遺してみせるよ
エイプリルフール用に考えてたifネタ……いつか書けるといいですね……。
計画的に、というよりは衝動的にティチアーノさんの手を引いてしまったけれど、ある程度どうなるか想定して、こうしてティチアーノさんの話を聞いているはずだった。しかし今、涙を流すティチアーノさんを目の前にして、まさか気の利いたこと一つ言えないとは思いもしなかった。
こう言うと言い訳に聞こえるけれど、ボクはそんなに重い理由ではないと、軽く考えていたのだ。何かあったとしても、おそらく小さなすれ違いからこうなってしまったのだと思っていた。だけどそうではなかった。
ティチアーノさんが長く生きられないというのは絶対ではない。これも魔法の発現と同じで、運のようなものだ。それに誰も、誰がいつ死ぬかなんてわからない。ボクだって前世ではこの歳まで生きられなかった。若いから、健康だからといって、命を落とすことがないわけではない。人間は誰にも、絶対死なないから、なんて言い切ることはできない。
けれど、普通の人は普段、自分が死んだら、なんて考えないだろう。考えたとしても、それほど深く頻繁には考えることがないはずだ。逆に、その可能性を身近に感じていれば、他の人よりもその後の事を考えることは多くなる、というのがティチアーノさんの話を聞いていてわかった。
もしもボクが医学や薬学に詳しかったのなら、ティチアーノさんの不安も解消してあげられたのかもしれないけれど、あいにくそんなことはありえない。ボクがティチアーノさんの特異体質をどうにかして、ティチアーノさんの問題を根本的に解決するなんてことは不可能だ。何の気休めにもならないのに、ボクがこれ以上どうこう言うのも……。
……待てよ。ティチアーノさんは、死、それ自体を恐れているわけではない。自分の存在が忘れられてしまうことが恐いんだ。ボクは当然、ティチアーノさんがいなくなるなんて嫌だし、考えたくないけれど、ティチアーノさんの気持ちを和らげてあげるだけなら……ボクにもできるかもしれない。
そうだ。ボクには何の知識もないから、ティチアーノさん本人を、完全に救うことはできない。ならばボクは、ティチアーノさんの身体の問題はそのままに、ティチアーノさんの心を救ってみせようじゃないか。たった一つ、できることがあるのだから。
「ティチアーノさん!」
「……ナンデアリマスカ?」
顔をあげたティチアーノさんの手を取って、ボクは笑いかけた。そして、提案をする。
「思い出を遺そう!」
「思い出を、ノコス?」
ティチアーノさんは怪訝そうな顔をしたが、ボクは気にせず言葉を続けた。
「そう! もし万が一、ティチアーノさんがいなくなっちゃうとしても、フェルツィウムさんもボクらもずーっと、ティチアーノさんを覚えてるためにね!」
「ツマリハ、写真トカ、ソウイウモノを使うのデアリマスカ? デスガ、いつもいつもカメラを持ち歩くノモオックウデゴザイマスヨ。ソレニ、一枚あったトコロでドウコウなるトハ……」
もちろん、一枚や二枚でいいとは思っていない。そして、同じような写真ばかりでもよくない。今までのティチアーノさんたちもこれからのティチアーノさんたちも、しっかり形に残さないと、それはティチアーノさんを遺したとは言えないから。でも、過ぎてしまった時間もあるからこそ、この作戦は生きるのだ。
「ふっふっふ、大丈夫! カメラは使わないよ。使うのは紙とペンだけだから!」
「紙とペン、ってマサカ」
驚いた様子でそう言うティチアーノさんに、ボクは強く頷いた。
「うん! 絵に描いて遺すんだよ! ああ、強いて言うならボクの記憶も必要だね。描いてる間の記憶はほとんどないから、どちらかと言うと、何回も描くための集中力の方が大事かもしれないけど。それはまあいいとして、ティチアーノさんを絶対に忘れないために、ボクが学園時代の頃から見てきたティチアーノさんを絵として遺すよ。カメラも一瞬考えたんだけど、カメラでは過ぎた時間の写真を撮ることができないし、何より人の手で描いた方が暖かい感じがするでしょ?」
「ま、待ってほしいデアリマス。イロイロ、キキタイコトはあるのデゴザイマスガ……」
ティチアーノさんは知らない間に泣き止んでいた。透き通っていて儚くて、けれど宝石のように輝くその目と、目が合った。
