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おいでませ、カルティエ邸

 ラフィネ来訪の日は思っていたよりも早く、あれから二日後のことだった。


「あの……ラフィネ・ユベール、です。よろしくお願いします」


 本来ならおそらくここでも物怖じしないタイプのラフィネが動揺しているのは、他ならぬイリスさんとセザールさんのせいだと言っても過言ではない。


「おおお! ルミア様より全っ然かわいいですね! えっ、性別間違えてませんか? ルミア様と取り替えますか?」


「セザール、ルミア様にもラフィネ様にも失礼よ。ラフィネ様、ルミア様がお世話になっております。……ところで、庭でお二人が並んでいるところを写真に収めさせていただいてもよろしいでしょうか」


「え、あ、はい」


「いや、撮らなくていいから。あと取り替えないから」


 セザールさんはまあこんな感じになるとは思っていたが、まさかイリスさんまでこんなに押しが強くなるとは。もはや授業参観のときの親と言うよりも、初めて娘が家に彼氏をつれてきたみたいな反応になっている。今とシチュエーションは似ているが関係性は全部間違っているんだが。

 ボクが二人に呆れ果てていると、意外にもラフィネは写真に関しては好反応を示した。


「折角だし記念にいいんじゃない? 母さんもそういうの撮りたがる人だし。性別は取り替えないけど」


「う、うーん、ラフィネがそういうなら……」


 写真には先日嫌な思い出ができたばっかりだけど、ラフィネが嫌がっていないならイリスさんの要望を叶えてあげよう。

 未だにふざけたことを言っているセザールさんをガン無視して庭に行き、ラフィネと一緒に写真を撮ってもらった。イリスさんはラフィネが帰るまでにプリントして渡しにくるらしい。ぎこちない笑顔のボクと無表情のラフィネがピースしてる写真をラフィネのお母さんにも見られるとなると、微妙な感じがするが、はたして喜んでくれるだろうか。


 写真を撮り終わると、自室で仕事を処理していた兄様を訪ねた。忙しそうな兄様に声をかけるのはいささか気が引けたが、ラフィネが来たら呼んでほしいと言っていたので、思いきってその扉を開いたのだった。

 兄様はボクとラフィネを見ると、難しい顔から一変して柔らかい笑顔をしてみせた。


「ああ、ラフィネ。よく来てくれたな」


「お邪魔してます……えっと」


「そう言えば自己紹介がまだだったか。俺はアンドレだ。そう固くならずともルミアに対するように気安く接してくれていい」


 兄様はそう言ってラフィネに握手を求めたが、ラフィネはおそるおそるという風に手を差し出していた。兄様は基本的に友好的な人だけど、自分の近寄りがたさを全く理解していないので、慣れるまでは極度の緊張を強いられる。ラフィネも今その状態だろう。でもきっとラフィネならすぐ慣れるだろうなぁ、という根拠のない自信があった。


「さて、折角だから身体でも動かすか」


「そうだね。ラフィネ、何で遊びたい? 鬼ごっこ? 色鬼? 氷鬼?」


「別に何でも……って、何その鬼ごっこ推し。他に選択肢ないじゃん」


「ははっ、やれるだけやるか」


 そしてボクらはまた庭に出て、色々な種類の鬼ごっこを繰り返した。と言っても三人だけなので捕まる速度も疲れる速度も早い。ラフィネがもう動けない、と言って座り込んだのは初めて三十分にも満たないころだった。ボクも結構疲れていたので、まだまだ元気に走り回りそうな兄様を座らせて、休憩を取ることにした。


「はー、鬼ごっこってこんなに疲れるんだね」


 ラフィネが仰向けで転がりながらそう言った。


「そうだろー、ってあれ? やったことないの?」


「うん、知識としては知ってたけど、そんなことする友達いなかったしね。今日が初めてだよ。うん、思ってたより楽しい」


 ラフィネの場合、周りに使用人さんもいないし、ラフィネは一人っ子みたいだから、鬼ごっこ初めてなのか。それで楽しんでもらえたなら、全力で走り回った甲斐があったというものだ。


「そうか、いい思い出になってよかった。……まあ、貴族で鬼ごっこの経験があるのも稀なんだが」


 そう言って兄様はちらっとボクを見たので、さっ、と目を逸らした。そりゃ庭を元気に駆け回る貴族の子なんてほとんどいないだろうけど、もう兄様も同罪だから。人のこと言えないよ。


