花、薫る
あれからまた一ヶ月も経たないうちにボクたちはルドヴィンの館にやってきた。以前と同じように二人ずつに別れて解散かと思ったが、ルドヴィンはいつもの調子で、前回とは違うことを言い始めた。
「今回はお姫様にも話があるから、エドガーは好きにしていろ」
エドガーさんはそう言われて、驚くこともなく、どこかに去っていってしまった。一方ボクはとても驚いていた。友達なりたいか、みたいなことを聞いてきたのはルドヴィンのはずだ。話ならパパっとこの場でしてしまった方がいいんじゃないだろうか。
そう思いつつも、エドガーさんが完全に見えなくなるまで見届けると、兄様がルドヴィンを見ながらじとっとした目で見た。
「今のは嘘だな、ルドヴィン」
えっ、嘘? そんなの吐く必要があるのか?と思いながらルドヴィンを見ると、ご明察とでも言うように、にやりと口角をあげていた。
「その通りだ。よく気づいたな、アンドレ」
本当に嘘なのか。じゃあどうしてボクとエドガーさんを離れさせたんだ? 仲良くなるなら一緒に過ごさなければなれないと思うのだけど。エドガーさんは気配を消すのがうまいし、この広い建物の中で今からエドガーさんを探せと言われても、できるかどうかは微妙である。秘密の抜け道とかあったら絶対に見つからないだろうし。
「さて、アンドレのお姫様」
ルドヴィンは悪そうな笑顔でボクに語りかけてきた。まるで一つの町の壊滅を部下に指示する、悪役幹部みたいな顔である。確か幼少期に見たアニメにこんな感じの悪役がいた。まあそれよりも百倍、こっちの方がそれらしく見えるけれど。こいつ本当に乙女ゲームの攻略対象なのか。これからそれらしくなっていくのだろうか。まあそれは置いといて。
「なに?」
「うちの庭は荒れ放題だろう」
「そうだね」
「その一角にほんの少しだけ小綺麗な部分があるだろう」
ジャングルみたいな庭の中にひっそりと存在している花壇のことを思い出す。今日もあそこだけはきれいな花々が植えられていた。あまりにも他の場所との差が激しいので、逆に印象深く感じる花壇である。
「うん、それが?」
「今からそこに極力音をたてないように行ってこい」
どういうことだろうか。今はエドガーさんと仲良くなるために行動しなければいけない時だろうに、花壇に行く必要があるのか?
「……それがエドガーさんと関係あるの?」
そう聞いてみると、ルドヴィンはいたずらっ子のような笑みを形作った。
「行ってみてからのお楽しみだ」
一体そこに何が待ち受けているのだろうか。ちら、と兄様を見ても、いってらっしゃい、と笑うだけだった。やはり何か勘づいているのだろうか。だが、兄様に聞いてもルドヴィンに聞いても、花壇に行かないことには何も教えてくれないだろう。とにかく行くしかないか。
兄様にいってきます、と返事をしてから、ボクは玄関まで行って、静かにドアを開けた。
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木の枝一本踏まないように避けていくのはなかなか至難の技だったが、何とかほとんど音をたてずに、花壇の近くまでたどり着いた。ここに何かあるのなら、警戒するに越したことはない、と思いながら、徐々に近づいていくと、ちょうど花壇の方から何か聞こえてきた。そっと耳をすましてみると、それは人の話し声のようだった。
「……で……から…………っすね」
この声はもしかして……そう思いつつ、館の影から花壇を覗いて見ると、やはり想像した通りの人物がそこにはいた。
「やっぱり前回不評だったんすかねぇ。おれ、話すの苦手ですし、愛想もよくないからなぁ。ちょこちょこしてて優しいお嬢ちゃんだとは思ってるんすけど、どうにも人とはうまく話せねぇ。あー、おれの人生終わったっすわ。おれもゼラっちみたいになりてー!」
エドガーさんが花壇の花に話しかけていた。言っていることはとても憂鬱そうだが、逆に声はボクと話すときよりもずいぶん元気である。めちゃくちゃ流暢に話している。
「おれも花だったら人に向かってたくさん話せたのかもなぁ。いや、待てよ。花だったら花の社会でやっていけないのでは!? さらに心ない人に踏まれて命を終えるのはいやっす! ニッちゃんたちも大変っすねー。おれは最期まで大切にしてやるっすからねー。いやぁ、おれもみんなも、ここを自由にしていいって言ってくれたルドヴィン様には毎日感謝しなきゃっすね」
