表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
懺悔  作者: 鳥丸唯史
7/10

報い

 ◇◇◇


「へあーっ。ジョー・グリーンといやあ、あのジョー&ジェーンの……えーっと……。そう! 植物学者でやんすな! ええ、ええ、新聞でチラッと写ってたのを見たことありやす!」

 独特な訛りと濁声。立派なもみ上げをつけた毛むくじゃらの顔に対し頭部は寂しく、小柄であることを拒否するかのような身振り手振りの(せわ)しなさ。にかっと笑顔を見せればやたら立派な糸切り歯が顔を出す。

 エクサ。彼のことは私もある程度知っている。「小猿」の愛称で呼ばれていた元野球選手。ポジションは確か、二塁手だったはずだ。機転を利かせた俊敏さに定評があったが、スポーツチャンネルに変えてみれば審判に食ってかかっているところであったり、味方選手に怒鳴っているところであったり、血が上りやすいことの方が有名だった。さすがに自分から手を出すことはないようだったが、他が乱闘の火蓋を切れば率先して敵陣に飛びかかり、乱闘の切り込み隊長などという呼ばれ方もしていた。元々喧嘩好きだったのかもしれない。

 ただ、あのはつらつした頃に比べれば彼の顔にはしわとたるみがあった。今は何歳なのか。傷害で複数チームに集団訴訟されてから、腹いせとして共に野球賭博をやっていた選手の暴露、現役引退からの逮捕という怒涛(どとう)のニュースを見てからどれくらいの月日が流れているのか。そして生ごみの異臭。泥色をした肌と染み汚れにまみれたウインドヤッケ。一目瞭然の転落人生に、一抹の同情を覚えた。

「この船にシャワーはあるんですかい? それに着替えも」

「古着なら用意するけどね、シャワーなんていう贅沢な設備はここにはないよ」

 確かに私もこれまで用意されたドライボディソープ、シャンプーしか使用してこなかった。障害を抱えた患者だったので不思議に思わずいたが、水は貴重らしい。

「さすがにその状態でミリコに近づけさせる訳にはいかないからねえ。今回は特別キッチンで済ませられるようキャプテンに許可取っておくよ」

「そいつはありがたいでやんす!」

 テスラの胸の高さしかないエクサは踏ん反り返りながら言った。

 彼が喜々として久しぶりの水浴びを楽しんでいる間、私は彼女に尋ねた。

「本当に彼がミリコちゃんの相手をするんですか?」

 背丈も含め、キャッチボールの相手としては申し分ないかもしれないが、性格に難がある。駄々をこねる彼女に早々沸点を超えられては心苦しい。

「サボアの占いを信じるしかないよ」

「しかしキャプテンも妹思いなんですね。わざわざキャッチボールの相手を探そうだなんて」

「ついでじゃないかね。船員として役立ち且つボール遊びの相手ができる……」

「結局きみは戦力外通告を出されたのかい?」

「だーまーりーなー。どうせアタシは飯炊きババアだよ」

 彼女は鼻を鳴らして私の部屋から出ていった。



 エクサが加わったことで船内は幾分にぎやかになった気がする。廊下からミリコのはしゃぎ声が透き通って聞こえた。彼のファインプレーや威勢のいい呼びかけに満足しているようだった。

 彼はカードゲームもこよなく愛し、ポーカーは白熱。テスラは張り合いがあると言ってとうとう賭けを持ちかけてきた。

「ちとこいつは曰くつきの品でね」

 意味深長に、手のひらサイズの小袋がテーブルの中央に置かれ、エクサは眉をひそめながら袋の紐を緩めた。入っていたのは荒めの白い砂だった。

「まさかウナクズでやんすか?」

 エクサが訝しく口にした単語はドラッグの種類だ。ンナウドの石と呼ばれる珍しい海の鉱石を加工した時に出る屑を海屑(うなくず)または魔屑(まくず)と呼ばれ、それを集めて練れば何らかの効果が出る魔薬(まやく)になるとされている。それは伝承レベルで科学的根拠はないにも関わらず、服用した身に何が起こるかわからない緊張と興奮が若者の間で流行った。空が飛べるようになったとビルから飛び降りて死んだり、火を操れるようになったと放火して回ったり社会問題にまで発展した。

 この問題の肝は出回っているウナクズが本当に海屑で作られたものなのかということだ。ンナウドは魔術を扱える(そう、例えば……)という伝承への憧れに、現実逃避しようと(そう、例えば……)するのを金と引き換えに麻薬の売人が後押しして回っているのだ。

