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開始の合図

 水着に着替えて、なぜかラフィネの上着を着ることになってしまったが、さあ泳ぐぞ、となった直後、衝撃の真実が発覚した。


「泳ぐって言われてもな……川があったら水だけ飲んでた派なんだが。極力飲み水汚したくなくて。たまには一々水汲んで身体洗ってたが」


「俺は川の中くらいには入ったことあるぞ。一時期家がなかったからな」


「私はそもそもプールにも川にも入った経験はないですね。というか、改めて聞くとなかなか壮絶ですねぇ、お二人の幼少期」


 六人中三人が泳げないのだ。うん、でもよく考えたらそうだよな。泳ぐ機会がないんだから、当然泳げるはずもないよな。それはそうだ。何一つ考えてなかったボクがバカだった。

 ……ところで、フランはそういう理屈でわかるし、兄様の一時期家がなかったって話もなんとなくわかるのだけど、ルドヴィンの話は何なのだろうか。どういう状況なんだ。過去に何かあったのは間違いないだろう。フランも何か知っているようだし……。気になるけど、ちょっと暗そうな過去の話を、ずけずけと聞くのは無粋である。大人しく口をつぐむことにした。


 逆に考えると、なぜエドガーさんとラフィネは泳げるのだろうか。二人とも平民ではあるのだけど、はたして泳ぐような機会があったのだろうか、と思うと微妙である。どちらも水泳に興味がなさそうなタイプだ。

 そう思って聞いてみると、快く教えてくれた。


「おれは何があってもいいように長時間潜水できるようになっとけって言われて……ああ! 思い出すだけで身の毛がよだつっすよ! あのお陰で泳ぐのはうまくなったっすけど、もう一回あれやるってなったら、もうおれ耐えられないっす! 死刑宣告みたいなもんっすもん!」


「いや、それ誰に言われるの。そしてどんな苦しみを味わったの。あ、僕は普通に、父さんが海とか好きだっただけ。ちょっと遠いところだったけど、誰でも自由に泳げたから、家族でよく行ったりした」


 エドガーさんはずいぶんと悪い思い出のようだったが、ラフィネは心温まる思い出があるようだ。なるほど、それなら泳げる理由についても納得である。エドガーさんの言っていた、長時間潜水できるように、って言うのはちょっとよくわからないが。


「そういえばルミアはどうして泳げるの?っていうか、泳げるって断言できるの? 泳いだことなんてないでしょ?」


 うっ、痛いところを突かれた。ここは何とか誤魔化さなければ。前世で泳いでたからですとは言えない。


「それは、その……誰にも知られずこっそりと……」


「家の近くに水辺はなかったはずが」


 それはボクも知ってるよ! 兄様。でも他に上手い言い訳がなくて……あっ、そうだ!


「お風呂で! お風呂でよく泳いでたんだ! ほら、家のお風呂広いから!」


 今思えば、何でこんなに大きいんだろうと思うくらいの広さだった。一人で入るには広すぎていまいちくつろげないけれど、イリスさんに一緒に入ってほしいと言うのも子供っぽくて憚られたので、というか、絶対にセザールさんがバカにしてくるので、ずっと一人で入っていた。最近ではすっかり慣れてしまっていたが、あの広さなら泳ぐことくらいできる。

 そう思って言ったのだが、ボクの言葉を聞いて、フランは小動物でも見て和むかのように笑った。


「かわいいですね、ルミアちゃん」


「えっ、かわ、何で」


「ふふ、ごめんなさい。お風呂で泳ぐなんて初めて聞いたものですから。想像すると微笑ましくなっちゃって」


 ……今すぐ前言撤回したい。


 よく考えたら、いやよく考えなくても、お風呂で泳ぐなんて普通は子供しかしないじゃないか! 本当は泳いでないんだけどね! 泳ぎたくなったことはあるけど、未遂だから! だけど本当のことを言っても確実に信じてもらえないのはわかっている。それならこの場は恥を忍んで耐えるしかない。

 ぐっ、でもやつあたりくらいなら許されるか!?


