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懺悔  作者: 鳥丸唯史
8/10

回顧

 ◇◇◇


 私はノックする。幾ばくか待ってみるとミリコがひょっこりと顔を出す。

「あ、弱虫のおじさんだ」

「こんにちは、ミリコちゃん。絵本の話、覚えているかい?」

「うん。ミリコが読み聞かせするの。入って!」

 まず印象に残ったのは淡いピンクの壁だった。彼女の要望を受けて誰かが刷毛で塗ったのだろう。気づかれないとでも思ったのか、壁と天井の境目は手抜きになっていた。しかし、このわがままを了承する当たり、キャプテンは妹に甘いのだ。

 お姫様に促されてベッドに座る。枕元に例の頭蓋骨が添えられていた。親族か、友人か。正体を推理してみる間もなく、『ンナウドの大海賊』を用意したミリコが私の隣ではきはきと音読する。

「世界には二種類の人間が生きています。良い人間と、悪い人間です――」


 ジョー&ジェーンはガーデニング用品店として始まった。栽培そのものに力を入れていた私に対し、ジェーンは害虫対策に重きを置いていた。同じ村で育ち、同じ大学の農学部で研究していた私たち。私は肥料、彼女は農薬。私は緑化、彼女は殺虫。

 昔からそうだった。近所のおばあさんの手伝いで、庭の花を咲かせるために水をまき続けた私と、薬をまき続けた彼女。結局は根腐れして枯らしてしまった。しかしジェーンは謝るどころか可愛らしい笑顔でおばあさんに言った。

「でも虫は殺せたでしょ。だから噛まれずに済むわ。よかったね!」

 ジェーンは悪い子だったのか。それは結果論だ。彼女は良かれと思ってやっていたに過ぎない。風邪薬が存在するのは治すべきだからで、殺虫剤が存在するのは殺すべきだから。必要だからその薬は存在するのだから。ジェーンの世界は虫かそれ以外かの二択で区別されている。虫は根絶すべき悪で、彼女はその使命を全うしようとしていたのだ。

 その偏った考えは会社を立ち上げてからますます表立つようになり、メディアにも取り上げられるくらいになった。私は私で緑化の研究の意義について語ったが、お前の話は窮屈だと言わんばかりに小ぢんまりとした記事として隅に追いやられていた。ジェーンの持論に賛同した者は虫嫌いの数だけいたが、世間の平均的な反応としては厳しいものだった。彼女は否定されるほど過敏に反論を重ね、それらは良くも悪くもジョー&ジェーンの宣伝となっていた。虫除けスプレーといえばジョー&ジェーン。殺虫剤といえばジョー&ジェーンだった。


「キャプテン黒服は海の王様。とってもワガママな王様です――」


 日用品メーカーとして大手企業の一員となった頃、社交パーティーで不穏な噂を私は耳にした。以前から犯罪率や裁判の効率化、囚人の管理が政府で問題視されながらもうやむやにされていたのだが、実は水面下でとんでもない改善策が進められていたという。それの実現、運営のために白羽の矢が立てられたのがタクミノカグで、既に実用化されているらしいという話だった。

 問題のタクミノカグの役員はパーティーに参加していて、こともあろうにジェーンと話の花を咲かせていた。夜のバルコニーで、私を除け者にして。ジョー&ジェーンとの合併の話が持ち上がったのはそれからほどなくしてからだった。私はナンバー2から事実上の降格となり、一社員の扱いになった。発言権は初めからないようなものだったが、もはや否応なしに顎で使われるようになった。背後に政府が構えていること、資金の援助も受けていることが彼女たちの傲慢さに拍車をかけたのだろう。

 I/J&G(アイ・ジェイ・ジー)は湾岸に作られた。緑化の実験を続けていた私の新しい職場が工業地帯に移動したということが私にとってショックだった。霧に覆われた鉄色の都には街路樹すらない。しかもジェーンは実験内容の変更を命じてきた。あの時は神経毒の生成実験だった。たちの悪い冗談ならどんなによかったことか。

 タクミノカグは収容しきれなくなった囚人の実刑の簡略化として電気椅子を作った。人体に害のない程度の電気を課せられた実刑期間から割り出した時間だけ流すものだったという。私は一号機を見せられた。あれを起動させた瞬間からこの企業は狂ってしまったのだろう。

 そして狂人の目に留まったのがジェーンという訳である。彼女は気に入られてしまった。計画遂行に打ってつけの人材だった。

 死刑囚一掃を目的とした毒ガス。国を脅かすテロリストを壊滅させるための、軍事の人体実験だった。どちらにせよ人を殺すための兵器を作るために、ジョー&ジェーンは選ばれた。ガーデニングを楽しみたい人たちに尽くしてきたメーカーは一体どこへ?