 現実に絶望して自ら精神を破壊していく若者たち。自ら精神廃頽者たちの輪へと飛び込む若者たち。増加する犯罪。下がらない再犯率。圧迫される刑務所。精神病院。これ以上、哀れな人間を増やさないためにも、政府は頭を抱え続けてきたのだ。

「いいや、こいつはンナウドの骨粉だよ」

「なんだって、エエ!」

 仰天するエクサに対し、カンデラはくっくっと笑みをこぼした。

「お前さん、そんな大層な物を……。本物だという証拠はあるのか?」

「サボアのお墨付き、ってのはどうだい? 彼女の目利きは確かだよ」

「一体どこで手に入れた? キャプテンは知っているのか?」

「とあるアンポンタンを介抱したら死の間際に譲ってくれた、とだけ言っておくよ。キャプテンには報告済みさ」

「あいつは何て?」

「好きにしろってさ。この荒れ狂う波の中を生きていくには船員各自の手札は必要だろ? こいつは使いようによってはなかなか面白い戦力になってくれる。そうアタシは信じているよ。もちろん売るのもありさね。うまく流せば当分はお水で遊べる額にはなるし、そっくりそのままキャプテンの偉大なる目的のために貢いだっていい」

 エクサは興味をそそられ生唾を飲み込んだようだった。

「アンタも乗るだろ? ジョー」

「ペタでいいですよ、今まで通り」

 呼び方を改められるとどうもしっくりと行かない。

「そんなにいいものなんですか、それ」

 ギャンブルの誘いに乗り気ではない私に、テスラは鼻を鳴らす。するとカンデラが骨粉をぼうっと見つめたまま、

「人間の知る科学の限界をはるかに超越した魔の法則。海境(うなさか)の向こうにあるとされる秘術をンナウドは自在に操れるという。魔に馴染み深い彼らは皆、海の魔王の稚児であり寵愛を受けているからだ。愛されたその肉、皮、骨は我々陸の人間に海の魔王の泡術(あぶくじゅつ)を与え、陸の世界がいかにせせこましくちっぽけか教えてくれる」

 と口ずさむように言った。

「魔王というのはキャプテン黒服?」

「さあ」

 私とカンデラのやり取りに、エクサは怪訝な表情で「青服じゃないんですかい?」とそっとテスラに声をかける。

「絵本のことさ。で、どうするんだい、勝負しないのかい。負けたところでアンタらは何の損にもなりゃしないんだ」

 彼女は男性陣を見回した。

「いよし! じゃあ俺も掛け金を出してやろうじゃあ、ありゃあせんか! とっておきでやんすよ!」

 (あお)られた小猿が鼻息荒く懐から出し広げたのは、ランジェリー姿で胸や尻を強調したポーズをピンクのベッドの上で取った女性のブロマイドだった。

「伝説のストリッパー、セクシーダイアモンドの秘蔵写真でやんす! どうです! これなんかもう、男にゃあたまらんでしょうね!」

「よし乗ったぁ!」

 テスラが弾けるように腕まくりの仕草をしながら彼の賭け物に飛びついた。

「ほらほら、カンデラ! アンタも何か賭けな!」

「おいおい、冗談だろ」

「へったくれもあるかい! さっさと価値のあるものをここへ出しな!」

 うんざりするカンデラを尻目に、私なら何を提示するだろうかと思う。彼らにとって価値のあるもの。やはり、記憶以外に考えつくものはなかった。

 カンデラは自力で記憶を取り戻すことを推奨している。もはや私にまつわる話を口に出すことは最小限に抑え濁しているようだった。狂死を避けるため肉体の回復を優先させたテスラも『ンナウドの大海賊』を見せ、ミリコに会うよう勧めた以外に大きなヒントを与えてくることはない。

 しかし、このポーカーの集いは毎度不思議な空気に包まれる。空気に酔って、二人はヒントめいた台詞を儀式遂行の呪文のように垂れ流すのだ。今し方もそう。キーワードを気だるく操り人形のように放り投げてきた。だらしなく口角を上げ、目は据わっている。私はそれを(クビカリとは……)真っ向から(思い出したくない……)受け止めなければならない。



