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ボクにはそんなの関係ない

「……ルミア」


「ひぇっ、はい!」


 ラフィネのさっきまでとはうってかわって地を這うような声で呼ばれて、情けない声が出てしまった。が、今はそんなことを気にしている場合じゃない。


「なんで言わなかったの」


「え、えーと、ボクは男物の服でも着こなせちゃうから……」


 実際に今似合っているし、気に入ってるからもう手放す気はないぞ、と思っていたが、ラフィネはうつむいた状態で小さく首を振った。


「そっちじゃない」


「え、貴族ってこと……? 別に言う必要もなかったし……?」


「大有りだよ!」


 ラフィネは怒ったような、悲しんでいるような、そんな顔で叫んだ。何がなんやらわからないが、その表情を見る限り、何かが彼の気に触れてしまったようだ。でも、急にどうして。


「やっと……友達ができたかと思ったのに……」


 何かを呟いてラフィネは彼のお母さんも兄様も押し退けて、外に走っていってしまった。二人とも困惑した顔をしていたが、ボクは彼らへの説明もなしに、咄嗟にラフィネを追いかけていた。外に出るとラフィネは遠かったけれど見えたので、彼を必死に追いかけた。

 少しずつ、でも確実にラフィネに追いつこうと走っていると、ラフィネは疲れたのか、息を切らして立ち止まった。ちょうどそこは今日ラフィネと出会った大きな木の前だった。


「ラフィネ」


 ボクが彼を呼ぶと、彼は振り向いて、ボクを思い切り睨み付けてきた。


「……ついてこないでよ」


 声は冷静に振る舞おうとしていたが、小さく震えていた。それは怒っていると言うよりももっと別のもののように感じた。ボクが一歩近づこうとすると、彼も一歩後ろへと下がった。ああ、なんだか出会ったときとは正反対だな、と他人事みたいに思った。


「ねえ、ラフィネ」


「……」


 彼は黙ったまま返事をしない。ボクはそのまま続けた。


「君は女であるボクが嫌い?」


「……ううん」


「じゃあ、貴族であるボクが嫌い?」


「………………」


「図星だね」


 貴族に平民を見下す人が多いように、貴族にいい印象を持たない人は多い。身近な例で言えばセザールさんだ。今でこそ、お茶会中に突然目の前でバク転しだして紅茶を吹かせるという行為をしやがるお調子者として愛されているセザールさんだけど、仲良くなる前はあからさまにボクと関わりたがらなかったし、他の使用人に対してもどこか蔑んだような態度を取っていた。思えばあの時のセザールさんが一番まともだったかもしれないが、ちゃんと今のセザールさんが普通に好きである。まあ、それはさておき。

 ラフィネもその例に漏れないということだ。兄様や父様が平民を見下す人ではなかったので、そっちの例はボクになる以前のルミアくらいしか見たことがないが、確かにあんな態度で接されたらボクでもいい印象を持つことはない。完全に身分が下の人のことを人だと思ってなかったし、嫌われて当然だとは思う。だけど、


 そんなこと今のボクにはこれっぽっちだって関係ない。


「今日少しの間だけ過ごして全く楽しくなかった?」


「……貴族なんかと一緒にいて、楽しいはずがない」


「ボクはそんな答えが聞きたい訳じゃない」


「だから、楽しくなんて」


「ボク個人と一緒に過ごして楽しくなかったかって聞いてるんだ」


 ボクがそう言うと、ラフィネはフイっと顔を背けた。しばらくボクが黙っていると、彼は小さく、耳をすませなければ聞こえないくらいの声で言った。


「そんなこと、ない」


「……うん」


「本当は、楽しかった。男の子でも女の子でも、どっちでもいい。君と一緒にいるのが楽しかったんだ」


「そっか」


 ラフィネの大きく丸い目から、涙がはらはらと溢れ落ちていた。それを見て、ボクは場違いにも、きれいだなと思った。涙をこらえて苦しそうだった顔から、ただ純粋な泣き顔に変わったからだろうか。少なくとも、さっきの我慢しているような顔よりも、よっぽどいい顔をしていると思ったのだ。


「……僕、思い出したよ」


「何を?」


「君のこと。見た目が全く違ったからわからなかったけど、前に一回見かけた」


 見た目が全く違った……って言うことは以前のルミアの状態のときか。ボク自身の記憶にはないけれど、知らない間にこの辺りに来ていたのだろうか。まあ徒歩二十分の距離だからあり得ないことではない。最近以前のルミアの記憶が薄れてきているし、それも要因かもしれない。


「僕ね、あの時の君を見て貴族なんて嫌なやつばっかりなんだなって思った。それまでに見てきた大人の貴族も胡散臭いのばっかりだったけど、僕と同じくらいの年なのにもうあんなにふんぞり返った状態で、貴族って最初から最後まであんなのなんだなって、思ってたんだ。現にその時うちの服を『平民が着るボロ切れだ』ってバカにしてきたし、次会ったらぶん殴ってやろうかと思ったくらいだよ」


