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不穏の種

 嵐前の静けさとはまさに今までの日々のことだったんだな、と痛感している。

 今ボクの目の前には一枚の封筒がある。宛名にはきれいとは言えない字で、ボクと兄様の名前が書かれている。差出人の名前は書いていないが、兄様に見せたところ、この封筒と文字は間違いなくルドヴィンからのものだと断言された。最近兄様は仕事が非常に忙しいので、とりあえず一区切りついたら一緒に読んでくれると言っていた。一方ボクは兄様を待ちながら、何度目になるかわからないため息をついた。


 パーティーから一切音沙汰がなかったのに、数ヶ月経った今現在、何の用があるのだろうか。無駄なことはしないと言っていたから、おそらく奴にとっては無駄ではないことのはずだ。だが一体どういう内容が書かれているのかは検討もつかない。正直不気味である。

 それに兄様とボク、二人の名前が書かれているのも気にかかる。また会おうとは言われたが、宛名にボクの名前を書く必要はあるのか? これがただの手紙だったとして、伝えたいことは仲がいいらしい、兄様だけに知らせられればいいだろうし、実際面と向かって会っているわけでもない。だがボクの名前もあるということは、ボクにもこの手紙に目を通してほしいということである。何を企んでいるんだ?


 ……うん、考えようにもまずは封筒の中身を見ないことには始まらない。見るのは嫌だけれど、無視しているのもそこはかとない罪悪感がある。自分のことながら厄介な性分だ。


「ごめんな、ルミア。待たせてしまって」


「兄様! ううん、大丈夫だよ」


 長く封筒に気を取られていたせいか、兄様が歩いてきているのに気がつかなかった。本当は手を休める暇もないくらい忙しいはずなのに、それでもこの一枚の封筒のためだけに来てくれたのは、感謝してもしきれない。全部ルドヴィンのせいということにしよう。


 兄様はボクの目の前にある封筒を手に取ると、手早く封を切った。その中から紙を取り出すと、驚いた表情で紙を見ていた。


「これは……」


「なにが書いてあるの?」


 ボクも兄様に駆け寄って紙を覗くと、そこには宛名の筆跡と同じ字で、招待状と書かれていた。その下には兄様の名前が書かれている。


「招待状?」


「ああ、ルミアの分もあるみたいだ」


 兄様が紙をずらすと、裏からもう一枚紙が出てきた。その招待状には確かにボクの名前が書かれている。


「でも一体何の招待状なんだろう?」


「名前の下にも文字が書かれているな。読んでみよう。……この招待状を持って暇な日に城まで来い。一月以内に来なかったら実力行使で来させるからな。と書いてある」


 猶予があるとはいえ強制じゃないか。なんて横暴な。一月以内に暇な日がなかったらどうするんだ。……兄様のだが。というかこの招待状って効力あるんだろうか。完全に子供の遊びで作られたものに見えるが。

 そう思っていると、兄様は疑問に答えるように口を開いた。


「書いたのがまだ成長段階の子供とはいえ、これを書いたのは自分だと本人が証言したのなら、城に入ることを許可される。ルドヴィン……俺だけでなくルミアにも送るとは、何が狙いだ……?」


 許可されてしまうのか。ならばこれは正真正銘、本物の招待状ということだ。だがそんなものを送ってきたのは何でだ? 招待状の表面だけでなく、封筒の中や招待状の裏を見ても、特には何も書かれていない。目的は完全に隠されている。目的は城の中で言うとか? それなら内容が物として残る形では伝えられないことなのだろうか。……いやそれボクに話す必要ないよな。絶対役に立たないし。じゃあ一体?


 兄様も全く考え付かないようだ。兄様だけなら情勢の話とかだとは思うのだけど。やっぱり何も思いつかないなぁ。うん、こんな時は考えたって仕方ないよね!


