邸の中へ
馬車の外から賑やかな声が聞こえてきた。どうやらもうパーティー会場の内側まで入り込んでいるらしい。兄様やフランが動き出すのが見えた。
兄様が目だけをこちらに向けて、ボクとエドガーさんに合図をする。それを見てすぐにエドガーさんと手を繋いで、フランが降りた後、兄様が降りる前に、馬車を降りる。そして、エドガーさんに手を引かれるまま、人のいない方へと走っていって、光の差していない暗がりに身を隠した。
「……本当に、誰もボクらのことに気がついてないみたい。結構堂々と馬車から降りたと思うんだけど」
ボクが呟くようにそう言うと、エドガーさんもぼそぼそと、ボクにだけ聞こえるように言葉を発した。
「でしょ? 何年経っても不思議なもんっすわ。ほんとはこんなところに隠れる必要もないくらいなんすよ。まあ、人通りの多いところだと、人とぶつかっちゃうことも多いんで全然意味ないんすけどね」
ああ、そっか。そりゃあいくら静かにしてても、人に触ったら存在認識されるよね。それでも気づいてもらえなかったら、それはもう幽霊に近いのではないだろうか。いや、確実に幽霊だ。触られて気づかないってことは、すり抜けてるってことだろう。
しかし、こんなに簡単に第一関門を通り抜けるとは、何となく拍子抜けである。もちろん、ここからが大事だとはわかっているのだけれど、少々気が緩んでしまう。イリスさんとセザールさんの方は大丈夫だろうか。……ううん、二人なら絶対に大丈夫だ。もちろん、出席班も撹乱班も。
フェルツィウムさんや兄様、フランが邸の中へと歩いていくのを見届ける前に、ボクはエドガーさんを見上げた。
「よし、エドガーさん。行こうか」
「はいっす。時間は有限ですからね。さーて、お庭はっと、……うん、あっちっすね」
音をたてないように、そしてできるだけ光に当たらないようにしながら、侵入するための入口である庭へと向かう。暗闇の中を移動しなくても気づかれないらしいが、本来ならば姿がまるわかりだし、影があるからよりバレやすいように思えたので、ボクがそうするように頼んだ。用心するに越したことはない。さすがに中に入ったら、光の当たらない場所を移動する、ということはあまりできないだろうけれど、まあこういうのは気の持ちようだろう。
こそこそと盗人のように……実際やることは盗人なんだけども、それはおいといて。そんな感じで庭に忍び込む。パーティーの準備に奔走している使用人さんたちが窓越しに見えるが、庭自体には誰もいない。皆、庭で何かをする時間なんてないのみたいだ。
庭と言っても、植物は全て雪に覆われていて、何がなにかはわからなかった。きっとエドガーさんに聞いたら全部解説つきで答えが返ってくるんだろうけど、今はそんなことをしてる場合じゃないので聞かないでおこう。
そんなことを思っていると、エドガーさんが不満げな声で呟いた。
「むう、これじゃあ雪を楽しむ庭っすよね。そういうのも風情があっていいかもしれないっすけど、ここまで放置しておくのはいかがなものかと思うっす。はーあ、こんなときじゃなきゃおれが手入れするのにぃ」
よかった! エドガーさんがどんな状況でも庭を手入れするような人じゃなくって!
