墓守さんは解らない。
雲に隠れ、月明かりも照らさない夜。
誰とも知らない墓石の並ぶ墓場で、墓守は今日も墓守としての努めを果たす。
墓に入ろうとする者を追い払い、投げ込まれる物を払い落とし、
枯葉を片付けて、蜘蛛の巣を巻き取って、そんなことを毎日繰り返す。
墓守は、墓石のそばでいつも考えている。
“なぜ人は、死んだ者に対して此処までするのだろう”と。
死んだ者が、死後どこへ行くかなど、生者が知るはずもない。
天国や地獄と生者は語るが、どちらも結局は人が生み出した産物。存在はしない。
それでも信じている者が多いが、気になるのは“信じていない者でさえ、墓石を建てる”ことだ。
墓を建てるのは、金も時間も掛かる。なのになぜ、葬るのだろう。捨て置けばいいだろうに。
曇り空からぽつりぽつり、小雨が降り始めた。
時間としては、もう日付が変わる時間だろう。
墓守は真っ黒な傘を差して、墓地の入口を見張っていた。
すると遠くから、一人の老婆がこちらに歩いてくるのが見えた。
暗がりで懐中電灯を光らせながら、青紫色の綺麗な竜胆の花束を抱え、傘も差さずに入口へとやってきた。
「墓守さん。夜分遅くにすみません。宜しければ花を供えたいのですが」
墓守は黙って道を譲ると、老婆を傘の中へ入れ、墓石の前まで付き添った。
塔婆はぺこりと頭を下げると、前の墓石に竜胆を添えた。
「あなた。心配しないで。私は、寂しいけれど、ちゃんと生きてますから。ちゃんと、生を全うしますから」
やはりこいつもそうだ。
人の魂がすぐそこにでもあるか、その魂の元まで声が届くと思っている。
「なあ、老婆よ」
墓守は思わず声を掛けた。
老婆は「はいはい」と気の抜けた返事を返した。
「お前さん、天国や地獄を信じているか?」
突拍子もない質問に、老婆は目をぱちくりさせた。
しかし、すぐに墓石に向き直り、こう言った。
「信じて、いませんよ。根拠のないものは信じない質なので」
「つまり、お前さんは霊魂も信じていないのか?」
老婆は一度、首を縦に振った。
墓守の一番の謎は、こういう人間だ。
信じていないのに、その習わしに従う。訳が解らない。
「ではなぜ、お前らは墓を建てる。これ一つに何千何万と金も掛かる。通うのに手間も掛かる。なのになぜ?」
老婆は困った顔をして、答えた。
「なぜ、ですか。周囲の目を気にしてる人も多いんじゃないんですかね。
葬ることが当たり前の時代のようですし、墓一つ建てていない人は、
家族思いじゃないなんて思われることを恐れているのかもしれません」
なるほど、墓守には全く解らない話だ。
振り回される世間というものが無い墓守には、理解できない。
それは解った。しかし、なぜだ。
もしそうなら、なぜ・・・。
墓参りが終わると、老婆は出口へと歩き出す。
墓守も傘を開いたまま、老婆を出口まで送った。
「では、私はこれで。墓守さん。傘、ありがとうございました」
ぺこりと深く頭を下げ、帰路に就こうとする老婆。
墓守はたまらず、声を掛けた。
「なあ、老婆よ」
歩き出した脚を止め、老婆はこちらへ振り向いた。
「お前さんは、なぜ墓石に声を掛けるんだ?」
墓守は話を聞いたあと、ずっと気になっていた。
墓場には自分と、墓守しか居なかった。
なのに老婆は、花を供えたあとも残り、声を掛けていた。
霊魂も、その行先も信じていない者が、なぜあんな真似をするのか。
くすっと小さく笑った老婆は、墓に供えた竜胆を見ながら言った。
「自己満足、ですよ」
目を丸くした墓守に向き直って、老婆は話を続けた。
「本当に愛し合い、長年寄り添ってきた人でした。病気でも怪我でもない、天寿を全うしての逝去でした。
それでも、私は悲しくて、寂しくて、辛かった。たった一人愛した人はもう、私のそばには居ないんですから。
だから、私は最期まで生きると決めたんです。愛した人が愛してくれた、私という命を、最期まで守り抜こうと」
誰もが知っている。人というのは、一人では生きて行けない。
家族、友人、恋人、誰か一人で居るだけで、人はそれを理由とし、活力とし、価値として生きる。
長い間、そんな大切な者と過ごした時間の停滞。ただの覚悟だけで、心を保てる筈もない。
「けれど私一人では、いつかくじけてしまう。生きることを諦めてしまう。
だから私も、人々も、過去にすがるんです。大切なその人と過ごした過去を思い出し、口ずさむ。
私は、私と交わした約束を守るために、ここへ来るんです」
答えを得た墓守は、思わず仏頂面を微笑ませた。
それは答えが見つかったからなのか、老婆の生き様に感化されたからなのかは解らない。
しかし、笑っているということは、大なり小なり幸せになったということだろう。
墓守は自分の黒い傘を老婆に手渡し、老婆は「ありがとう」と微笑み返した。
_________墓守は、今日も明日も、みんなのお墓を守ることだろう。