愉快犯
こいつとだけはぜっったいに会いたくなかったのに!
今回のパーティーにいても避けられる準備は万全だった。兄様が会わせたくないと言っていたから、ルドヴィンと一緒にいる状態では近づいてこないと踏んでいたし、相手に気づかれずに注意を払う練習もして、全く顔を合わせない自信があったのに! どうしてこんなところにいるんだ!
「それにしてもずいぶん小さくて軽いな。ちゃんと食べてるのか?」
そう言ってルドヴィンはボクを片腕に乗せた状態にも関わらず、その腕を上下に動かした。
「ひいっ! ちょっと、動かすなら下ろしてよ!」
「何だ? 手首も掴んでいるから落ちる心配は不要だ」
そっちはそう思っててもこっちはそうは思わないんだよ! こっちの身にもなってみてくれ。まあボクではこいつを持てそうにないが。ルミアの身体はゲームの設定によるのか華奢だから、どうにもならない要素だ。まだ十歳だから望みはあるだろうか。
こいつから距離をとるために、暴れて無理やり解放されるのも手ではあるけど、落ちるとなると例えそんなに高さがないとしても怖い。できればさっさと下ろしてほしい。ちょっとしか地面と離れていないけれど、ほんの少しでも高いところは苦手なんだ。だが、そのことを、よりによってこいつに言うのは、ボクのプライドが許さなかった。
「……王子だとは知らず、数々のご無礼をお許しください。パーティー会場なら私がご案内いたしますが」
「そういえばそんなものあったな。別に出る予定なんてないが。あと取って付けたような謝罪はやめろ。さっきまでの威勢のいい話し方はどうした」
王子だから一応の敬意を払わなければいけないという気持ちと、とにかくこの場を離れたいという気持ちがない交ぜになって出た言葉は、さらりと拒まれた。どうやら気遣いは不要らしい。まあそんな気はしていたけれど、それはそれとして、なんとかこの状況を脱しなくては。兄様も心配するだろうし。
「じゃあここで何してたの? 庭に来る必要なんてないでしょ」
「それがあるんだよなぁ。なぜなら俺は、招待客ではないんだから。さっき『予定』はないと言っただろ?」
「は!?」
ならこいつ不法侵入者ってことか!? なんでわざわざ侵入しに来たんだ。というかうちの警備ザルかな!? 普通に侵入されてるし、これからはもうちょっと対策立てるように言おう。相手はなかなかの手練れとはいえ対処できるように。ボクも手伝うから。
「厳密に言えば、元招待客だな。招待状は届いたが俺は断ったんだ。あいつの誕生日を祝う必要はないからな」
「なら何でここにいるんだよ。それこそ必要はないだろ?」
ボクがそう返すとルドヴィンはにやついた笑みで笑った。なんだか気味の悪い笑みだ。背筋が寒くなる。
「それはどうだろうな? 誕生日を祝う必要はないとは言ったが、来る必要、いや価値はあると踏んでここに来たんだ。俺は無駄だと思ったことはしない。それに、現に成果はあった」
「……成果?」
成果って何だ。うちの庭から何か盗ったんだろうか。花とか? 花なら君の庭の方がたくさんありそうだけど。何かあっただろうか?
「お前のことだ。アンドレをあれほどまでにのめり込ませ、誑かした女。それが妹であろうと、並大抵の存在のはずがない。一体どんな洗脳を施したかと思えば、こんなちんちくりんとはな。野生動物を愛でているようなものだ」
「……何だか知らないけどバカにされてることはわかるよ」
こいつの言い方、やけにボクを下に見ているな。いや、女性を下に見ていると言う感じだろうか。……違う、こいつは兄様も下に見ているような物言いだ。ボクを挑発してのものか、元がそういう人間なのか、判断はつかないが、少なくともボクに対して好意的ではない。どっちにしても油断ならない。
「いいや? どちらかと言うと褒めてるんだ。お前の口調、姿、そしてその目付き……どれも普通のご令嬢のものじゃあないな。遠い昔の噂では特に他の貴族たちと変わらない娘だと聞いていたが。こんなこともあるものだな。いやぁ、本当に来て正解だった!」
そう言ってルドヴィンは高らかに笑い声を発した。
……ゲームでは本当にこいつなんかと恋愛するのだろうか。パッケージの真ん中にいたってことは主要な存在だったのだろうし、スチルも何枚か見せられたから疑いようもないが、どうにも恋愛向きの存在じゃない。正直友人の趣味を疑ったが、問おうにも友人はいない。どうかあの後目を覚ましてくれたことを祈ろう。
いや、こんなこと考えてる場合じゃなかった。今は目先のことを何とかしないと! というか何で全然下ろしてくれないんだ。そろそろ腕がつらい頃なんじゃないのか。この世界の男の子って超人ばっかなのか? ラフィネは除くとしても。