「……ふーん、そうなんだ。ルミアはともかくアンドレもやってるから皆そういうものだと思ってたけど」


「ボクはともかくってどういうことだ」


「ああ、まあ、そうか。きっと俺もルミアがいなかったらこんな風に庭を走ることはなかっただろうな」


 ああ、そうか。本来なら兄様がこうして遊ぶことはなかったんだろう。元の二人の仲はまだかなり序盤の段階ではあったが険悪そうだったし、あの後良くなっていったとしても庭で駆け回ることはない。それは言い切れる。つまり今この状況はボクがゲームの内容改変を行っていた成果である。そんな大それたことはしていないと思うけれど、確実に変わっている……と思う。これで死が回避できてるのかどうかはまた別の話だけど。

 しばらく休憩していると、ラフィネがゆっくりと起き上がって、兄様の方を見た。


「ねえ、アンドレ。君って頭はいい方?」


 突然なんだろうと思い、兄様を見ると、きょとんとした顔をしていたが、ラフィネの質問に答えようと口を開いた。


「そうだな……、悪くはないと思うが。一般的に学業と呼ばれるものなら大方修得している」


 えっ。兄様、もはや学校に行く理由あるのか。八歳でマスターしてるって、学校って何のためにあるのかわからなくなる。兄様は頭でさえ同世代の人間を超越してるの? それともこの世界では当たり前なのか。

 そう思っているとラフィネは呆れたような顔をした。


「頭いい悪いのレベルじゃないじゃん……。まあ、それはそれで好都合だよ。ならよかったら勉強教えてくれる?」


「構わないが、何か理由があるのか?」


「僕も学園に入りたいんだよね」


 ラフィネの発言に、何か飲んでいたら全部吐き出すところだった。まさか、こんなところで話が繋がるとは。

 内心動揺していることを知ってか知らずか、兄様は不思議そうな顔をして聞いた。


「学園に? そこまで入る必要があるとは思えないが」


「あるよ。貴族にとっては普通かもしれないけど、金払わずに特待生として入学できたら、平民にとっては大きなステータスだ。さらに首席で卒業できたら、その人間の家業にも箔がつく」


 なるほど。この前出会ったとき、ラフィネはお店の商品に絶対の自信を持っていたし、よく知りもせずに小馬鹿にしてくる貴族たちを見返したいという気持ちもあるのだろう。発端はボクだが。


「元々そのために試験を受けようとは思ってたし、そのための勉強も少しずつ始めてたんだけど、周りがほとんど貴族しかいない場所に飛び込むのは、どうにも気が進まなくて決めあぐねてたんだ」


「ではなぜもう試験を受けることを決めたんだ?」


 ふむ、ラフィネが入学するまでには、貴族の巣窟の中に入ってでも、入りたい理由が他にあるということか? もしかしたらその理由がゲーム内でも関係してくるかもしれない。そしたら主人公さんがラフィネを好きになったときの対処法がわかって、ボクが死なないようにできるのでは!? 心して聞いておかないと。

 そう思い耳をすませたボクに対して、ラフィネは全く予想外のことを言った。


「ルミアがいるから」


「へー……え?」


 えっ、待って、あれ。今ラフィネどうしようもなさそうなこと言わなかったか。

 あまりに驚いたのでとっさに兄様の方を見ると、兄様が見たこともないくらい怖い顔をしていたので、すぐに顔を背けてしまった。ラフィネの言ったことから一瞬で頭が切り替わった。兄様そんな顔できたのか。


 ラフィネも兄様を見て、この世のものとは思えないものを見たような顔をしたが、その意味を理解したのか弁解するように口を開いた。


「違う、アンドレが思ってるようなことじゃないよ。ただ入るならルミアと同じ学年だから、友達がいれば少しは気は楽だと思っただけ。決してそういう意味じゃないから」


「そういう意味ってなんだ?」


 よくわからなかったので思わず口を開くと、ラフィネに余計なこと言うなと言わんばかりに睨まれたので、すぐに口を閉じて出掛けた言葉を抑えた。

 兄様はしばらく怖い顔をしたままラフィネを見た後、低い声で本当か、と聞いた。ラフィネが頷いたのを見ると、やっと兄様は怖い顔をやめ、そうか、と呟いた。これからは兄様を怒らせないようにしよう、原因は全くわからないが。


「疑って悪い。だがルミアはかわいいからな」


 何を疑っているのかもわからないし、それがボクがかわいいことと、どう関係しているのかもわからない。そもそもボクをかわいいというのは兄様だけだ。使用人さんたちはおろか、ラフィネも思ってないだろう。

 ラフィネは兄様の表情を見て、緊張から解き放たれたように深くため息をついた。


「アンドレの気持ちはわかるけど、そういうつもりはないから。それに……」


「どうした? ラフィネ」


 ラフィネの声が急に弱々しくなったので、思わず尋ねると、ラフィネは気まずそうに目を逸らしたが、すぐにこちらに目を向けた。


「……なんでもないよ」


 ラフィネの顔は笑っていたけれど、どこか苦しそうにも見えた。

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