というか、普通にお客さんとして……エドガーさんの場合はルドヴィンの付き人ということになるのだろうか。まあそんな立ち位置だった場合なら、人様の庭の手入れをすると言っているように聞こえるんだが。今やるよりもはるかにましではあるけれど、一般常識としてはどうかと思う。
……もしかしてルドヴィンが基本パーティー出禁な理由、エドガーさんにもあるんじゃないか? エドガーさんは基本人と話すの苦手だし、ルドヴィンが目を離している間に、その家の庭を全く違う感じにしてしまうことくらいやってのけそうだ。うん、ありうる。無事に帰れたらルドヴィンに聞いてみよう。
「ルミちゃん? どうしたんすか?」
「あ、ああ、何でもないよ。それじゃあ、えーっと、どこから入ればいいんだっけ?」
この庭にはパッと見て三つの出入口があるのがわかる。正直庭の出入口は一つでいいと思うのだが、まあそれを言っても何も変わらないので、思うだけにしておこう。それに、今回の計画は確かこの中の決められた一ヶ所からしか出てはいけなかったはずなので、複数あることに感謝しなくては。
「一番右っすよ。全部繋がってるところが違うって、スーちゃんに見取り図見せられたの忘れちゃったんすか?」
そういえばそんなことを言われていたのを思い出した。左はそのままパーティー会場に繋がってて、真ん中はそこに近くて人通りが多い通路。それで右が、会場も厨房もそれほど近くなくて、今この時間はあまり人がいない通路に繋がっているのだとイリスさんが話していた。
あの見取り図で、まるで見てきたようにイリスさんが説明してたけど、来たことない……よね? ディゾルマジーアのスパイみたいな人が、見てきたのを聞いて、説明したんだよね? まさか一回潜入したことがあるなんてこと、ないとは思うんだけれど、あの説明を思い出せば思い出すほど、そんな気がしてくる。
ゆっくり慎重に右の扉を開け、急いで中に入り、一切の音もたてないように注意しながら扉を閉めると、小さく息をついた。回りを確認してみても、誰もいない。本当に人通りが少ないみたいだ。
「……あれ? そういえばなんで鍵がかかってなかったんだろう?」
いくら庭に用事がないとはいえ、戸締まりくらいはきちんとしているのではないだろうか。ここだけ鍵の閉め忘れ、なんて都合がよすぎる。はっ、まさかこれは向こう側がボクらの潜入を見越した罠なのでは!?
そう思ってエドガーさんに言おうとしたのだが、エドガーさんはなんでもないような顔で言った。
「ああ、ドドくんが開けておいてくれてたんすよ。ドドくんの役割はどの班とも属してない分、出席班と潜入班の支援をしてくれてるっすから。正直、潜入班の計画はドドくんありきなところ多いっすから」
「……待って、誰なんだ。ドドくんって」
「ドドくんって言ったらそりゃあ、アンくんの執事さんっすよー」
ドドくん……エドモンドさん……いや、普通はすぐに結びつかないからね。なんで変なところから取ったんだろう。というかペネム先生もそうだったけど、エドモンドさんってなんだか不思議なあだ名ばっかりつけられてるなあ。普通にエドくんとかじゃダメだったのだろうか。
「でもそっか、エドモンドさん、打ち合わせのときもずっと兄様の近くにいたから、てっきり出席班なんだと思ってたよ。そういえば出発のときからもういなかったなあ」
今日の朝からのことを思い出しながらそう言うと、エドガーさんは苦笑いをした。
「まあ、ドドくんはアンくんの役に立つのが仕事みたいなことよく言うっすからねぇ。おれもルドヴィン様には忠誠誓ってるっすけど、あそこまで行ったらもう病気みたいっす」
「病気って、さすがにエドモンドさんでもそこまでじゃないと思うけど」
確かに否定しきれないところもあるが、性格も相まってそう見えてしまっているだけだろう。そう思いながら言ったのだが、エドガーさんはいやいや、と首を振った。
「同じ、人に仕える者としての勘ってやつっすかね。やっぱりどこかおれやルーちゃんやスーちゃんとら違うんす。主として敬愛するって感じじゃなくて……なんか、こう、アンくんを信仰してるみたいな? どうも神様を見るような目でアンくんを見てる感じがするんすよね。いい人っすけど、なーんか不気味っす」
兄様を神様みたいに思ってるってこと? うーん、兄様は非の打ち所が全然なくて、人間を超越したものみたいに見えることは多い。だけどエドガーさんが言っているのは、ボクがこう思ってるのとはまた違う風なのだろう。エドモンドさんのことも、ボクはそんな風に見えたことがないし。
でも、エドガーさんは本当にそう思っているようだ。もしかしたら、イリスさんやセザールさんもそんな風に感じているのだろうか。ちょっと気になるな。
「っと、雑談は移動しながらにしましょうか。時間ってすぐ過ぎちゃうっすからねー」
「そうだね。できるだけ素早く済ませよう」
一度、考え事はリセットしよう。見取り図を頭の中で描きながら、ボクたちは邸の中を歩み始めた。




