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襲来

 いよいよ来てしまった兄様の誕生日。今日という日はさすがの兄様も万年筆を置き、ボクが誕生日おめでとうの言葉とともに渡したハンカチを、今朝からずっと持って喜んでいた。


「俺はこの日のために生まれてきたのかもしれない……」


 兄様はいつもそれ言うなぁ。何度もそういう日があるってことは人生楽しめてるってことだから何よりだ。それがボク関連のことばかりなのが気になるところではあるが。


 そんな幸せそうな兄様とは違い、ボクはひどく緊張していた。叩き込まれたセザールさんからのマナーを頭の中で何度も繰り返す。そんなに難しいことでもないとは思っているのだけれど、いざ慣れていないことをするとなると、緊張してしまうものである。

 今回は兄様への挨拶に立ち会わなくていいらしいが、そうなると兄様も近くにいないし、イリスさんもセザールさんも別に仕事がある。不安すぎてそもそも来ることができないラフィネにも泣きついたが、行けたとしても願い下げだと一蹴されてしまった。はあ……憂鬱だ。

 それに比べて……。


「♪~」


 兄様はボクの隣で鼻歌交じりにハンカチの刺繍を見つめていた。パーティーがある日はいつも機嫌がよくなかった覚えがあるから、自分の誕生日パーティーなんて普通もっと嫌がるんじゃないだろうか。いや、逆に自分のパーティーだからむしろ嬉しかったりするのか? 兄様はそういうタイプではないと思っていたが。


「なんだかいつもより機嫌がいいね?」


 気になってしまったので聞いてみると、兄様は珍しくふにゃふにゃの笑顔でボクを見た。相当上機嫌の証拠だ。


「ああ、自分の誕生日にパーティーなんてかなり嫌だったが、ルミアもその場にいると思うと嬉しくてな。挨拶はほどほどにして長くお前と過ごそうと考えると今からでも楽しい気分になってくる」


「挨拶はほどほどにって……兄様は主役なんだから、そんなことできないんじゃない?」


「ははっ、そこは俺の力の見せ所だ」


 そう言って兄様はボクの頭を優しく撫でた。うーん、ボクとパーティーに出れることが、兄様のやる気に繋がっているなら、それはそれでいいだろうか。本当はすごく抜け出したい気持ちでいっぱいだけれど、兄様のためだと思えば乗り切れるような気がする。気分は沈んだままだけど。


 ……うん、こんな気持ちのままじゃ兄様と純粋にパーティーを楽しむことはできなさそうだ。一度緊張をほぐしにいこう。


「兄様、ちょっと庭に行ってきてもいい?」


「? 構わないが、どうかしたのか?」


「少し外の空気を吸いたくてね」


 そう言うと、兄様はボクが緊張していることに気づいたのか、始まるまでには戻ってこいよ、と優しい声で言った。


 兄様を心配させないようにできるだけ早く気持ちを整えなければ。もうドレスに着替えているけれど、ラフィネの計らいか動きやすいので、汗をかかない程度の軽い運動なら問題ないだろう。

 そう思いながら庭へ出ると何となく違和感があった。不審に思ってよく目を凝らしてみると、日が沈みかかっていて見にくいが、確かに誰かいる気配がした。


 ……誰だ? さっきまで一緒にいたから兄様のはずがないし、イリスさんもセザールさん、他の使用人さんも、パーティーの準備でこんなところに来る余裕はない。ラフィネはボクや兄様とよく一緒にいるけれど貴族嫌いが治っているわけではないので、多くの貴族が集まるこの日に家に近づくことはないだろう。まさか父様? その線もないだろうな……。なら一体誰がこんなところに。


 警戒しながら一歩近づいてみると、そこにいた誰かがこちらに気づいた気配がした。その瞬間、目の前から人影が消えた。


「ーーっ!」


 人影が消えた直後、冷たいものが首筋にあてられた。後ろだ。今、一瞬の内にボクの後ろに回ったって言うのか。なんて身体能力だ。それにこの首筋のもの、まさか……刺客か?


「……誰だ。ここで何をしていた」


 ボクの出した声は至って冷静で、低いものだった。自分でも驚くほど落ち着いている。それはボクの頭にある考えがよぎったからだ。

 もしこいつが父様か兄様を狙っているのなら、ここで逃がすのはまずい。なら慌てふためいて助けを呼ぶのは愚策だ。幸いボクはまだ生かされている。すんでのところで止めているということは、まだ殺す気はないらしい。ならばここでこいつと話を繋げて、狙いを確定させる。あわよくば捕らえられればいいけど、相手が大人なら今のボクの力では難しい。それほどの実力差があると直感した。


「……ふうん、なかなか気の強いお姫様だな。見た目は貴族の娘だが、まさか男なんてことはないよな」


 声は思っていたよりもずっと若い。男の人、というよりは少年か? ボクより年上か年下かはわからないが、雰囲気としては年上だろうか。なんにせよこの年の子がこんなことするなんて……、だがここで野放しにする気はない。同じ体格なら、ふいをつけばまだ勝機はある。相手が隙を見せたら一気に仕掛けなければ。


「ま、そんなことはいい。お前こそ誰だ? 人に名前を聞くときは自分から名乗るもんだぜ」


 名前を聞いてくるか。おそらくこいつはボクの顔を知らない。兄様は外にも出てきているから知っているとしても。ここで嘘をついても、こいつがこの世界について熟知しているなら、いずれすぐにバレる。……家名を隠せば何とか凌げるか? フルネームではないが、名前ではあるという屁理屈で通すしかないけど。


「……ルミアだよ。ボクの名前はルミアだ」


「……ルミア?」


 ボクが名前を答えると、なぜかほんの僅かに相手の気が緩んだ。今だ。


「たあっ!」


 僅かに隙を見せた間に相手の手を掴み、そのまま一気に背負い投げを決めた。そして手首を押さえつけたまま、相手を組敷く。存外簡単にそれを遂行できて拍子抜けしたが、警戒を怠ってはならない。いつ抵抗してくるかわからない。

 ……ダメだな。暗い上にフードを被っているせいで顔がよく見えない。とにかく誰か呼んで、縛り付けないと。そう思って大声を出そうとすると、急に相手は笑い始めた。


「ふはっ、ふーっふっふっはは! そうか、お前がねえ……、期待以上だな。ははっ」


「な、何がおかしいんだ!?」


 壊れた機械みたいに笑う少年に、一種の恐怖を覚える。なんでこんなに笑ってるんだ。今捕まってるのに。追い詰められると笑ってしまうというあれか?


「ああ、そうかそうか。なるほどなぁ。アンドレが絶賛するだけある。こりゃあとんだじゃじゃ馬娘だ」


「え?」


 なんで突然兄様の名前を? それに絶賛? まるで兄様と知り合いのような口振りじゃないか。こいつ、一体。

 そんなボクの動揺を見抜いて、彼はボクの手を振りほどき、ボクの胴を掴んでそのまま抱き上げられた。


「うわっ、は、放せ!」


 抵抗しようとすると、さっきとは反対に両手首を捕まれた。……え、ぼ、ボク今、片腕だけで抱き上げられてる!? 不安定すぎて暴れたら落ちる……。ギっ、と少年の方を見ると、フードが取れて顔が見えるようになっていた。

 ……見覚えがある。強い意思を宿した瞳、余裕を表したように弧を画く口元。この男は、


「悪いな、まだ名乗っちゃいなかったか。俺の名前はルドヴィン・アランヴェール。この世界を統一する王になる男だ」


 ボクが一番会いたくなかった男だ。

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