 ジェーンは嫌悪の対象を虫から犯罪者に移行していた。犯罪者は害虫だ。害虫を生み出してはいけない。そのためには強力な〝農薬〟が必要だ――より危険な思想をアイツは植えつけた。

 ジェーンの欲求は爆発した。欲求を追い求めた結果がクビカリだ。犯罪の芽を刈るため、二社の得意分野を駆使し生まれた恐怖科学の結晶だ。はたして政府はどこまで状況を把握していたのだろうか。

 実用化に向けてクビカリはどんどん進化した。どこから入手したのか世界中の囚人の人相、家系、性癖などの類型情報を入力し、人工知能の精度を上げた。


「クヌガウドの大きな王国。ピカピカ輝く銀色の城に、海の魚たちもうっとりです――」


 手始めに指名手配犯の捕獲が行われる予定だったが、その前に工業地帯に乗り込んできたのがンナウドたちだった。予測はできたはずなのに、ジェーンたちは湾岸沿いに浮いていた魚の死骸に見向きもせず、漁師たちの訴えに耳を貸そうとしなかった。私の涙もでかい鷲鼻をしたアイツに笑われた。

「そんな歴史の教科書でしか見たことない生物に気を遣ってどうする。魚食文化はとっくに時代遅れだ。汚染なんて今に始まったことじゃない。そんな風にへっぴり腰だからジェーンに見限られるんだよ」

 にやにやと私の尻をがっちり掴んでから腰を引っ叩いてきた。


「オレの海より広くて大きな陸にしようなんて許さないぞ! 銀色の城を建てるなんて許さないぞ!――」


 クビカリの初出動だった。クビカリはンナウドを犯罪者と判断し、捕獲モードに切り替わった。クビカリは彼らを殺した。害虫の捕獲とはすなわち殺すこと。警吏軍に引き渡し、裁判し、刑を執行するという手間をかけはしない。そんなジェーンの思考が反映されていることくらい、予測はできたはずなのに。

 私はただちにプロジェクト中止を命じるように元首顧問団に連絡を取った。極めて遅い行動だったと思う。しかし、一秒でも早かったところで何が変わったというのだろう。彼らは機密である恐怖政策の噂を否定した上で、クビカリはI/J&Gアイ・ジェイ・ジーが違法に開発した兵器だと発表した。ンナウド殺しについては、海賊行為に対する過剰防衛だったと片づけられた。支持率の低下と暴動を恐れたのだ。

 その後、私はクビカリプロジェクトの指揮者として逮捕された。政府が糸を引いていたか文通も面会も許されない中、探偵や情報屋と顔が利く囚人や、釈放後の金や地位を引き換えとして汚職した公務員の身代わりとなった囚人と親睦を深めたことで、営業停止の裏ではクビカリの製造が着々と行われていたことを知ることができた。

 政府はあの恐るべき兵器を最高の軍事力として招き入れてしまったのだ。敵国が攻めてきてもクビカリが守ってくれる。クビカリが巡回すれば犯罪防止になる。全ての抑止力になる。そう判断してしまったのだ。

 私は仮釈放の交渉ができないか、囚人社会でどうにか工面し、関係者に賄賂を送り続けた。


「どうだどうだ、参ったか。ンナウドのきれいな海は、全部ぜーんぶオレのもの。クヌガウドにはやらないぞ――」


 海が失われるという天変地異は食堂のテレビで知った。

「ンナウド様の怒りに触れたせいさ。世界のバランスが崩れちまった以上、もうどうにもなんねえ」

 痴情のもつれで妻と漁業仲間を殺したという終身刑の老人が独り言ちた。

 海を盗んだンナウドが逃げ回っている。これが何を意味するか居ても立っても居られなかった。もはや脱獄しかないと腹をくくって道具を探していた頃に仮釈放が認められ、一度自宅に寄ってからI/J&G(アイ・ジェイ・ジー)へ向かった。

 一面に広がる腐乱した魚。青緑やピンクのスライム。取り巻く黄色い異臭。まるで化け物たちがいる世界へ迷い込んだような。

 どの部署も人影がなく、製造工場も止まっていた。格納庫すらもぬけの殻で、私は一層に焦りを感じた。

 ジェーンと出くわしたのは改めて開発部を訪れコンピュータを弄っていた時だ。私はクビカリをどうしたのか問い詰めた。

「あれならもう散布したわ。これで害虫は根絶やしね」

 満足そうに。従業員は全員解雇したらしい。I/J&G(アイ・ジェイ・ジー)の役目は終わったから、新たな企業をアイツと立ち上げるのだと。


「悪い奴をやっつけることが仕事のロボットは、いつまでもクヌガウドの王国中を走り回ります――」


 コンピュータは既にファイルを復元できない状態の廃棄物と化していた。おそらく人事部の方も抹消済みだろう。私は軟禁状態で一人毒ガス作りをしていたため、あとは直接企画に携わっていた人たちの記憶が頼りだった。

