不吉な予感と魔法使い
さすがに抱き上げられたまま初対面の人に会うのは憚られたので、生徒会室の前で下ろしてもらって、いざ、生徒会室に入ると、イメージしていた生徒会室とはかけ離れた、妙な臭いがした。中は薄暗くてよく見えない。けれど、ゆらり、と一つの影が動いて、こちらを見たような気がした。
ルドヴィンは異臭に顔をしかめながら、部屋の中の人影に呼びかけた。
「おい、生徒会室で実験をするなって何度も言っただろ!」
そう言ってルドヴィンはずかずかと中に進んでいくと、思いっきりカーテンを開けた。すると、中には一人の女の子が足を机に乗せた状態で、椅子に座っていた。
一見普通の女の子のように見えるが、手には試験管を持っているし、目の前の机には色とりどりの薬品らしきものが入ったビーカーが何個もあるし、口にはキセルでも加えるかのように、化学の実験で使うガラスの棒のようなものを咥えていた。一言で表すなら、普通じゃない。とてもじゃないが普通の女の子には見えなくなった。
「オウオゥ、何言ってるかちょっとわかんないデゴザイマスデスネー。ソンナコトヨリ我輩、待ちくたびれたデスヨー。ハイ、お土産ヨコセヨ」
そう言って女の子はルドヴィンに手を差し出した。どうやら話を聞いた限りお土産の催促らしい。ルドヴィンはため息をついて一蹴した。
「調子に乗ったバカが絡んできただけだからそんなもんあるか。それよりアンドレはどうした。お前を見張っておくように言ったはずだが?」
「ハー? アンタにはアンドレ・カルティエに命令する権限なんてないデゴザイマスデスヨネー? デスガ、かわいそーなので教えてあげない事はないデゴザイマース! アンドレ・カルティエは何者かにオヨビダシをされて現在退席中デアリマス」
女の子はルドヴィンをバカにしたようにそう言った。
……よくよく聞けば彼女の話し方には流暢なところと片言なところがあるのに気づいた。ところどころ不思議な言い回しをしているし、もしかして他国の人なのだろうか。
「ソレヨリモ、調子乗ったバカと言うのはコナール・ニコラのことデゴザイマスデスカー? いつもいつもグチグチ言って、ミミにタコがデキソウデース」
「なんならお前も一回会ってみるか?」
「それはゴメンコウムリマース」
そう言いながら女の子は立ち上がり、ルドヴィンの方に行くのかと思いきや、こっちに近づいてきた。そしてボクの両頬に手を添えて、顔をあげさせてきた。
「!?」
「ホウホゥ、これはこれは他者とはチガッタプリンセスデスネ。ちんまいデスガ、美しい瞳をしていマスデス。レモン汁のようで我輩は大好きデスヨ。オナマエお聞かせ願いタイデスネー」
突然のことに動揺して、状況がまだ飲み込めないでいると、女の子は、ハッとしたような仕草をしてまた口を開いた。
「申し遅れマシタデゴザイマス。我輩、名をティチアーノ・アゴスティネッリと申すデス。アー、アレデスネ。生物学上ハ女というヤツデース。サテサテ、マドモアゼルのオナマエをお聞かせクダサイネ」
ティチアーノ・アゴスティネッリ。あまりこの国では聞かない名前だ。やはり他の国の人なのだろうか。見たことないくらい肌が白くて、まるで雪のようだ。
それはともかく、丁寧に名乗ってくれたが、女の子、もといティチアーノさんは両頬に置いた手を離す気はないらしい。少々気になるが自己紹介されたからには返さなければ。
「ボクの名前はルミア・カルティエです。えーと、あ、女です」
「見ればわかる自己紹介し合うじゃない」
そう言われても何を言ったらいいかがわからないのだ。ティチアーノさんも自分の名前と性別しか言っていないし、言われたこと以上に何か言おうにも、そんなにパッとは出てこなかった。それでもティチアーノさん的にはよかったようで、満足げに頷いてくれた。
「貴女がルミア・カルティエデスタカ。お話は伺ってオリマスデスヨ。何でもソコニイル男を骨抜きにシテ射止めッ」
ティチアーノさんが何かを言い終わる前に、ルドヴィンに手刀をくらっていた。女の子なのに容赦がなさすぎる。
「乱暴デスネー、暴力反対デスヨ」
「お前が余計なことを言おうとするからだ」
不服なのか、ティチアーノさんはルドヴィンを睨んだ後、助けを求めるような目でボクを見た。
「プリンセス・ルミアー、コノ乱暴者は選ばない方が身のためデスヨー。コンナコトする男、貴女はお嫌いデスネー?」
「お前今度こそ化学室出入り禁止にするぞ」
そう言ってルドヴィンがティチアーノさんにまた手刀をくらわそうとしていたので、慌てて言葉を発した。
「ええっと、ルドヴィンのことは嫌いじゃないけど、あんまり女の子に暴力を振るうのはよくない、と思うよ」
ボクがそう言うと、ルドヴィンが振り上げた手はぴたりと止まり、ティチアーノさんの頭の上に行くことなく、静かに下ろされた。その隙に、ティチアーノさんはボクの後ろに回り、ボクを盾にするかのように後ろから顔を出した。
