馬車に揺られて
がたんごとんと馬車に揺られ、目的地へと向かう。兄様たちと同じ馬車には乗っているが、ふとした瞬間にボクらの姿が確認されてはいけないので、ボクとエドガーさんは、馬車のすみっこでできるだけ小さくなって座っていた。エドガーさんの手足が無駄に長いから、隠れきれてはいないが。
「……エドガーさん、一回だけでいいから蹴らせてもらってもいい?」
「だめに決まってるじゃないっすか! 何を急に言い出してるんすか、もう!」
身長の格差に悲しみと怒りを感じたため、それを鎮めるべく、一応エドガーさんに確認を取ってみたが、やはりダメみたいだ。くっ、意識するとこんなに悔しいことはないな! エドガーさんほど背が高くなりたいわけじゃないけど、せめてもう二十センチくらいは……。なんで伸びなかった、ボクの身長! いや、まだこれから……? これからか……?
「なんとなーくルミちゃんが何考えてるのかわかるっすけど、今はそれ考える時間じゃないっすからね。緊張感なんて捨てろってルドヴィン様は言ってたっすけど、気の抜きすぎもよくないっすよ!」
「うん、ごめん。なんかむしゃくしゃして」
「むしゃくしゃしたってだけで蹴らせてあげるほどおれは安くないんすからね! あー、でもある意味ルミちゃんでよかったんすねー。アンくんだったら聞く前にもう蹴ってるんですから」
兄様は容赦ないからなあ。ボクは蹴られたことないけど、兄様の蹴りが的確かつ精密に目標を捉えていることがわかる。改めて考えると兄様って、あらゆる面が凄すぎて、最近はもう考えるのを止めてしまっていた。ボクも生まれ変わったら兄様のような蹴りを食らわせられるような人間になりたい。もうカバはいいから。
「まあアンくんの話は一旦置いとくっす。本人に聞かれたら恥ずかしいっすからね」
「そうだね。……ところで、エドガーさん。何で今日は昔みたいな髪型してるの?」
「えっ!? 今聞くんすか!?」
オールバックで見慣れていたせいか、前髪が顔を全面的に覆い隠していると、違和感がすごい。 今朝見たときには、前髪のセットのし忘れかと思って何も言わなかったが、まさかここまでこの髪型で来るとは思ってなくて、正直なところ驚いている。
「前髪があるからいつか気づくと思ってたのに……」
「えっ、いや、もしかしていつもの髪型にするの忘れてると思ってたんすか!? ていうかそうだったら普通教えてくれるもんじゃないんすか! 例え前髪で気づくとしても!」
「まあ緊張してたらそういうこともあるだろうし、いいかなって」
「よくないっすもん! もし仮に、アンくんが髪の毛結び忘れてたら言うっすよね?」
兄様が……? 兄様が何かすることを忘れるなんて、万が一にもありえないような気がするけどな……でももしその状況だったら……。
「うん。兄様、疲れてて忘れちゃってるのかもしれないし」
ついでに結んでほしいと言われても、きっと結んでしまうだろう。うーん、けどボクはあんまり綺麗に結べないからなあ。兄様は喜んでくれるだろうが、それで外に行かれるのは嫌だから、あくまで家にいるときは、だろうか。
そんなことを考えながら、エドガーさんに返事をすると、エドガーさんは、ほらあ、と声をあげた。
「やっぱり! 差別! 差別っすよ、ルミちゃん!」
「いや、兄様はほら、身内だからさ。つい甘やかしたくなるときがある」
兄様には甘やかされることは多いけれど、やっぱりボクの方が生きてる年数的には上だからね! 何か頼まれたりすると叶えてあげたくなっちゃうことも多い。ボク、年下のきょうだいに憧れてた時代あったし。というか今も憧れてるんだけど、兄様がいるからもう今世で弟とか妹はいいかな、という気持ちがある。それに、イリスさんとセザールさんもいるしね。
「ええー、じゃあおれのこともいっそのこと、身内だと思って接してくれていいっすよ」
「遠慮しとくよ」
「ええー、もう! わがままっすねー」
表情が見えないからわかりにくいが、拗ねた顔をしているのはわかる。まあエドガーさんとの会話は大体冗談半分なところが多いから、さして気分を害したわけではないと思う。ガラスのハートを自称するわりには、相変わらず修復も早い。
エドガーさんがぶーぶーと文句を言うのを聞き流していると、突然エドガーさんが、あっ、と思い出したかのように声をあげた。
「ルミちゃんルミちゃん! 言うの忘れてたっす!」