そう言いながらエドガーさんは花に笑いかけている、見にくいけどおそらくそうだ。うーん、話を盗み聞きしたところによると、エドガーさんは人と話すのは苦手だけど、自分が育てている花たちには、本音を包み隠さず話せるということだろうか。口調も軽々しいし。それにどうやら人と接するのが苦手だからという理由で、ルドヴィンが兄様と話し合いをしている間、ボクの相手をすると言う任務から外されたと思っているようだ。全然そんなことはないのだが。
そしてルドヴィンも、エドガーさんのこの状態に気づいている上で、そのまま黙っておいているのだろうか。エドガーさんの様子からして、ルドヴィンに気づかれていることはないはずだ。それだったらこんなに自由に話さないだろう、ルドヴィンと言えども自分の主人なのだ。こんな風に話しているところは見られたくないんじゃないだろうか。……セザールさんは例外とする。
だとすると、今までそのままにしておきながら、今回エドガーさんの秘密のようなものをボクに見せてきた理由はなんだ。これを踏まえて仲良くなれと言うことか? だが相手が人だと言う限り、遊んでいてもそこまでの進展はないように感じる。ならばどうしようか。
今ここでできることはおそらく何もない。ならば一度ここから距離を取って対策を考えよう。そう思いながら一歩を踏み出すと、足下からぱきり、と音がした。まずい、木の枝がこんなところにあったのか。
「! 誰?」
やはり聞こえてしまっているか。ここで逃げてしまえば、犯人が誰かわからないから、きっとエドガーさんはこれからびくびくしながら花に語りかけるようになってしまうかもしれない。仕方ない、ここは大人しく姿を現そう。
「す、すみません、エドガーさん。ボクです」
「あなたは……見苦しい姿をお見せして申し訳ありません」
さっきまで元気だったエドガーさんの声は対人用へと戻ってしまった。やっぱりそうだよね。だがさっきの楽しそうなエドガーさんを見てしまったからには、わがままだろうが、ボクにもああいう風に話してほしい。どうしたらいいのだろうか。……つまりは言い換えると花が相手なら気楽に話せると言うことだよな。
「エドガーさんは色々な花の種類を知っているんですか?」
「……はい。植物は全般好きなので。特に花が好きですが」
「じゃあ、ボクのことを花だと思って接してください」
「……えっ」
ボクのことを動いて話す花だと思ってもらえばいいじゃないか。正直無理があるような気はするけど。やっぱり動いて話す人間型の花ではダメだろうか。実際苦し紛れだし。
「ボクも花たちと同じように接してほしいんです」
「……そうですか」
エドガーさんは遠慮がちにボクをじっと見ながらなにかをぶつぶつ呟いた。そして、ほんの少し明るくなった声で言った。
「メランポジウムって知ってますか」
「メランポジウム?」
話の流れ的に花の名前だろうか。
「そうです。夏に咲く花なんですけど、ちっちゃくて明るい黄色くて、日向を好むんです。暑くても元気よく咲き続け、花言葉も元気、というそれにぴったりなもの。たった一回遊んだだけっすけど、お嬢ちゃんはそれに似てるんすわ」
話している内にだんだんと口調が崩れ、声も大きくなってきた。もしかして、本当にボクを花だと思って接し始めている?
「だから、もし本当にいいなら、その花だと思ってあんたに話しかけていいっすか?」
おずおずと言ったようにエドガーさんはそう聞いてきた。ダメなはずがない。むしろ本当にこんな無茶振りをしてくれるのなら大歓迎だ。
「はい、これからは花みたいに気軽に声をかけてください」
エドガーさんは髪の毛で見えにくいけれど、ふわりと笑ったような気がした。仲良くなれているようだ。嬉しいなぁ。やっぱり人に心を開いてもらえる瞬間というのは感慨深い気持ちになる。
「で、おれ花に名前つけるんすけど」
ふむ、たまに聞こえてきたゼラっちとかニッちゃんとかはエドガーさんがつけた花の名前か。そうやって愛着を持つタイプなのだろう。
「立場上すっげー無礼だとは思ってますけど、これからルミちゃんって呼んでいいっすか?」
「ほ、ほう、ルミちゃん。いいでしょう」
てっきりメランポジウムから取るのかと思っていた。そこは本名を尊重してくれるのか。まあでもその方がこっちも反応しやすくて助かるな。ルミちゃんと呼ばれるのは初めてだけども。
「いえーい、それじゃ、これから何卒よろしくお願いしますね、ルミちゃん」
「こちらこそよろしくお願いします、エドガーさん」
そうして勢いよくボクらはハイタッチをした。仲良くなるとすごく楽しい人だな、とその瞬間に思った。




