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最後に、目に映ったのは

『皆様、大将であるコナール・ニコラ様が捕まりました故、今夜のゲームが終了となります。本日は参加していただき、誠にありがとうございました。もう夜も遅いので、お早めにお帰りください。繰り返します……』


 先生が淹れるコーヒーが、なぜだか本当に泥水っぽくなってしまうので、その理由を検証していると、エドモンドさんの声で放送が流れ始めた。ああ、そういえばゲーム中だった。先生のコーヒーの味を何とかしようと躍起になっていたせいか、忘れてしまっていた。ごめんね、皆。後で全員にお礼を言いに行かないと。


 エドモンドさんの声、ということは、使用人さんたちもこのゲームに加担していたのだろうか。だけどそれなら、廊下で敵チームの使用人さんにも会うはずなのに会わなかったから、兄様のためにお手伝いをしているだけだろうか。イリスさんもセザールさんも、このゲームがあるって話はしていなかったし、おそらくエドモンドさんが放送役を任されていただけだろう。


「思っていたヨリ早いデゴザイマスナァ。マア、アンドレ・カルティエがいればナットクの早さデハアリマスデスケド」


「大将が捕まる? 何の話かはわかりませんけど、どうやら一件落着みたいですねぇ。ドモンくんに後で何があったのか聞いてみましょうかぁ」


 ……ドモンくん? 誰だろう?


「あっ、そういえばルミアくんはドモンくんともお知り合いなんですよねぇ。どうですか? 元気に働いてますかぁ?」


 えっ、ボクの知り合いなの、ドモンくん。生憎ドモンなんて人聞いたことないけど。

 いや、でもティチアーノさんの呼び方がアゴさんだったし、ラストネームがドモンの可能性が……ないな。そんなラストネームの人は、ボクの知り合いにはいない。じゃあ誰のこと言ってるんだ?


「アア、エドモンド・サジタリウスのことデアリマスヨ、プリンセス・ルミア。マッタク、マイティーチャーはヨクワカラン呼び方をするデアリマスカラネー」


 なるほど。よくわからないが、エドモンドからドモンにまで発展してしまったのか。そんな発展の仕方をしたことには驚きだが、それ以上にエドモンドさんにあだ名をつけられる方が驚きである。

 なんとなく、エドモンドさんを気軽に呼ぶのは気が引けるんだよね。優しいから許してくれるとは思うんだけど、どうしても構えてしまう。


「はい、エドモンドさんはいつも優しくて、元気にお仕事をしてくれていると思います。まあ、ボクはあんまり会う機会はないんですけどね」


 そういうと、先生は少し意外そうな顔をした。


「そうなんですかぁ? ドモンくん、ぼくには全然優しくしてくれないんですけどねぇ。この前会ったときも軽くあしらわれましたもん。昔からそうですから、優しくされると一周回って気持ち悪いですけどねぇ。まあでも、元気なのは何よりですねぇ」


 んん? てっきり兄様繋がりでエドモンドさんと出会って、普通に知り合いなんだと思っていたけれど、昔から、と言っているということは、どうやら違うらしい。もしかしてエドモンドさんとは、ずっと前から友達なのだろうか。


「あの、先生とエドモンドさんは友達なんですか?」


 ボクがそう聞くと、先生は意味ありげに笑った。


「どうでしょうねぇ。ぼくはそう思っていますが、ドモンくんの方は、まあぼくらにも色々ありましたから。

 さて、もうこんな時間ですから、寮に帰った方がいいですよぉ」


「えっ」


 時計を見ると、確かにもう遅い時間だった。パーティーの予定だったから多少は遅くなるって言っておいたけれど、こんなにも遅いと、イリスさんたちが心配して迎えに来てしまうかもしれない。早く戻らなきゃ。


「そうですね! すぐ帰ります!」


 ボクが勢いよく立ち上がると、ティチアーノさんは同じように、腰を上げた。


「オっ、デハ我輩がお供するデゴザイマスデスヨ。暗くて危険デアリマスカラ」


「そうですねぇ。学園の中ですけど、先ほどまでのような輩が現れないとは限りませんからねぇ。ぼくもついていきましょうか」


 ううん、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、もう鬼ごっこ……のようなものも終わりを迎えたようだし、危険はないだろう。それにボクはそこまで柔ではないつもりだから、何かあっても対処できる、と思う。二人にあんまり迷惑をかけるわけにもいかないしね。


「大丈夫です。寮なんてすぐそこなので、一人で帰れますよ! それではまた!」


 軽く二人に手を振って、廊下に出る。運が良ければフランに会えるだろうか。そうしたら一緒に帰れるんだけどな。そうだ、フランは無事だろうか。早く元気な顔を見たいところだ。捕まったり気絶させられたりしていなかったら、きっと寮に戻っているはずだ。