 問題は、私はジョー&ジェーン時代からの部下の連絡先は知っていたのだが、クビカリ本体の製作はタクミノカグ側の担当だったということだ。さらに機密漏洩防止のため、受け持ちが違う従業員とは企画の話はしてはならない、連絡も交換してはならないという規則があり、就業前後と休憩前後の私物と身体チェックも徹底されていた。精神的負荷は蓄積されるが割に合う賃金が支払われる。ただし規則を破れば見合った額の罰金を支払はなければならないという契約がある。そんなすれすれの条件で私たちは働いていたのだ。

「……アイツは今どこに?」

「アイツ?」

「きみの新しいパートナーだよ」

「ああ! 彼って本当に相性いいのよね。誰よりも頭が良くて、理解力があるし」

「今、どこにいるんだ?」

「話遮らないでよ。アンタってばいつもそう! 全然人の話聞こうとしない」

「そんなつもりは」

「彼はちゃんと最後まで聞いてくれるわよ。理解力もあるし。それに比べてアンタは否定ばっかり! いつもそう!」

「それはきみが」

「やめて!」

 甲高いリコーダーのような声を出された。人工食道に替えた人は皆こんな声を出してしまうようになるのだろうか。とにかく私はこの手の音が苦手だった。

「アンタってばいっつも屁理屈ばかり並べるわね! そんなんであたしの理解を得られると思ってんの!?」

「ジェーン……!」

「もううんざり!」

「話を聞いてくれ!」

「これ以上しつこいとクビカリを呼ぶわよ!」

 私はぎくりとした。この女ならやりかねなかった。しかし、呼ぶことができるというのが本当なら、止めることだってできるのだ。この女はその方法をアイツと共有している。ならば、いっそのこと覚悟を決め、脅迫するしかない。そう思った。

 私は護身用として親からプレゼントされた拳銃をジェーンに向けた。

「頼むから、今すぐにクビカリを止めてくれ。プロジェクトは中止だ」

 彼女は一瞬きょとんとしてから見る見るうちに顔が震え始め、ぎょろりと目を見開かせた。

「冗談じゃないわ! せっかく世界のことを思ってやり遂げたのよ! それを台無しにするつもり!?」

「きみが実現しようとしているのは平和じゃない! 破滅なんだよ! どうしてそれがわからないんだ!」

「わかってないのはアンタの方よ! 世界の犯罪率、再犯率、精神廃頽者とその予備軍、薬物依存者の総人口、各施設の収容率がどれくらいになってると思ってんの!? ずっと上がり続けてんのよ! それに比べて奴らを管理する人は下がる一方だわ! どうしてだかアンタわかってる!? 悪いものは伝搬するからよ! あんな気の狂った奴らを相手にしてたらそりゃあおかしくなるわよ! あたしたちはこれ以上悪化するのを防ぐように政府から頼まれてがんばってきたんだから!」

「政府はここまでやれとは言ってないだろう!」

「言われたことしかやらない奴は二流よ! 一命令されて十の働きをしてみせるのが一流の仕事でしょ! アンタってばいっつも言われたことしかやろうとしない、いいえ、言われたことすらごねてやろうとしなかったわよね! アンタってばいっつもそう! 本当に三流以下の男だわ!」

 ジェーンは拳銃をものともせず、論点をすり替えてまくしたてた。死の恐怖という感情が最初から欠けていたのだ。もしあればここまで酷い状況にはならなかっただろう。


「クヌガウドはすっかり困ってしまいました。これもみんなンナウドのせいです。みんなみーんな、ンナウドが悪いのです。おしまい、おしまい! どう? おもしろかった? ……おじさん? ねえ! おじさんってば!」

 揺さぶられて我に返る。

「ああ、何だい?」

「もう! ちゃんと聞いてなかったでしょー!」

「ああ、ごめんね……」

「あ! もう、おじさん、泣かないで! 怒ってごめんね!」

 ミリコはあたふたと私の涙を両手で交互にぬぐい、空いた手の雫をぺろりと舐めた。

「おじさんは怒られるのが嫌いなの?」

「怒鳴り声が怖いんだ。見えないもので、頭を叩かれてるような気がするんだ」

「そっかあ。じゃああとでみんなにおじさんのことは絶対に怒らないでねって言ってあげるね」

「うん、ありがとう」

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