敵意
学園に入ってしばらく、特に何事もない日々を過ごしてきたはずなのだが、何だか生徒たちの様子がおかしいような気がする。最初こそ物珍しさからか、それとも兄様がたくさん話をしてしまっていたという結果なのか、奇異の目で見られていたが、それも次第に治まってきていた。
しかし、最近はどうにも変だ。以前と同様、見られているのはわかっているのだが、前と同じように好奇心で見てきているのではなく、こう、悪意のこもったような、敵意を向けているような感じが……。
「ルミアちゃん! ボーッとしてないで構ってください!」
「わっ、フラン!」
周りの視線のことを考えていると、フランが急に前から飛び付いてきた。あまりにも突然だったので、少しよろめいたが、後ろからイリスさんが支えてくれた。
「ほら、私、本読み終わちゃって暇ですよ。お話ししましょう」
「フランソワーズ様のおっしゃるとおり、折角ご友人といらっしゃるのですから、お一人で考え込まず、ご友人との時間を大切にするべきです」
……それもそうだな。こういうことは暇を持て余している時に考えよう。三年もあるといっても、言い換えればたった三年しかないのだ。フランとこうして過ごせる時間も卒業したら、ぐっと少なくなるだろう。今この時間を大切にしなくては。
「そうだね、ごめん」
「いいんですよ!」
そう言ってフランはにこにこと笑った後、思い出したかのように、あっ、と声をあげた。
「そういえばルミアちゃんにお伝えするのを忘れてました! 今日はルミアちゃんに紹介したい人がいるので、ここまで迎えにくるって、ルドヴィン様が言ってました!」
「ルドヴィンが? って、えっ!? 今日!?」
もう放課後だし、すぐ来てしまうんじゃないか!?
そう思った瞬間、ボクの隣にふわり、と風が吹いた気がした。バッ、とそちらを見ると、いつものように笑った表情のルドヴィンがすでにそこに立っていた。そして一瞬遅れて気づいた教室の女の子たちからは、黄色い声があがり、ルドヴィンを呼ぶ声も聞こえた。
しかし、ルドヴィンは一切そちらに目を向けることなく、フランに向かって呆れ顔で言った。
「なんだ、フランソワーズ嬢。念のため三日前に言っておいたのに伝え忘れていたのか。間抜けだな」
「ううん、これに関しては返す言葉がありませんね。ごめんなさい」
そう謝るフランの声は完全に棒読みだった。もしかして全く反省してないな? まあ今回迷惑かけた相手はルドヴィンだからなぁ。意外とフランはボクやエドガーさん以外にはドライである。
フランのあからさまな様子にルドヴィンも当然気づいているようで、苦笑いをしながらため息をついた。
「……これまでにないくらい中身の入ってない謝罪の言葉のように聞こえたが、まあよしとしてやる」
「わー、ありがとうございます」
「いい加減その棒読み止めろ」
「あはは……ところで、会わせたい人って?」
ほっといたら永遠に続いてしまいそうな掛け合いの流れを切って、本題を聞くと、ルドヴィンは、ああ、忘れてた、と呟いて、ボクの方を向いた。
「後々フランソワーズ嬢やラフィネにも会わせるが、先にお前に会ってもらいたい奴がいてな。今生徒会室に隔離してるんだが、時間はあるか」
「うん、大丈夫……えっ、隔離?」
さらっと口に出しているが、隔離って。生徒会長としてそんなことしていいのだろうか。……いや、待ってくれていると言うことかもしれない。あくまで自主的に。ルドヴィンのことだから本当に隔離している可能性もあるが、そう思っておくことにしよう。
「よし、じゃあすぐに行くぞ。早くしないと逃げ出す可能性がある」
「やっぱり隔離してるの!?」
まるで動物園にいる動物みたいな言い方してるな? 少し落ち着きがない人なのだろうか。それならボクとそう大差ないと思うけど。そういえば昔ルドヴィンに野性動物とか言われたことあるし。……反論は未だにできないが。
「それではわたくしも」
「わわっ、待ってください、イリスさん」