ああ、下を意識してしまうとどうしても恐怖心が募ってくる。ほんの僅かな距離だと、安全だとわかっているのに身体が震えて涙が出そうになる。堪えなきゃ、今は堪えて……。
「? どうした、お前震えてーー」
「何をしている、ルドヴィン」
その声とともにボクの視界は一転し、気づいたときにはボクは地に足をつけ、暖かなぬくもりに抱き寄せられていた。驚いてその人物を見ると、そこにはいつもよりも怖い顔をした兄様がいた。兄様のぬくもりはすぐに安心した気持ちにさせてくれた。
「おっと、王子様の登場か。よお、アンドレ。邪魔をしている。あ、そうそう、お誕生日おめでとう、だな?」
「何の用だ。お前が来る予定はなかったはずだが?」
兄様が聞いたこともないくらい低い声でそう言うが、ルドヴィンに悪びれた様子はない。兄様に威圧されてこの余裕なんて、やはりただ者ではないな。何を考えているのかわからなくて、いっそ恐ろしい。
「お前が絶賛するわりには数年間、決して会わせたがらない、かわいらしーいお前のお姫様を一目見ようと思ってきたのさ。会場ではお前が巧みに隠しに来ると踏んでな。そしたら思っていたより簡単にうまくいって、笑いが止まらないな」
「今、嫌がるルミアの両手首を掴んで抱き上げていたようだったが、言葉を交わすことに必要だったか?」
「あっはは、動きを封じるためには必要だったな。急に噛みついてくるもんでね、躾がなってないんじゃあないか? お前としたことが」
「それ以上口を開くな」
兄様はボクからそっと手を離して、ルドヴィンの方に走り、高く足をあげ、蹴りかかろうとした。それを見たルドヴィンは懐から、さっきボクの首筋にあてていたものを取り出した。
「兄様!」
兄様もそれに気づいたが、振り下ろした足は急には止められない。兄様の右足に鋭利なナイフがーー。
「っ! ……?」
ナイフに突き刺さったはずの兄様の足には傷一つなく、綺麗なままだった。ルドヴィンが持っているナイフにも血なんてついていない。一体、どういうことだ?
今目の前で起きた現象に驚いていると、ククッ、とルドヴィンがさも愉快そうに笑った。
「本物なんて常備してるはずないだろ? おもちゃだ、おもちゃ。本来手頃のやつにお前の妹がどれかを聞き出すために、脅し用として持ってきたんだが、その意味で使われることはなかったなぁ」
そう言いながらルドヴィンはカシャカシャと、おもちゃナイフの刃を出し入れしてみせた。ならボクはあの時おもちゃに脅えていたということか。そう思うと多少の気恥ずかしさを覚えた。まんまと騙されていたわけだ。
「まあ今日のところは目的を達成したことだし、帰るとするか。だからそんな怖い顔でずっと見るなよ、アンドレ」
「次に妹に手荒な真似をしたらただではすまないぞ」
「はいはい、妹ねぇ……。なあ、アンドレのお姫様」
ルドヴィンはボクの方を見た。何だその呼び方、ボクのことか? 兄様のお姫様ではなく妹なんだが。妙な呼ばれ方に驚いていると、少し距離が離れていたにも関わらず、まばたきをした瞬間にはもう目の前にいた。咄嗟のことで兄様も驚き、目を見開いていた。
「俺もお前にほんの少しだけだが、興味が湧いた。お前といるのは面白そうだ。また会おうぜ」
そしてルドヴィンはボクの左頬を撫でると、一瞬で目の前から消えた。急に撫でられてぞくっとしたが、すぐに辺りを見回しても、影も形もなかった。
「ルミア、大丈夫か?」
心配そうな顔で兄様がボクに駆け寄ってきた。今頬を撫でられたことを伝えると、本当に今度会ったときにはルドヴィンの身が危うそうなのだが、事を大袈裟にはしたくないので、大丈夫だと伝えた。
「それより兄様、どうしてここに?」
「ん? ああ、そうだ。あともう少しで始まってしまうのにお前が戻ってこないから、心配で見に来たんだ。過保護すぎるかと迷ったんだが、しばらくあんな状況だったならもっと早く来るべきだったな」
「そうなんだ……ありがとう、兄様」
兄様がここに来てくれなかったらあのまま醜態を晒していたかもしれなかった。本当によかった。
「お前が無事でよかった。だが予想外の出来事があって疲れただろう。今日はパーティーを欠席して休むか?」
兄様の気遣いが身に染みるが、ボクはその問いに対してすぐに首を横に振った。
「ううん、兄様がボクと一緒に過ごすのを楽しみにしてくれてたし、出席するよ」
「無理はしなくていいんだぞ?」
「無理なんてしてないよ。ボクも兄様と一緒に楽しみたいんだ」
兄様は困ったように眉尻を下げていたが、やがて柔らかく微笑んでくれた。折角兄様の誕生日なんだ。ここからはきちんと笑顔で過ごしてもらいたい。そのためにはボクも頑張らなくては。
そう思いながら、ボクは兄様と一緒に家の中へと戻った。




