初めての外出
「さてルミア、どこから入りたい?」
ボクが初めて見る景色に驚いていた。隙間なく並んだ建物。同じく道に溢れんばかりに広がっている人々。
これは貴族様方が基本的に来ることはない未知の世界、ここは……、
「城下町だ……!」
ボクと兄様は二人で少し遠出をして城下町まで来ていた。遠出と言っても徒歩二十分くらいの距離なので、毎朝のジョギングとほぼ毎日外で遊ぶことにしているボクにとっては問題はない距離だ。
兄様は毎日やるよう心がけてはいてくれてたけど、彼が勉強家であり、さらにまだ八歳なのに父様の手伝いもしてくれているらしいので、時間がとれないことも多々あり、正直体力面は少し心配していたのだが杞憂だったようだ。セザールさんに聞いたところによると兄様の体力はもはや人間ではないとか言っていたが、本当にそうかもしれない。兄様は汗一つかいてないからだ。八歳ってこんな感じだったっけ。いくらなんでも優秀すぎやしないか。というか初めて一緒に遊んだとき疲れていたように見えていたけど、あれはなんだったんだ。ボクが疲れてたからそう見えただけだろうか。
そんな兄様とは違い少々疲れを感じていたボクだったが、初めて見る城下町の光景にすっかり疲れは吹き飛んでいた。今まで一歩だって家の敷地から出たことがなかったから新鮮で、有り体に言えばわくわくしているのである。中身の年齢は総合したら二十歳を越えているのだけれども、それは考えないでおこう。
ボクはイリスさんとセザールさんに外に出てはいけないと口を酸っぱくして言われていた。目を離すと何かやらかしてないか心配になるらしい。でも今回は兄様が同行してくれるので、特別に了承してもらえた。なんでだ。兄様もまだ小さな子供の部類に入るだろうに。
まあいくら抗議しても無駄なので、今は素直に兄様と手を繋いで楽しむことにする。周りを見渡すと色々な所から美味しそうな匂いがすることに気づいた。ああ、お腹すくなぁ。あそこのからあげおいしそうだなぁ、と思いながら歩いていると、急に兄様が進行方向を変えた。
「兄様? そっちに服屋さんはないよ」
兄様はボクがさっき見ていたからあげのお店の前まで行くと、複数個入ったものを買って、ボクに手渡してきた。香ばしい匂いとカリカリそうな衣が食欲をそそる。
「おいしそうだからつい買ってしまった。でも俺だけじゃ食べきれないから、ルミアも食べてくれないか?」
「え、あ、うん……」
か、完全に気を使われている。しかもボクが遠慮なく食べれるように兄様が困っているような体で言ってくれている。ボクが本当に六歳だったら兄様の思う通りになったと思うけれど、精神的には大人の部類だから逆に気にしてしまう。八歳の子に何させてるんだ、ボク。
でもここで元気よく食べなければ兄様の気遣いに気づいていることが気づかれてしまう。ここは勢いよくいかなければ。
大きなからあげにかぶりつくと、じゅわり、と口の中で肉汁が弾けた。カリカリの衣にぷりっとした鶏肉が相まって、醤油ベースのからあげをさらにおいしく感じさせた。語彙力がないから伝わらないだろうけど、つまりはおいしいのだ。夢中でもぐもぐ食べていると、兄様のくすくすと笑う声が聞こえた。
「あ、ああ、ごめんな。あまりにもおいしそうに食べるものだから、微笑ましくなってしまって」
は、恥ずかしい……、兄様が隣にいることも忘れてからあげを頬張ってしまうなんて。ボクは恥ずかしさを隠すように一個からあげをとって、兄様の口元に向けた。
「……?」
兄様は不思議そうな顔をしている。そういえば貴族はこんなことしないんだったっけ。昔はよくやってたから癖でついやってしまった。
「すごくおいしいから、兄様も食べて。それに元々兄様のだしさ」
「あ……、そうだったな。じゃあいただこうか」
兄様はそう言ってボクの持っているからあげを食べようとして、その寸前でぴたっ、と止まった。
「……兄様?」
よく見ると顔を赤くして、困ったように視線を漂わせていた。どうしたんだろう、ボクにからあげを食べている姿を見られたくないとか? いや、さすがにそれはないよね。それにもし嫌だったとしてもボクが食べているのを見てたんだからおあいこである。