「雑魚デスネー、ルドヴィン・アランヴェール。ホレタヨワミというヤツデスカー?」
「……こいつが会わせたかった奴だ。こいつは寝ても覚めても化学室に入り浸ってるような奴で」
「トコロデ、プリンセス・ルミアのことをオナマエで呼んであげないんデゴザイマスデスカー? 何照れてるんデスカ、キモチワルッ」
「お前黙ってろ!」
ティチアーノさんが言っていることはよく理解できなかったが、ルドヴィンをちょっと怒らせるくらいのことだったらしい。ヒエー、怖い怖い、と言いながらも、ティチアーノさんは黙ってボクの後ろに隠れた。
ルドヴィンはティチアーノさんが完全に喋らなくなったのを確認すると、さっきまでの言葉の続きを話し始めた。
「とにかく、ティチアーノは朝から晩までずっと化学室にいる変わり者だ。一応生徒会に名を連ねているから仕事はするが、自主的に生徒会室に来ることは全くないと言っていい」
後ろから小さく、心外デスネー、と声がした。ティチアーノさん、生徒会に入ってるのか。正直意外だ。いかにも実験大好きって感じの風貌だったから、生徒会なんて入らない人かと思ってた。
それは口に出さずに、ルドヴィンの話の続きを聞こうと耳を傾けたが、それに反してルドヴィンは言いにくそうにしながらも、ぽつぽつと言葉を紡ぎだした。
「例えば、全校生徒が鬼ごっこをしだしたとしよう」
「いや、それどういう状況なの」
ありえなさそうな言葉につい突っ込んでしまったが、ルドヴィンは至って真剣な表情だ。どうやら真面目な話らしい。とりあえず聞くだけ聞いてみないと。
「お前は逃げる側だ。絶対に逃げる側だ。鬼は全校生徒だから絶対に立ち向かおうとするな」
普通鬼には立ち向かわないと思うし、全校生徒が相手なら勝ち目はないと思うんだけど。何だか言っていることが変だ。それでもルドヴィンは笑みすら消して話しているので、突っ込みはしなかった。
「そして逃げる先は必ず、ティチアーノのいる化学室にしろ。そうすればティチアーノが、正確に言えばティチアーノの薬品がお前を守ってくれる。いいか、必ずそうしろよ」
……どういうことだ? まるで本当に全校生徒との鬼ごっこがあるかのような言い方だ。ルドヴィンは一体、何を考えているんだ? もしかして、最近の周りの視線と関係あるのか?
「もしもの話だ。この話が役に立つ日が来ない方がよっぽどいい。だが、この事を覚えとけよ」
どうにも嫌な予感がしてならない、とルドヴィンは重々しい声色でそう言った。それを聞いて、本当にルドヴィンの予感が的中するような気がした。ボクの勘は当たるけれど、今この時だけは当たってほしくないと思った。
重くなってしまった空気を感じ取ってか、ティチアーノさんはボクの身体に腕を回して、右手でピースサインを作った。
「大丈夫デゴザイマスデスヨ。我輩の魔法で全員吹き飛ばしてやるデスカラネ」
「……それもそうだな。魔法じゃなくて薬品だが、頼んだぞ」
「もちのろんデゴザイマース。プリンセス・ルミア、貴女の魔法使いめにお任せクダサイデスネー」
「ま、魔法使い?」
急に現在味のない言葉が出て来て驚いたが、ティチアーノさんは肯定するかのように、ボクに向けてウインクをした。
「正解デスヨ、貴女はドーンと構えていれば万事オーケーナンデゴザイマスヨ。暗い話はサテオイテ、間近に迫った修学旅行のコトを考えていた方が有意義デスネー」
「え? 修学旅行って?」
そんなこと初耳なんだが。え? 担任の先生もそんなこと言ってなかったような……。
「ああ、そういえば今年お前は参加するのか?」
「守るべきプリンセスがデキテシマッタデスカラネー、ヤムヲエナイデスガ、ソウさせていただくデゴザイマスデスヨ」
守るべきプリンセスって、さっきまでの話から察するにボクのことだな!? 全学年で、近々修学旅行があるってこと!? ボクは何も聞いてないんだけど?
突然の一大イベントの話に驚愕していると、その様子に気づいたのか、ティチアーノさんが思い出したかのように言った。
「ソウイエバ毎年、一年生は班決めの際に知らされるんデゴザイマスネー。クダランサプライズだとは思うデスケド、サキニ言ってしまった罪悪感あるデスヨー」
「今さらだろ。あ、明後日班決めだからな。説明終わったらすぐに合流するぞ」
「班って学年ごとじゃないの?」
「? いや、どの学年の奴とでも組んでいいことになっている」
重大イベントの班決めが明後日か。とんでもないことを聞いてしまった……。どうしよう、ラフィネやフランに隠し通せるだろうか。修学旅行か……楽しみだなぁ!
不穏な気配はどこへやら、修学旅行へ思いを募らせながら、生徒会室を後にした。