「そんなに笑うならこうだー!」


「きゃー! やめてください、ルミアちゃーん!」


 ずっと笑い続けていたフランをくすぐると、負けじとフランもくすぐり返してきた。そんな風にしてくすぐり合いながらはしゃいでいると、突然、二人は引き裂かれてしまった。びっくりして見上げると、ルドヴィンがばつが悪そうな顔でボクらを見下ろしていた。


「いちゃつくのはそこまでだ女子ども。いいからとっととプールに入れ」


「あはは、さすがにこのままだとおれたちもいたたまれなくなるっすからねー」


 どうしていたたまれなくなるんだろうか。ボクたちは遊んでいただけなんだけどなぁ。

 まあ言われたことは正論だ。プールに来る機会なんてほとんどないんだし、入らなければ意味がない。でも折角だから泳げない人を泳げるようにしたいよね……、よし。


「じゃあ泳げる人も泳げない人も三人ずつだし、二人一組で泳ぎ方を教えようか」


「それはちょっときついんじゃない?」


 ボクが提案すると、ラフィネが即座にそう言ってきた。どうしてだろうか、と一瞬思ったが、すぐにその理由が理解できた。


「私、ルミアちゃんがいいです」


「俺もルミアがいい」


「おっ、じゃあオレも」


 ほらね、と言うような目でラフィネが見てきた。そうだね。泳げない人メンバーの組み合わせが悪かった。フランと兄様が揃っている時点で、自然と組むなんてことはできない。というかルドヴィンは完全にノリで言ってるじゃないか!

 どうしようか、と考えあぐねていると、エドガーさんが元気よく声をあげた。


「はいはーい! じゃあ、このボールで決めるっすよ!」


 そう言ってエドガーさんは、どこからか持ってきた、数字が書かれたたくさんのボールを見せてきた。でも一体これでどうやって決めるんだ?


「このボール、一から十までのどれかの数字が書かれてるんすよ。そしてそれぞれ数字が書かれてるのが全部二個ずつ、つまりは合計で二十個、ボールがあるんすね。これをー」


 エドガーさんはボールをバケツから取り出して、プールにそれらを投げ始めた。突然のことに驚いていると、エドガーさんは途中で投げるのを止め、くるりとまたこちらに向き直った。


「ちょうど一セット分投げました。この中に残ったのはバラバラの数字が書かれた十個のみっす。これはプールじゃなくて床にばらまくっすよ」


 そう言いながら、エドガーさんはバケツをひっくり返して、ボールをごちゃまぜにして床に置いた。その上、数字の面は全て床の方を向いていて、見ただけではどれにどの番号が書かれているのかわからない。

 プールに投げられたのも同じく、外からではどれにどの番号が書かれているのかはわからなかった。


 全てを置き終わると、エドガーさんはにこにこと、楽しそうな笑顔で言った。


「床のをルドヴィン様たちが、プールのをおれたちが一人一つずつ取って、番号が揃ったらその人とペアになるって言うのはどうっすか? これならちょっと時間はかかるっすけど、確実に二人一組を決めることができるっすよ!」


 ふむ、確かにそれなら揉めることもなく、多少は揉めるかもしれないが、恨みっこなしだ。ゲーム性もあって悪くない決め方である。


「結構いいかもね。お風呂で泳ぎの練習したルミアの実力も測れるし」


「ふっふーん、まあラフィネよりは泳げる自信はあるよ」


「どこから来るの、その自信」


 前世からかな、とは言えない。実際はそうなんだけれども。

 でもラフィネの言うとおり、思いっきり泳ぐいい機会でもある。感覚は覚えているものの、多少はなまっているだろうし、何よりこの身体をそういう風に使ったことはないから、ウォーミングアップにちょうどいい。


「よし、それでいこう。皆もそれでいい?」


「異論はないぜ」


「右に同じだ」


「それなら問題ありませんよ」


「やったー! おれの案が採用されたっすー!」


 よかったね、エドガーさん。そう思いながら、髪を結んだ後、ボクらは三人でプールの中に入り、準備万端の状態にした。

 そして、全員が配置についた後、エドガーさんは高らかに声を発した。


「それでは一回目、スタートっす!!」

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