出発前夜
寮を抜け出して、星空の下を走り出す。今日は修学旅行の前日だ。明日のために早く寝た方がいい。そう思ってはいるのだけれど、何だか寝付けなくて、目的の場所へ向けて走っていると、ゆったりと歩いている二つの影を発見できた。
よかった、まだ彼らの寮に戻っていなかった。そう思いながら、ボクは追いかけながら大きな声で二人に呼びかけた。
「イリスさーん、セザールさーん!」
ボクの呼びかけに、二人とも立ち止まり、うろたえているようだった。二人の驚いた声がはっきりと聞こえてきた。その間に近くまで駆け寄ると、二人の表情が想像していたものとそっくりだったので、思わず笑ってしまった。
「もー、どうしたんですか、ルミア様。早く寝ないと明日に差し支えますよ」
「何か不備がございましたか」
「いや、そんなことはないよ。ただちょっと寝付けなくてさ」
フランにしばらく付き合ってもらおうかとも思ったが、明日の準備で疲れたのか、すぐに寝てしまった。一方ボクはと言うと、ベッドに入って横になってみても、全然眠くならなかったので、先ほど別れたばかりの二人を追いかけてきたと言うわけだ。
「あ、もしかして、明日が楽しみで眠れないんですか!? ルミア様ったら、本当、子供ですねー」
「違うよ、って言いたいところだけど、まあそれもあるかな」
修学旅行なんて行ったことがないのだ。修学旅行に限ったことではなく、旅行の類いは一度も経験したことがないのだ。合宿くらいならあるが、それはさすがに旅行とは言い難いだろうし。子供っぽいかもしれないけれど、楽しみで眠れないと言うのは否定できない。
イリスさんもセザールさんも、ボクの言葉に対して微笑みを返した。
「ふふ、かわいらしいですね」
「ルミア様、あんまり遠出したことなかったですもんねー。楽しんできてくださいよ!」
「うん、ありがとう。楽しんでくるよ」
修学旅行に使用人さんはついてこれないらしい。だから明日から約三日間は二人に会えないと言うことだ。
幼い頃から毎日顔を合わせていた二人と、ほんの少しの間だったとしても会えないのは、正直心細い。他の皆と会えないのも寂しいけど、過ごしてきた時間が違うからか、この二人と別れることの方が、その気持ちは強く感じた。もしかしたらこの心細さが、ボクが今眠れない理由と関係あるのかもしれない。
笑顔でいてくれている二人に、意を決してボクは言った。
「でもそれだけじゃなくてね。……何だか胸騒ぎがするんだ。良くないことが起こるような、そんな気がする」
ボクは一週間前に行われた班決めの日から、妙に嫌な予感がしていた。班決めのあの状況を思い出すと、どうにも変なような気がしたのだ。その原因というのは、主人公さん、もといベル・フォンダートさんだ。
あの時は男性の勢いや、それに対するフランの怒りが衝撃すぎて、何の疑問も持っていなかったが、よくよく考えるとフォンダートさんのあの様子はおかしいんじゃないだろうか。
ボクは抜けろと言われたとき、あの男性がボクのことを嫌っているからそう言われているんだと思っていたが、心の優しいフォンダートさんが、それに対してお願いしますなんて言うのか?
フォンダートさんの性格なんて、ボクの想像にすぎないと言われてしまえばそれまでだが、どうにも違和感があるような気がした。彼女は自分のために人が押し退けられてもいいなんて、思うような人なのだろうか。どちらかと言うと、そういうことはルミアがしそうなものだけれど。
それにフォンダートさんは兄様を下げるようなことも言っていた。せめてそれが真実ならば、言わなければいけないことかもしれないが、フランと兄様に嘘だと証明されてしまっていた。
ならばどうしてあんな嘘をついていたのだろうか。というかそもそも、ルドヴィンならまだ可能性があるにしろ、どうしてどちらかと言うと堅物な兄様に対して、ナンパされたなんて言ったんだろう。真面目で女性が嫌いな兄様がそんなことをするなんて言っても、ほぼ信じてもらえないはずなのに。
……つまり、正直に言ってしまえば、ボクはフォンダートさんを警戒している。姿はボクが絵に描いたベル・ファンダートそのままだが、何だか中身が違っている気がする。友人の話では誰にでも心優しい、分け隔てない女の子だと聞いていたし、おそらくボクのこの考えは間違ってないだろう。
なら、これはボクの、ルミアの設定が変わってしまったことに関係しているのだろうか。中身はもちろん、外見も全く違うし、もしかしたら人間関係さえも違うかもしれない。そのことがゲームの内容に影響を及ぼしてしまっている可能性が……。
「大丈夫ですか、ルミア様。お顔色が悪いように窺えます」
その言葉とともに、頬にひやりと冷たい手が添えられた。イリスさんの手だ。いけない、つい考え込んでしまった。早く安心させてあげないと。
「大丈夫だよ、元気元気」
そう言って笑顔を作るが、イリスさんは心配そうな顔をしていた。ううん、ボク、そんなに酷い顔してるだろうか。体調が悪いわけではないのだけれど。
そう思って、何とか安心してもらおうと、笑顔を作り直していると、セザールさんが少し怒ったような顔をして口を開いた。
「もう! ルミア様嘘下手くそなんですから、無駄に気を使わないでくれませんかね! 不安なときは不安って言ってくれた方がよっぽどいいんですからね!」
そう言いながらも、セザールさんはわしゃわしゃと撫でた。その手つきは乱暴だったけど、何だか暖かみがあった。
「あー、心配ですねー! 俺らがいなくてやっていけるのかが不安で不安で仕方ないですよ! こんなに使用人を心配させるなんて悪い主人だなぁ!」
そうぶっきらぼうに言うセザールさんの言葉に続いて、イリスさんもボクの頬を優しく撫でながら、声を発した。
「そうですね。明日からルミア様がわたくしたちの目の届かないところへと行ってしまうなんて、心配で仕方がありません。ですから、いつもの明るい笑顔で出発なさっていただかなければ、夜も眠れない日々を過ごしてしまいます」
二人の言葉を、撫でられながら聞いていると、不思議と不安は薄れてきた。嫌な予感は消えることはなかったけれど、何だか全部上手く行くような気がしてきた。
イリスさんもセザールさんも、すごいなぁ。ボクを元気付ける方法なんてわかってるんだ。それが酷く心地いい。この人たちがいなかったら、ボクはこの世界で暮らしていけなかったかもしれない、って言うのは言い過ぎだろうか。
「あっ、めっちゃ良いこと考えました! 今度三人でどっか旅行に行きましょうよ! 俺ら三人ならどこに行っても楽しめますよ!」
「それはいい考えだと思うけれど、いいのかしら。一介の使用人がルミア様を連れ回すだなんて」
「連れ回すなんて言ってねーよ! ルミア様の旅行に同行するって形なら問題ないだろってことだよ!」
二人の様子に自然と笑顔になった。そうだ、嫌な予感の後には必ず楽しいことが待っている。それなのに何を不安になることがあるだろうか。いや、そんなもの今のボクからはすっかり消え失せてしまった。
「いいよ、何だって。どこへでも連れていってよ、約束だからね」
ボクがそう言うと、二人は満面の笑みで言ってくれた。
「「仰せのままに、ルミア様」」