 ……うん、それは苦手意識も嫌悪感も持つよね。それに原因ルミアだし。なにも言えないな、ボク。

 内心、ラフィネに強気な態度をとったことを反省しているボクに対して、でも、と彼は続けた。


「でもまさか、本人にそれが覆されるとはね」


 そう言ったラフィネの顔はまだ涙で濡れていたが確かに笑っていた。


「君は随分変わったんだね。……ねえ、ルミア。君は平民と貴族でも友達になれるって思う?」


 ボクはふと思い出して、ポケットからハンカチを取り出した。そして、彼に差し出して言った。


「当たり前だよ。もうボクたち、友達だろ?」


 ラフィネはゆっくりと手を出して、ボクのハンカチを取った。そして彼はハンカチで涙を拭い、満面の笑みでボクを見た。


「ふふっ、そうだね。……これからもよろしく、ルミア」


 ボクもそれに応えるように笑った。


「もちろんだよ、ラフィネ」



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 こうしてボクはラフィネとともにお店へと戻った。ちなみに手を繋ごうと提案したらすぐに却下された。その後ふざけてラフィネは照れ屋さんだなぁ、って言ったら頭にチョップをくらった。地味に痛い。


「ただいま」


 ラフィネが玄関の扉を開けると、談笑していたラフィネのお母さんと兄様がこちらに振り向いた。……一体何の話で盛り上がっていたんだろう、気になる。


「あらあら、お帰りなさい」


 そう言ってラフィネのお母さんが近づいてきた。そして、ボクは思い出した。そういえばお母さんに挨拶してない、と。


「ラフィネのお母様、ボクはルミア・カルティエと申します! ラフィネくんとは本日からお友達として仲良くさせてもらうことになりました! どうぞよろしくお願いします!」


「ちょっと、ルミア! 挨拶なんてしなくていいよ。ていうかルミアにくんづけで呼ばれると何か寒気するからやめて」


「普通に酷い」


 お母さんに挨拶しないなんて選択肢はないし、それに寒気するとはなんだ。かわいい女の子に呼ばれたら嬉しいだろうに、こいつ。

 そんなボクたちのやり取りを見て、ラフィネのお母さんはふふふっ、と笑った。


「この子のお友達になってくれたのね。この子素直じゃないから、ずっとお友達ができなくて、あなたみたいな元気な子が最初のお友達で嬉しいわ」


 そう言ってラフィネのお母さんはボクの頭を優しく撫でてくれた。……この感覚、少し懐かしいな。兄様に撫でられるのとはやっぱり違う。


「ちょっと、いちいちそんなこと言わないでよ。もう遅いし、早く帰ったら」


 時間を見ると、確かにもう帰らなければならないくらいの時間だった。ラフィネと和解したばっかりでもうちょっと騒ぎたい気持ちはあるが、それはまた今度にしなくては。

 そう思っていると、兄様がボクの隣に立って、ラフィネのお母さんの方を向いた。


「それでは本日は失礼させていただきますが、その前にこの子の着ている服の代金を教えていただけますか」


「あ」


 身体に馴染んでいたから、これがまだお金を払ってない服だということをすっかり忘れてた。ナイス、兄様。堂々と万引きするところだった。


「いえいえ、お代はいいのです。ラフィネとお友達になっていただけただけでお釣りが出るくらいですもの」


「ですが……」


「そうですね、強いて言うなら……これからこの店をご贔屓にしてくだされば」


 な、なんて素敵なお母さんなんだ……。着心地もいいし、ラフィネもこんなに素敵なお母さんもいる。絶対にご贔屓にしちゃう。また来よう、そして大量に買っていこう。


「お心遣い痛み入ります。……ラフィネ、と言ったか」


「えっ、はい」


 兄様がラフィネを見て話しかけると、ラフィネは予想外だったのか驚いたように声をあげた。それを見て兄様は安心させるようににこっと笑った。


「今度家に遊びにきてくれ」


「えっ!?」


「あ、それいいね。絶対来て、ラフィネ」


 さすがに貴族の家に遊びにいくのは躊躇しているのか、ラフィネが狼狽えていると、彼のお母さんからとどめの一言が告げられた。


「絶対にここ数日のうちにつれていきます」


「いや、ちょっと」


「わーい、じゃあまたね」


 勝手に話を進めないでよ、とラフィネが怒っていたが、気にせず兄様と手を繋いでかえ……あ、そういえば。

 兄様にちょっと待っててもらって、ボクはラフィネに駆け寄って、ひそひそ声で聞いた。


「そういえば、聞きたいことってなんだったの?」


 ラフィネのお母さんが帰ってくる前に、ラフィネがボクに聞きたいことがあると言っていたことを思い出したのだ。もし大事なことなら聞いておかなければ。

 そう思って聞いたのだけど、ラフィネは別段気にしたそぶりもなさそうに、ああ、あれね、と呟いた。


「あれはいいよ。もう聞く必要がなくなった」


「? それってどういう……」


 詳しく聞こうとすると、ラフィネはしっしっと、追い払うように手を振った。


「いいから、ほら、お兄さん待ってるでしょ」


 うう、そう言われると痛い。それにラフィネはどれだけ粘ろうとも教えてくれる気はなさそうだ。


「もう、次会ったら絶対聞かせてもらうからな!」


 そう言い捨てて、ボクは兄様の下へと向かった。その後ろから、小さな声だったけれど、確かにラフィネは言った。


「うん……また、ね」

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