「アナタは、魔法使いなのデアリマスカ?」
ティチアーノさんの問いかけに、ボクは小さく首を振った。
「ううん。ボクは魔法使いじゃないよ。たった一つだけ特技を持ってるだけの人間で、君のただの友達だよ」
そう言って、ボクはティチアーノさんに笑った。ティチアーノさんはまた、泣きそうに顔を歪めたが、もう涙が頬を伝うことはなく、不恰好ではあるけれど、柔らかく笑ってみせた。不安の種は取り除けただろうか。
「そうだ! ボクだけじゃなくって、皆で絵を描こうよ! ティチアーノさんが小さい頃はボクじゃ描けないし、ティチアーノさんも一緒に絵を描こう」
「我輩が、絵を?」
「うん! あ、でもティチアーノさんの絵なら、フェルツィウムさんの方が描きやすいかな。フェルツィウムさんは今まで一番近くでティチアーノさんを見てきたんだもんね」
「い、イチバンチカクデ!? ソンナコトないデアリマスヨ!」
ティチアーノさんは顔を赤くして叫んだ。いつもは自由奔放でマイペースなティチアーノさんが、こんなにも取り乱すなんて……うん、やっぱり人の恋路を見るのはいいな。恋愛小説もそうだけど、ボクの近くで幸せそうな姿を見せてくれるのが、何よりも嬉しい。イリスさんとセザールさんもこんな感じになってくれれば、と思うばかりである。切実に。
「よーし、そうと決まれば戻ろうか! ティチアーノさん! 早速、大量に絵を描かないとね!」
「ソウデアリマスナ。……フェルにも、キチント謝らネバ」
ティチアーノさんの表情はばつが悪そうではあるが、晴れやかなようにも見えた。きっと、二人の仲はまた昔のように戻っていってくれるだろう。そう思うと、ボクもじんわりと、胸に暖かい気持ちが広がった。
……ん? よく考えたら、昔のように、はならないのかな? 少なくとも婚約者から夫婦にはなるはずだし……うん、こういうのは気持ちの持ちようだ。関係的には違うかもしれないけど、きっと心は昔と同じに……いや、待てよ。昔のティチアーノさんがどんな感じかわからないから、ティチアーノさんがフェルツィウムさんと仲良くしてる姿が想像つかない! 昔は本当に仲が良かったんだろうけど、少なくともティチアーノさんが、フェルツィウムさんに甘い態度を取るようには思えない。ま、まあ、多少はちがいがあるかもしれないけど、幸せならそれでいいよね! 今のティチアーノさんは、照れ隠しに薬品ぶつけてきそうな気がするけど、フェルツィウムさんなら大丈夫だよね!?
そんな事を考えているとは知らずに、ティチアーノさんは穏やかな表情でボクに言った。
「ヤハリ、ルミアに話して正解デスタ」
「正解? あ、そういえば、何でボクに学園にいたときから、この話をしようとしてくれてたの? ボクの記憶が確かなら、最初に話そうとしてくれてたときは、まだ知り合って間もない頃だったよね?」
忘れかけていた疑問だったが、思い出したら急に気になってきた。一体どうしてティチアーノさんはボクに話してくれたのだろう。ボクよりも付き合いが長いルドヴィンやエドガーさんにも話さなかったことだろうに。
ボクには疑問しかなかったが、ティチアーノさんは当然だとでも言うように語った。
「我輩はキイテイタデスカラ」
「聞いていた、って何を?」
「アナタのコトを、ルドヴィン・アランヴェールに。アナタの話をキイテ、アナタがヒトの悩みをバカにしないと判断したのデアリマスヨ。アナタは、アヤツの夢を、バカにしなかったデゴザイマスヨネ?」
確かにしなかったけど、いつかカバになるとかよりは、ずっと現実的な夢だし、馬鹿にする理由がない。そう思って首を傾げると、ティチアーノさんは楽しそうに笑った。
「ソウイウトコロが、ルミアの素晴らしいトコロデアリマス故、誇るベキデゴザイマスナー」
「誇るって、誇れるようなことじゃ……あれ!? ティチアーノさん、ボクのこと呼び捨てしてる!?」
「サテ、城までキョウソウといくデアリマスカ。ヨーイドン」
「よーいどん、の前から歩いてたからフライングだよ! 待って、まだあんまり早く歩けないから!」
焦るボクをよそに、ティチアーノさんは余裕そうに、こちらを見ながら歩いていく。そのティチアーノさんの表情からは、すっかり悲しみなんて消え去って、無邪気な笑顔だけが彼女を表していた。




