのは、あなたのおかげなの。そういうわけだから、泣かないでちょうだい」
「……え?」
ボクはいつのまに泣いていたんだろう。両目からはポロポロと涙が落ちていっていた。拭っても拭っても、涙は止まらない。どうして。
何度も何度も止めようとしていると、ルミアは立ち上がって、ボクの左手を取った。
「あなたは優しい人ね。枯れてしまった私の涙を、代わりに流してくれる、素敵な人だわ。けれど、私はもう大丈夫よ。今でも悲しくなることはあるけれど、私は今のままで満足なの。
だから、あなたはあなたがあるべき場所へとお帰りなさい。私たちの身体はまだ生きています。そこにあなたを必要としている者たちがいるのだから、早く戻りなさい」
「でもっ」
「わがままを言わないで。今のルミア・カルティエはあなたなの。こんなところに隠れてないで、すぐにあなたの無事を、皆に伝えなければならないでしょう? それに、ベル・フォンダートとも、話さなければいけないことがある。トラウマを再体験したからって、逃げている場合じゃないのよ」
ボクの身体が、だんだんと光の中に溶けていくのがわかった。彼女はボクの意識を、身体に戻す気なんだ。元は彼女の身体なのに。
「……ねえ、ボク、君に何もあげれてないよ」
「私が勝手にもらっていたから、その自覚がないだけよ」
「ボクは君からとても大事なものをもらってしまったのに」
「私が完璧な人間になるための対価としては、むしろお釣りが出てしまうくらいちっぽけなものね」
不適に笑う彼女に、ボクはもう何の言葉も出てこなかった。その代わりに、ボクは自分の願望をぽつり、と呟いた。
「君と一緒に、生きられたらよかったのに」
彼女はその言葉が予想外だったようで、驚いた表情をしていたが、ふんわりと優しく微笑むと、ボクをぎゅっと、抱きしめた。
「そうね。でも、あなたがいてくれなくちゃ、また悪役令嬢と呼ばれた私になってしまうわ。だから、私がまた生きる時には、あなたが私を導いてちょうだい。私が産まれたときからずっとずっと、私を見ていてなさい」
「うん、約束する」
そう返事をして、彼女を抱き返すと、背中にさらに強く力がこもった。
「約束よ。あなたが誰を選んだとしても、私は必ず、あなたとともにあるわ。
さようなら、ソラ。いいえ、ルミア。また未来で会いましょう」
彼女のその言葉を最後に、ボクの意識は再び、闇へと溶けていった。