兄様はしばらくそうした後、ボクを一瞥してから意を決したようにからあげをまるごと口に入れ、そっぽを向いてからあげを咀嚼した。後ろを向くのは卑怯じゃないか、兄様よ。
こうなれば意地でも一目見ておかなくては、と覗き込もうとすると、兄様はボクの手を掴んでそれを止めた。無理にでも見ようとするけれど、力が強くて表情は見れなかった。でも耳が赤かったので、やっぱり熱かったのだろうか。まさか一口でいくとは思わなかったから熱いと思ってたんだ。揚げたてだったからね、からあげ。さすがの兄様も涼しい顔で食べきることはできなかっただろう。熱さに苦戦する兄様を見たかったが、今回はこれでよしとしよう。
兄様はからあげを食べ終えると、ボクの手元からまだ一個残っているからあげの箱を取り上げて、ボクの口元にからあげを持ってきた。
「はい、ルミア」
……兄様が笑顔であーんすると相当な破壊力だな。ボクがボクじゃなかったら卒倒してたぞ。もしかして兄様が女たらしたる所以はこういうところ? だとしたは今ボクは一つ技を伝授したことになってしまう。あぁ、やってしまった。おそらくこれの犠牲になってしまうであろう主人公さん、ごめんなさい。今度からは軽率にこんなことはしないでおこう。
そう胸に誓いながらも、兄様が差し出してきたからあげにかじりついた。うん、やっぱりおいしい。食べてよかった。
「そろそろ行こうか」
「うん、ありがとう」
兄様に手を引かれて歩いていくと、着いたの今回の目的である服屋さん……なんだけど。
「……兄様?」
「どうした?」
「ここはボクが求めている服が売ってないように見えるけど」
中に入らなくてもショーウィンドウに並べられている服を見ればわかる。ふわふわしたスカートやレースをあしらったワンピースがこれみよがしに鎮座している。どう見てもかわいい女の子向けだ。以前の姿なら似合ったかもしれないけど、今のボクには絶対に似合わない自信がある。ボクには着こなせない。
兄様に非難の目を向けても、兄様から返ってきたのはそれはもう楽しそうな笑顔のみだった。
「嫌! 嫌だから! いらないよこの服!」
「大丈夫だ、一回着てくれれば満足できる。だが、欲を言えば写真は撮らせてほしい」
「着ないよ! なんでカメラ持ってきてるの!」
というかこのためだけにカメラ持ってきてるの!? 兄様のこと信頼してたボクが馬鹿だった。こんなことならイリスさんかセザールさんをつれてくれば。
「ちなみにこのカメラは使用人一同から渡されたものだ」
「全員ぐるかよ!」
家の中に味方はいなかった。いや、いつもは味方だったはずなのに、どうしてそこは満場一致してしまうのか。というか皆ボクにかわいい服着てほしかったのか、笑いものにしたいだけなのかどっちなんだ。ボクの予想では半分以上の使用人さんは後者である。セザールさんを含む。
ずるずると兄様に引っ張られていき、最終的には兄様が選んだ服を全部着ることになったし、写真も撮られた。そしてボクに着せた服は全部残らず購入した。店側にも迷惑かけちゃったし、行為としては当然だ。でも一度着ただけの服を全部買って風化させてしまうのも、それはそれで勿体ないと思うのはボクだけだろうか。ボクはもう絶対着たくはないけれど。髪伸びる頃にはもう着れないだろうし。
やっとのことでお店を出ると、兄様が満足そうな顔をしているのがわかった。うう、そんな顔をされると、まあいっか、みたいな気持ちにされてしまう。ボクなんだかんだで兄様に弱いな。いつも押しに負けている気がする。
「あ、ルミア。疲れさせた後で申し訳ないんだが、もう一件寄りたいところがあるんだ」
「え? もう服は買ったよね?」
ボクが普段使いできる服は一着もないが。
「いや、こっちは俺の趣味というか……、むしろここからがお前の、うわっ!?」
兄様が話している途中に誰かに背中を押され、その衝撃で繋いでいた手が離れてしまった。しまった、と思う頃にはもう遅く、ボクは人混みに飲まれ、あっという間に兄様の姿が見えなくなってしまった。戻ろうにも人の波を縫って進むのは、この身体では難しく、むしろ流されていってしまう。
そのままどんどん流されていって、人混みから放り出されたときには前も後ろもわからなくなってしまっていた。
「……ボク、もしかして今迷子?」
知らない街並みがボクの視界いっぱいに広がっていた。