さすがは我らがルミア様
ルミア様もすっかり成長したな、と先に呟いたのはどちらだったかしら。成長したと言っても、まだ年齢が二桁になったばかりでまだまだ子供ではあるのだけれど、以前よりもずっと女性らしく、かっこいいというよりもかわいらしさが勝つようになってきているのは、わたくしの贔屓目ではない。あくまでルミア様は否定していらっしゃいますが、これは使用人たちの共通認識なのであしからず。
「ルミア様、前はもっとちっちゃかったのに、気がついたらでかくなってたなー、って俺おっさんかよ」
……どうしてセザールはわたくしの部屋に入り浸っているのかしら。と、以前は思っていたけれど、それにも慣れてしまった。セザールと話すことのほとんどはルミア様の話で、話しておかないと一日が終わった気がしなくなってしまっていた。
「そうね、ルミア様が成長しただけ、わたくしたちも年を重ねたわ」
そうは言っても人生を八十年だとすると、その約四分の一しか生きていないのだから、まだまだ先は長い。
そう思いながら彼に返すと、セザールは苦笑いをした。
「おいおい、そんなに達観してていいのか? お前もそろそろいい年だろ」
いい年、というのは結婚適正年齢という意味だ。つまり暗に婚期を逃すぞ、と言われている。次に誕生日を迎えたら二十歳だもの。正直もう逃しているようなものだし、それを心配して彼がそう言うのはわかるけれど。
「余計なお世話よ。わたくしはルミア様のお側から離れるつもりはないもの。周りがとやかく言おうと知ったことではないわ」
セザールはわたくしの言葉に微塵も驚いてはいなかった。彼はわたくしがそう言うものだとわかっていたのだ。それを一々聞くなんて、嫌な男ね。それに言及せず期待の通りに返すわたくしもわたくしだけれど。
「ま、そうだよな。ルミア様を置いていくなんて言語道断。俺たち運命共同体だな」
「あら、あなたはいいのかしら。若いとはいえ、素敵な女性は待っていてくれないものよ」
セザールはわたくしよりも二つ年下。男性の場合は少し老いても可能性があるけれど、セザールはさっさと若いうちに結婚してしまうものだと、勝手に思っていた。外から女性が手紙を送ってくるほど、彼は魅力的な男性に成長したから。……これは他の使用人たちが言っていただけだから、わたくしには理解できていないけれど。ただ単に顔がいいだけかしら。
「あー、別にいいんだよ。ルミア様が心配でそっちに回してる余裕ないし、それを抜きにしても好きな女にその気がないんじゃ、できないしな」
「あなた、好きな人がいるの? 意外ね。好みの女性なら誰でもいいものだと思っていたけれど、考えを改める必要があるみたいだわ」
彼の好みの女性なんて知りもしないけれど。
いつものように投げかけた言葉に、彼はやれやれ、とでも言うようにため息をついた。なんだか馬鹿にされているような感じがするけれど、それほどこの顔は嫌いじゃない。ずっと前、誰とも関わろうとしなかった頃と違って、人間味がある。
「お前さぁ……、あー、いいや。俺にとっての素敵な女性は俺より大切な人がいるからな。考えたとしても、もっと先の話だ」
「あら、なら元から脈なんてないんじゃないの。残念ね」
「そういう意味じゃなくて、はぁ……」
セザールは呆れた顔で再度ため息をついた。嫌いじゃないとは言ったけれど、どうしてまたため息をつかれなきゃならないのかしら。思ったことを言ったまでなのに。
「まあ、俺の話はおいといて。結婚かー。ルミア様もいつかするんだろうなあ」
「そう、ね」
あのルミア様が誰かを選んで添い遂げるなんて、数年ほど前には思ってもみなかったけれど、あり得る話なのよね……。幸い婚約者なんて決まっていないけれど、遠くから見ていれば貴族にとっては見るからに「変わった子」で、惹かれることなんてないかもしれないが、関わってみると途端に引き込まれる魅力がある。誰しもには必ずある裏なんてものを感じさせないから? 現に隠し事は上手ではないもの。でもそれだけではないような気がする。
ああ、でも、いいことだとは思うのだけれど、それでもわたくしは……。
「少し、寂しいわね……」
思っていたことをぽろっとこぼしてしまうと、セザールはぎょっとした顔をした。
「おいおい、そんな辛気臭い顔するなよ。今すぐにするわけじゃないだろ」
「だけど……」
ルミア様が結婚してしまわれたら、おそらくわたくしはもう用済みだ。彼女の傍を離れることになる。当初思っていたよりも、ずっと大切な人になってしまったあの方の傍を離れるなんてこと、わたくしに耐えられるのかしら。
考え出すと思考がその不安と悲しみだけに囚われて、徐々に視界がぼやけてきた。至極当たり前のことで感情を乱すなんて、情けない。
「うえっ!? 泣いてんのか?」
「泣いてなんか、ないわ」
セザールはすぐに色々なことを言いふらすから、ついわかりきった嘘をついてしまった。でもこんなこと、ルミア様に知られたら、恥ずかしくてもう顔を見せられないわ。なんとか誤魔化さなきゃ。
そう思って袖で涙を拭おうとする前に、瞼に布が押し当てられた。
「セザール……?」
「擦るなよ、腫れるぞ」
ぶっきらぼうにそう言ったけれど、手つきは優しかった。
「……ありがとう。ルミア様に酷い顔を見せるわけにはいかなかったから、助かったわ」
「おっ、お前が俺に礼を言うなんて珍しいな。もっと感謝してもいいんだぜ?」
「調子に乗らないでくれる?」
セザールは肩を竦めて、わたくしの背中を力強く叩いた。普通に痛いわよ、馬鹿。同じくらいの力でセザールの背中を叩いた。
「いたっ、何で叩いた!?」
「急に叩かないで。あなた力強いんだから痛いのよ」
「いや今のはお前の気を紛らわせるためにだな」
そんなことは知ってるわ、と心の中で呟く。いつもはふざけてるのに、こんなときばっかり優しくするのはずるいじゃない。彼が片想いをしている女性はなんだかもったいないわね。こんなに素敵な男性なのに。そう思うと、なぜかチクりと胸が痛んだ。背中の痛みが胸にまできたのかしら?