「え? 何? あ、前髪の話?」
そういえば元々、どうして今日はその髪型なのかを聞いていたのに、理由を聞くのをすっかり忘れてしまっていた。
けれど、ボクの言葉に対し、エドガーさんは困ったように首を傾げた。
「う、うーん、まあそうっすかね? 多分、はい、それもあるっす! あると思うっすよ! でもおれが言いたいのは注意事項なんす!」
あれ? ただ髪の話するわけじゃないのか。注意事項……って、潜入の時に関する注意事項ってことだろうか。事前の打ち合わせで散々、イリスさんに詰め込まれたような気がするんだけど、あれ以外にあるのか。ううん、覚えられるか不安になるなあ。
そう思いながらエドガーさんの言葉を待っていると、エドガーさんはおそらく真剣な表情で話し始めた。
「いいっすか? 今から言うことは絶っっ対に守ってほしいっす。おれ、この見た目にするとめっちゃくちゃ影薄いじゃないっすか」
「……うん、そうだね、って言っていいかわからないけど、その通りだね」
確かに、エドガーさんと話をせず、一瞬目を話したらもうどこにいるのかわからないくらいの影の薄さではあると思う。エドガーさんはよく喋るから、しばらく黙ってるようなことってほとんどないんだけど、一度黙りこむと存在忘れちゃうくらいだからな。初対面のときとかは特にそうだった。そのお陰でステルス要員なるものになれているようだが、本人的にはやはり複雑だろう。
「言っときますけど、昔のおれはあれでも存在感あった方っすからね。初対面のとき、ラフィーは気づいてくれたんすから! ルミちゃんはおれがいることに全く気づいてなかったっすけど」
「う、うう……ごめん」
そういえばラフィネ、普通にエドガーさんがいることに気づいてた気がするなー。そしてボクは全く気づいてなかったなー! うん、もう謝ることしかできない。申しわけなさすぎて。
「許さないっす! って、言いたいところですけど、もう何年も前のことっすからね。百歩譲って許してあげるっすよ!
とと、話がそれてたっす。えーっと、それで、おれ今、昔より認識されにくくって、オールバックだとちょうど昔のおれくらいだと思うんすけど、この髪型にすると表情が見えないせいか全く気づかれないんすよ。もう小さい声でなら話してもバレないくらいに!」
「声出してもバレないの!?」
思わず声をあげると、エドガーさんはこくこくと頷いた。
「そうっす! おれに触れてる限り、ルミちゃんもめーっちゃ小さい声なら大丈夫だと思うんす。だから、大声は出さないでくださいね!」
「さすがに潜入してるのに大声出すほどバカじゃないからね、ボク」
注意事項って大声出すなってことかい。それはイリスさんに何度も何度も言われたから。もう聞き飽きるほど言われたから大丈夫だと思うんだけども。
それより、エドガーさんの体質、ちょっと便利すぎないか? ボクが喋ってもバレないなんて。潜入中にちょっとした会話が可能ってわけだ。……他人に影響を与えるなんて、そんな体質あるのか?
ちょっと疑問に思いながらエドガーさんを見つめると、エドガーさんは何を思ったのか、にこっとしながら言った。
「あっ、大丈夫っすよ! おれ、ルミちゃんと手繋いでも何とも思わないし、あらかじめアンくんにぶっ飛ばされてきてるんで」
「いや、そんな心配はしてな……えっ!? ぶっ飛ばされてるの!? どうしてぶっ飛ばされる必要があったの!?」
「アンくんの蹴り、やっぱり怖くて思わず避けようと身体が動いてたんすけど、動く前に身体が後ろに吹っ飛んでたっす。しかも超痛い。もうこれからは絶対、ルミちゃんと手を繋ぐ予定作らないっす」
「蹴り食らったの!? それにボクと手を繋ぐ予定ってなんだ!?」
これ以降入る予定がないだろうに。というかボク、よくフランと手繋いだりするけど、フランはさすがにぶっ飛ばされてないよね? そんな代償払ってないよね?
くっ、ボクが知らないところで何が起こってるんだ。せめてボクの目の前で兄様に蹴られてほしかった。久しぶり兄様の蹴りが見たくなってきてしまった。
「あっ、そろそろ着いちゃうっすよルミちゃん! 早く準備準備!」
「えっ、もう!?」
色々と衝撃的なことを聞いてしまったため、混乱した頭で用意をしながら、すぐに出られる準備を整える。もう緊張感もへったくれもない。続きは無事潜入できてから聞こう!




