走るのは好き
あの後すぐにボクたちは外に出てきていた。ラフィネもフランも走るのはそこまで好きではないので、渋々と言った感じではあったがちゃんと来てくれた。普段外で遊ぶときは嫌がらずに外に出るけれど、こんなにも嫌がっているのは、することをリレーに限ってしまっているからだろう。
リレーは足が遅い人にとっては苦痛の競技である、と前世で友人に言われたことがある。個人で走るのはまだいいとしても、リレーはチーム戦なので抜かれたりすると罪悪感を感じるし、仲間から陰で非難されると言っていた。ボクは勝敗について全く気にしないタイプだったので、友人に言われて初めてその事実を知った。素直に驚いていたら、友人が苦笑いをしていたことを今でも覚えている。
だが今回は言わば遊びのようなもの。人数もたった六人だ。勝ち負けで何か悪口を言う人は、この中にはいない。それならばボクは大丈夫だろうと思って、リレーを選択した。一人でただ走っているよりもずっと楽しいし、何より一人だけに注目がいくことはない。
それは置いといて、ボクの意見を皆が聞き入れてくれて、庭に来たのはいいが、チーム分けで揉めている真っ最中であった。
「嫌です! ルミアちゃんと一緒がいいです! 私がルミアちゃんにバトンを渡すんですぅ!」
「ちゃんとじゃんけんで決めたじゃん。恨みっこなしでしょ」
「……どうして俺はルミアと同じチームではいけないんだ?」
「お前が化け物級に速いからに決まってんだろ」
公平を期すためにある程度速さが比較的に近いもの同士でじゃんけんして、その勝ち負けでチームを決めることになっていた。兄様とルドヴィン、ラフィネとフラン、そしてボクとエドガーさんがじゃんけんをして決めるはずだったのだ。ボクとエドガーさんはさっさとじゃんけんしてしまって、そのまま別れれたのだけれど、ボクと違うチームになってしまったフランが、ラフィネに変わってほしいと泣きついた。そしてそもそも兄様とルドヴィンはじゃんけんすらしてなかった。その理由をルドヴィンに聞いてみると、
「オレもエドガーもアンドレとお前の下位互換みたいなものだ。お前ら二人が組むと、あと一組がどうなろうと関係なく勝利が決まる。遊びみたいなものだが、どうせなら接戦にしたいだろう?」
とのこと。ボクはそれで普通に納得した。勝ち負けはどうでもいいが、どちらかが圧倒的だと面白味はない。なるほど、いい考えだなとボクは思った。しかし兄様は大変不服そうである。
こんな論争が思いの外長く続いているので、彼らを見ながらただ棒立ちになっているエドガーさんが心配になり、駆け寄っていくと、エドガーさんが小声でボクに言った。
「やべえっすね……」
「はい、まさかこんなことになるとは……」
「フランさん、めちゃめちゃかわいいっすわ」
思わずエドガーさんを凝視してしまった。フランは確かにかわいいが今そこか!? この人全然見てるところ違うな。いや、うん、まあこんなこと気にしてもいないところはエドガーさんらしいと言えばらしいが、まさかそんな発言をするとは。思いもよらなくて驚いてしまった。
「ルミちゃんが書いた絵の時点でちょー美少女だとは思ってたんすけど、実物はもうそれを越えたっすね。女神ですよ、女神。もしかして彼女、花の妖精さんとか? おれの理想の妖精さんの姿っすわ。フランさんまじフェアリー」
「そんな事実は全くないですね」
フランが花の妖精さんだったらおそらくボクなんかに関心を抱かないだろう。確実に人間だ。
だが女神クラスのかわいさであることは認めよう。本人はボクのことをかわいいかわいいと言いまくるせいで言いにくいのだけれど、フランは非常にかわいいのである。ボクの比じゃない。何回かこの子が乙女ゲームのヒロインなんじゃないかと疑ったが、似ても似つかなかったのでその線は途絶えた。そして安心感も増大した。一生大切にしたい友人である。……あれ、そういえば。
「前はフランちゃんって呼んでませんでしたか? いつの間にフランさんになってたんですか?」
以前作戦会議をしていたときは確かにフランちゃんと呼んでいたはずだ。少々疑問に思ったので聞いてみると、エドガーさんは照れているようだった。
「いや~、本当はないしょにしておこうかと思ってたんすけどね、気づいちゃいましたか! 実はフランさんや他の二人の花も大体のイメージがつきまして、フランさんという呼び方はその時の名前ですよ。やっぱりあんなにかわいらしく清らかなフランさんには、ちゃん付けなんてことできないっす! あっ、他の二人とルドヴィン様の名前は、まだ秘密っすよ」
さりげにボクをバカにしてきているような気がしたが、それはさておき。なるほど、そういうことか。さっきまでの質問タイムの間に、全員のイメージを固めることに成功したらしい。一時はどうなることかと思ったが、結果的にうまくいってよかった。ルドヴィンが全員にああやって質問してくれなかったら難しかったかもしれない……。そういえばどうしてルドヴィンはあんなことをやっていたんだ?