 そう思いながら、階段のところまで来て、はたと気づいた。そういえばここ、三階じゃないか。……エレベーターは使えるかな。階段よりも大分ましだし。


 でもエレベーターは帰る人たくさんいそうで、早く帰れるかわかんないよなぁ。フランのこと考えたらだんだん心配になってきて、一刻も早く帰りたいんだが。二人に付き添ってもらった方がよかったかな……いや、こんなことで一緒に来てもらうのも迷惑か。


 ここは意を決して、行くしかないのかな。そう思って階段の方を向こうとしていると、階段の下から誰かが上ってくる音が聞こえることに気づいた。ゲームが終わったのに、わざわざ上がってくるなんて変だな。

 あっ、もしかしたら、ボクを誰か迎えに来てくれたのか? いや、うぬぼれかな。でも、兄様とかフランならありうるかも。むしろそうであってほしい、今回ばかりは。そう思って、階段の手すりに掴まって、踊り場の方を見た。


 けれど、ボクの期待とは裏腹に全く別の人が姿を現した。


「フォンダートさん?」


 修学旅行で会ったとき以来、顔を会わせることもなかったフォンダートさんが、階段を上ってくるところだった。なぜ息を切らしてまで階段を上ってきたのだろうか。

 その理由を聞いてみたくはあったけれど、最後に会ったときは、あんな別れ方をしてしまったから、おそらくボクとは会いたくないだろう。ここは一度姿を消した方がいいか。


 そう思って、後ろを振り返ると、フォンダートさんの焦ったような声が聞こえた。


「待って!」


 ええっと、ボクに言ってるん、だよな? 本当にボクか? 他に人はいないしな……。

 疑問を感じながらもまた振り返ってみると、フォンダートさんがまっすぐボクを見ていることがわかった。


「な、何ですか?」


 おそるおそる聞いてみるが、反応はない。でも呼び止められた、ということは、何か話したいことがあるのだろう。

 ……どんな話でも聞くから、この場所から移動させてもらえないだろうか。今は大丈夫だけど、もう少ししたら、ちょっと不味いんだ。せめて階段が見えない場所に行きたい。


「あの、場所を変えませんか? こんなところで話すのもなんですから」


「怖いの?」


 ボクの言葉を途中で遮ってきた一言に、背筋が凍った。あんまり意識しちゃダメなんだ。意識しなければ数分は耐えられるのに。大丈夫、大丈夫と言い聞かせても、指先は震え出した。

 そんなボクの様子を知ってか知らずか、フォンダートさんは一段ずつ、近づいてくる。


「あんた、階段が怖いの?」


「あ……え……」


「教えて! 階段が怖いの!?」


 声を張り上げながらフォンダートさんは近づいてくるが、ボクには答えている余裕がなかった。答えようにも、口が動かなかった。


 階段は、怖い。少しでも高低差があるところは、嫌いで、階段はもっと。あれは、怖くて、痛くて、冷たい。生きた心地がしない。早くこの場を離れたいのに、足が震えて動かない。階段は見たくないのに、目が離せない。


 あれ? どうしてボク、今生きてるんだ?


「ねえ、ちょっと……」


 何か言いかけながら、女の子がボクに手を伸ばしてくるのが見えた。それと同時に、下から声と、階段を上ってくる音が聞こえた。あの声、誰のだったっけ。

 恐怖に染まった頭のどこかで、ぼんやりそう思っていると、女の子の身体が、ぐらりと傾いたのがわかった。


「きゃあっ」


 足を踏み外したんだ。このままじゃ背中から落ちてしまう。それは、ダメだ。この子にまで、あの床の冷たさを感じさせちゃいけない。

 伸ばされていた手を、震える手で引っ張って、彼女を階段の上へと投げた。これで、女の子は助かるはず、


「――そら」


 どうして、君が。


 聞こえてきた言葉の意味を聞こうと後ろを向こうとするが、それは叶わなかった。


 ボクの身体は、女の子を引っ張り上げた反動のせいか、逆に階段の方へと投げ出されてしまっていた。ボクの目の前には、階段と踊り場があるだけだ。ボクの気持ちに反して、身体はだんだんと、下へと落ちていく。

 ああ、あの時と同じだ。ううん、違う。今はあの時と違って、悪意は、ない。


 怖いな、怖いなぁ。きっと、痛いんだろうな。あの床は冷たいんだろうなぁ。ボク、ここで終わりなのかな。ああ、でも、あの子の命を救えたのなら、今回のボクの人生も無駄じゃなかったのかな。


 落ちる前だって言うのに、視界が霞んでいく。意識が薄れていく。意識がない間に終わってくれるのかな。それなら、痛い思いをしなくて済みそうか。


 怖いな、嫌だな。誰か、助けてくれないかな、とか、望みのないことを考えながら、意識は闇の中へと溶けていく。目を閉じる直前に、目の前に彼がいるように見えた。珍しく慌てた顔の彼に、ほんの少しだけ安心した。心配してくれているのかな。

 けれど、それが本物だったのか、それとも都合のいい幻覚だったのかは、もう確かめることはできなかった。

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