「力が強いと言えば……、ルミア様、護身術上達したよな」
「ああ、そうね……」
数年前のある日、急にルミア様は護身術を学びたいと言い始めた。将来のために強くなりたいと、容認できない理由で頼んできたけれど、あまりにもそのお顔が真剣だったので、その日から稽古をつけている。本来メイドには必要ないはずの格闘術を学んでおいてよかったと心の底から思った瞬間だった。
「でも教えすぎた感は否めないわね」
「ルミア様って勉強は全然なのに、体を動かすことはスポンジみたいに吸収するから教えるのが楽しくてな……」
その通り。ルミア様が色々なことができるようになるのを見るのが楽しくて、つい一般的な護身術から相手を攻撃するもの、さらには投擲技術まで鍛えてしまった。まだ大人とは言いがたいからダメージは入りにくいかもしれないが、学園に入学する頃には一回り大きな大人くらい、簡単に気絶させられるだろう。護衛なんてもはや要らないかもしれない。
「まあ教えた護身術で、俺らが周りにいないとき、ルミア様が自分で身を守れるなら、別にいいんじゃないかとは思うんだけどな。本人も余計なことまで学んでめちゃくちゃ喜んでたし」
「……あ」
「どうした?」
ルミア様に惹かれる理由がわかった気がした。ルミア様は人の好意を無下にはしないんだわ。自分に素直だから、本当に喜んでいるか嫌々なのかはわかりやすいけれど、突っぱねることはない。あの方が変わった直後、わたくしが髪を切ったときもそうだった。
わたくしは手先が器用ではないから、メイドとしての繊細な仕事に失敗ばかりで以前のルミア様からは不満を買っていて、あの時は辞めようかとも思っていたけれど、彼女はこんなわたくしを初めて褒めてくださった。わたくしはそれだけで救われたのだ。
懐かしい思い出に暖かい気持ちになっていると、外からドアがノックされた。どうぞ、と返事をすると、ちょうど今思い返していた人物が顔を出した。
「イリスさー、うわっ、セザールさんもいた」
思い出の中のルミア様よりもちょっと成長したルミア様がそこにはいた。最近は外に出るとき長袖を着ているから、部屋着にタンクトップを着ると、日焼けあとが目立っているのを見て、微笑ましくなった。
「うわっ、てなんですか。ルミア様」
「そのままの意味だよ。それよりイリスさん、一緒に料理しよ? 兄様が働きづめだから差し入れがしたい」
ここ最近、ルミア様は兄のアンドレ様に何かしてあげたいという思いが強いようで、こうして食事を作って持っていっている。使用人に任せてしまえばいいと最初は言っていたのだけれど、折角だから自分でやりたい、と引き下がらないので根負けしてしまった。
「はい、わたくしでよろしければお手伝いいたしましょう」
「わーい」
ルミア様が元気に駆けていくのと同時にセザールは大声でルミア様に向かって叫んだ。
「待て待て、ルミア様はまだ刃物の扱いとか慣れてないし、イリスはどうしようもないほどぶきっちょだから、この前毒という名の料理作ったの忘れてないですか!? アンドレ様を殺さないために俺もやりますからね!」
焦った様子のセザールに近寄って、彼の耳元でわたくしは囁いた。
「わたくしたち、ルミア様に一生ついていきましょうね」
当たり前だろ、と言うセザールの顔を見ると、晴れやかに笑っていた。