ボクに歩み寄ろうとしたイリスさんの手を、フランは慌てて掴んだ。一体どうしたんだろう? フランはあまり積極的にイリスさんやセザールさんと関わろうとはしないから、こんな光景は初めて見た。
フランはとっさに掴んだ手を握りながら、申し訳なさそうに眉を寄せて、おずおずと話し出した。
「その、私、イリスさんにお話ししたいことがあって……、少しの間でもいいので聞いていただけないでしょうか?」
イリスさんはその言葉を聞いて、困ったようにボクを見た。フランの話を聞いてあげようか、ボクについていこうか、決めかねているのだろう。そう考えたボクはイリスさんに向けて、笑顔で頷いた。すると、イリスさんは柔らかい笑みを返してくれた。そしてフランにも笑いかけて、返事をした。
「承知いたしました。わたくしでよければ話し相手になりましょう」
「あ、ありがとうございます!」
フランが喜んでくれてよかった。何を話すのかは気になるけれど、ボクのいる前では話したくないことかもしれないし、深入りするのはやめておこう。周りに大人の女性はイリスさんしかいないし、何か頼みたいことがあるのだろう。
「それでは、お気をつけていってらっしゃいませ、ルミア様」
「早く帰ってきてくださいね、ルミアちゃん」
「うん、いってきます」
そうしてルドヴィンと一緒に廊下へ出る。確か生徒会室は三階だっけ。遠いなぁ、一階だったらよかったのに。
まあそんなことを思っても生徒会室の場所は変わらない。できるだけ気にせず、ルドヴィンと話ながら向かっていくと、三階の廊下の向こう側から誰かがルドヴィンに話しかけてきた。
「やあ、ルドヴィン。こんなところで奇遇だね」
「あ? 奇遇も何も三年のフロアなんだから会わない方がおかしいだろうが」
「それもそうだがねぇ、つれないことを言う奴だね。おや、そちらの女は、もしやあの?」
そう言って、目の前の男性はじろじろと無遠慮にボクを見てきた。……何だか目付きが気持ちが悪い。初対面のときのルドヴィンのように、値踏みをする、と言う感じではなく、ただ舐めるように見てくる言うか、そんなに見られると気分が悪くなる。
そう思っていると、急に男性は興味をなくしたようにボクから目線を外した。その行為が逆にボクをほっとさせた。
「会わせたい人って、この人?」
もしかして、と思い、ルドヴィンに小声でそう聞くと、ルドヴィンは苦い顔をして、小さく首をふった。
「こんな奴のわけないだろ。こいつはただのバカだ。バカの癖に俺やアンドレの友人面しやがる邪魔な奴」
ルドヴィンは一息にそう言った。ルドヴィンの最初の一言から、うっすらとはわかっていたが、どうやらルドヴィンはこの人が嫌いらしい。これ程までに嫌悪を示すのは珍しいから、余程嫌いなんだろうな。
「何の用だ。オレたちは先を急いでいるんだが?」
「おやおや、そこの小娘とかい? 君も随分重症のようだね。ああ、可哀想に。だが心配ないさ。すぐに僕が君達を呪縛から解き放ってあげるからねぇ」
重症? 呪縛? 何の話をしているんだろうか。だが、何だかボクに友好的ではないことならわかる気がした。
ちら、とルドヴィンを見上げると、どうやら意味がわかっているらしく、不機嫌そうな顔をしていた。そして、いつの間にかボクの手を掴んで、男性に吐き捨てた。
「余計なお世話だ。それ以上言うなら然るべき対処をさせてもらうからな」
「おおっ、怖い怖い」
そう言って男性はボクの横を通りすぎていく、と思った次の瞬間には、ボクの視界は暗くなっていた。感触を感じ取るに、ルドヴィンの腕の中にすっぽり収まっているようだ。……どうしてこんなことに?
驚いていると、男性が微かに笑った声が聞こえた。
「ふふん、あくまで小娘に近寄らせない気なんだねぇ。いやぁ、悲しいよ」
「勝手に悲しんでろ。行くぞ」
ルドヴィンはそのままボクを抱き上げて生徒会室へと向かっていくようだった。急に抱き上げられたので、抗議しようかとも思ったが、まださっきの男性の視線を感じるような気がして、黙ったままルドヴィンの肩口に頭を押しつけた。