「よし、兄様。もう少しだけ付き合ってもらってもいい?」


「……ああ! そうだな、ちょうど俺も気分をすっきりさせたいと思っていたところだ」


 ボクらの気分転換と言えば、もちろん身体を動かすことだ。けれど今回兄様の時間をあまり取ってはいけない。できるだけ短時間で済ませなければ。

 早速二人で庭まで行くと、庭の端の方で立ち止まった。今日は悩み事解決の兆しが全くないのでこのくらいの距離がちょうどいい。


「兄様、ここからあっち側の柵まで競走だよ」


「今日は少し遠めだな。だからと言って、今日も負ける気はないが」


「むっ、今日こそは勝ってみせるよ」


 兄様の息抜きのために何度かやったことがあるけど、未だに兄様に勝てた覚えはない。毎回完敗である。だがこれの本当の目的は勝ち負けを決めることではないので、ただの副産物のようなものである。


 二人でよーいどん!と声を合わせて走り出す。やっぱり本気で走った兄様は速く、余裕で置いていかれてしまう。それが悔しくもあり、嬉しくもある。もちろん圧倒的な差を見せつけられるのは悔しくてたまらないのだけど、遊びではいつも手加減をしている兄様が、手加減抜きで走ってくれるのが何より嬉しいのだ。この時間はあっという間に終わってしまうのだけど、それでもボクは二人で走っているこの時が好きだ。


 兄様が柵までたどり着いて、数秒遅れてボクもたどり着いた。兄様と顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。ああ、何だか初めて兄様と遊んだときを思い出すなぁ。兄様の笑顔を見たのもあれが初めてだった。懐かしい、大切な思い出だ。あの時仲良くなれていなかったら、今は一体どうなっていたんだろうか。


「最初の頃より速くなったな、ルミア」


「当然だよ。兄様にはまだまだ追い付けないけどね」


 いつか追い抜けるさ、と兄様はどこか寂しそうな笑顔で言った。どうしてそんな風に笑うのかわからなくて、何も言えなかった。けれど今のボクにはそんな日が来ることはないような気がした。そう考えるとそれでもいいかもしれない、となぜか思ってしまった。あれ、ボクは兄様に追いつきたいんじゃないのか? ……自分の気持ちもわからなくなってきたんだな。しっかり気を持つように心がけよう。

 兄様はぱっと、表情を変えて、いつもの真面目そうな顔に戻った。


「さて、じゃあ目一杯溜まってた仕事もあと一週間くらいで一段落するから、それが終わったらルドヴィンのところに行ってみるか」


「あー……やっぱり行かなきゃダメかぁ」


 すでに忘れてた。走ることって偉大だな! 嫌なことを一瞬で吹き飛ばしちゃうなんて。まあすぐに思い出さなければいけないから、あんまり意味はないんだが。


「行かないと本当に無理やりつれていかれそうだからな。多少穏便に済ませてしまった方がいいだろう」


「それもそうだね。……あ、でもそっか、大丈夫だ。よし、急に不安じゃなくなってきた」


「ん? どうしてだ?」


「兄様がいるから」


 兄様は他の人がいると、その暴走に加わったりするけれど、二人だけでいると穏やかなので安心するのだ。兄様の顔のよさにももう慣れてしまったし、もはや大好きな兄様と一緒にいて安心しない要素がない。

 ……うん、何もおかしいこと言ってないよな、ボク。なのに何で兄様は顔を背けて俯いてしまったんだろうか。説明するのも長いし、すごく簡潔に伝えたのに。


「ルミア、あんまり人に言っちゃだめだぞ」


「えっ?」


「……そろそろ戻ろうか」


 兄様は質問には答えず、顔をこちらに向けないまま早足で歩いていってしまう。待ってよ、と言いながらボクはそのあとを追いかけた。……機嫌が悪くなってしまったんだろうか。なぜかはわからないが、お詫びの印に今日はオムライスでも作って持っていこうと決めた。

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