「おい、話が丸く収まったぞ。さっさと配置につけ」
声がしたほうを見ると、すぐそこにルドヴィンの顔があった。どうやらボクたちがこそこそと話している間に、収拾がついたようだ。さっさと歩いていってしまうルドヴィンについていって、チームのところへ行く間に、小さな声で、準備ができたら連絡してください、と言うとエドガーさんは微かに頷いた。よし、これでおそらくバッチリだ。
どうやらフランは折れてくれたらしい。ラフィネとルドヴィンがボクのことを待っていた。うわあ、二人並ぶと何か威圧感倍増するな、と思いながら近寄ると、ラフィネが、遅い、と文句を言ってきた。
「順番はラフィネ、お前、オレ、でいく。向こうも同じく走力が低い順でくるからほぼ差はつかないはずだ」
「その言い方されると癪なんだけど。まあ間違ってないから反論の余地もないんだけどさ」
「いやいや、ラフィネもフランも、出会ったときより確実に速くなってるよ。まだまだ伸び代はあるね!」
「……それでもルミアやアンドレに比べたら全然でしょ」
そっけない言い方はしているが、ラフィネはどことなく嬉しそうだ。やっぱりこういうのは全員楽しんでやらなきゃね! それに実際、そう思ってるし。絶対学園入ったら体力テストの結果いいぞ! まあ貴族ばかりの学園で体力テストなんてものがあるのかは疑問だけれど。少なくとも足が速くて悪いことはない。危機的状況から逃げるときにも役立つしね。
「よーし、頑張ってこーい! ラフィネー!」
「はいはい、あんまり大声出さないでよね」
いつの間にか兄様が線を引いていたようでそこそこ大きな楕円が庭に描かれていた。木の枝で無理やり芝生をえぐってしまったせいか、怒られないだろうか……、と呟いているのが聞こえた。怒られる場合はボクも一緒に謝ろう。元々ボクの発案のせいだし。
第一走者と第二走者は半周ずつ、アンカーは一周走るとのことなので、ボクとエドガーさんだけ開始位置が違った。二人で移動しつつ、とりあえず意気込みを聞いてみた。
「正直おれは負ける気しかしないっすね。アンカー頼りっすわ」
「あれ、弱腰ですね」
「まあ自分の実力くらいわかってるつもりっすからねえ、フランさんにいいところ見せたいって言うのはありますけど」
そう話していると向こうから、兄様のよーいドン、と言う声が聞こえた。どうやら始まったらしい。
「フラン、転ばずにいけ」
「いっけー! ラフィネ!」
今から来てもらうのに、行けというのは我ながら謎だが、それはいいとしよう。フランとラフィネは思っていた通り接戦である。抜きつ抜かれつを繰り返して、どちらが早くここまで来るか判断はしにくい。そう思いつつも真剣に二人を見ていると、直線で先に走ってきたのはフランだった。
「はあっ、エドガーさんっ」
「……はい」
そんな二人の様子を横目で見る。エドガーさんは何だか嬉しそうにしていたが、今気にすることはそれではない。ほんの少し遅れてラフィネが走ってきていた。ラフィネのためにもここで巻き返さなければ。
「ごめん、任せた」
「うん、任せて!」
バトンを受け取ってボクはすぐに走り出す。差といってもほんの僅かだ。ボクの速さなら、抜かせる。
あの庭ではエドガーさんに敵わなかったが、本人が言っていたように、あれは単なる生活経験の差なのかもしれない。あんなに遠かったはずのエドガーさんの背に簡単に追いついて抜かしてしまった。残念だったなエドガーさん。フランにいいところは見せられなさそうだ。
そのまま走っていくとエドガーさんをある程度引き離せた。兄様がいくら速いとは言え、ルドヴィンもこれくらいあれば勝機が見えてくるんじゃないだろうか。後は頼んだぞ。
「ルドヴィン!」
「おう」
ルドヴィンにバトンを手渡して、ボクは走りを止める。呆気ないくらい早く走り終わってしまった。ああ、疲れたけど、まだ足りないなぁ。ルドヴィンに応援くらい、してやらないと。
「走り抜け! ルドヴィン!」
ボクがそう大声で言うと、ルドヴィンは微かに笑ったような気がした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「や、やっぱり、速すぎじゃあないのか、あの、化け物……はあ」
「おつかれー、ルドヴィン。まさかああなるとはね。まあ仕方ないでしょ、アンドレだし」
あの後、本気を出した兄様にルドヴィンは颯爽と抜かれ、大差をつけてボクたちは負けた。兄様ってあんなに速かっただろうか。いつも速いがあんなにも速かった覚えがないんだが。
「うーん。ねえ兄様、ボクとのかけっこする時、もしかして手加減してる?」
「いや、そんなことはないぞ。あの時も本気だ」
……どう考えてもあの時より速いような気がするんだが。この前走ったときも同じくらいだったと思うんだけどなぁ。ボクの気のせいか?
「……どう考えてもルドヴィン様への声援のせいだと思うんですけどねぇ。あの時のルミアちゃん、とってもかわいらしい笑顔でしたし」
「……そうですね。おれも、そう思います」
フランとエドガーさんが何か話しているようだが、兄様のスピードの違いに納得がいっていかず、何故かを考えていたボクには、何の話か聞き取れなかった。