「物欲のない人が勝っちまうんじゃあ、世話がないでやんす」

 集いはお開きになったが、エクサは未練がましく座り込んだまま頭皮をなでていた。

「じゃあこれ、きみに返すよ」

 ブロマイドを差し出すと、ぱっと笑みを取り戻して素早く懐に戻した。

「え? あ、それはさすがに頂けないでやんす」

 ついでに差し出した小袋には苦笑いで受け取ろうとはしなかった。

「あんなに物欲しそうにしてたじゃないか」

「いやいや社長。俺はそこまで卑しい人間じゃあ、ありゃあしやせんぜ」

「私はもう社長じゃない……というか、私は単なる研究員でね」

「植物のでしょう? じゃあ、それに使ってみたらどうです? もしかしたらワカメが生えてくるかも」

「ワカメ?」

「あ、いやいやいや、冗談です。冗談。へへへ……」

 エクサはばつが悪そうに眉を八の字に下げた。

「……きみは私のことをどれくらい知っているんだい?」

「へえ。ジョー&ジェーンの人というイメージしか……」

「そうか」

「なんせジェーン・カーディガンの方が出しゃばってたでやんすから! あ、いや、目立っていやしたもんで……。美人でね!」

 彼は言葉選びが苦手なようだ。余計な一言をこぼしてしまいそうな危うさがある。まるで、私の記憶を取り戻すための補助として選ばれたかのような。

「きみは、この船に乗せられたことについて、どんな説明を受けたんだい?」

「え? あー……」

 エクサは目をそらして首を引っこめる。

「私には余計なことを言うなと口止めされているんだろう?」

「へえ。実は」

 眉をぐんと上げて額にしわを何本も作った。隠し事は苦手なのか好まないのか。だから野球賭博も吐いてしまったのだろう。

「答えてくれないか。……外はどうなってる?」

「外でやんすか……?」

 問いから逃げるように上体を曲げて、またしても眉が下げて困惑の色を出す。表情豊かな男だ。

「海がないのは現実の話かい?」

「へえ……。キャプテン青服が盗みやして、残っているのは微々たるもんで」

「そのキャプテン青服を、ロボット……」

 私は頭を横に振る。

「……クビカリが追っているんだね?」

「へえ」

 エクサは私の顔色を探り探りに返答しているようである。

「この船のキャプテンはクビカリをどうしたいって? 破壊しようと考えているのかい?」

「工場を破壊するつもりでやんす。まずは本丸を潰さなきゃな始まらないもんで」

「たくさんいるのか……」

「へえ、たくさん。空を飛ぶやつとか、地面を潜るやつとか、色々」

 こめかみが痛くなってくる。そこからじりじりと脳全体に熱がこもっていくようだ。

「キャプテン青服を捕まえれば、事は収まるんじゃないのかい?」

「うん、まあ……。海は取り戻せるでやんしょうがね……。その……」

 エクサは首をさすりながら言葉を濁し、「いいんかなあ……」と隠し事の苦悩を漏らす。

「いいよ、言ってごらん。構わない」

「そうでやんすか……? じゃあ言いますけどね。そもそもクビカリは青服をとっ捕まえるために作られた訳じゃあ、ないんでやんすよ。だから青服をしょっ引いたところで、ありゃあ止まりませんぜ。……大丈夫でやんすか?」

 私は震え始めた右手を左手で押さえていた。

「大丈夫。それは……恐ろしいね」

「ええ、ええ。ありゃあ、地獄の番人でやんすよ。獄卒でやんす。死神でやんす。あんなものを作った輩の気が知れないでやんす……あ」

 エクサはしまったとばかりに目を見開いて口を当てる。

「あややや、まだわかんないでやんすよ。ペタさんがまだジョー・グリーンだって決まった訳じゃあ。まだ思い出せてないんでやんしょう?」

「無理に取り繕う必要はないよ。私がジョー・グリーンなのは間違いないはずだ」

 タクミノカグとジョー&ジェーンが合併してI/J&G(アイ・ジェイ・ジー)になった。

 そこで私は……。

「工場の場所はわかっているのかい?」

「わかってりゃあ、そんなに苦労はしないでやんす。世界中の軍隊が黙っちゃいないでやんしょ。勝つかはさて置き」

「軍は機能してるのかな……」

「警吏軍はしてるでやんすよ。この前もホームレスの集団窃盗に息巻いてやした。街の静けさを保つのにそりゃあもう、決死の覚悟でやんす。俺も何度捕まりかけたことか。へへへ、俺にはこの脚がありやすんでね」

 猿のように逃げ回ってきたのだろう。背丈に対しごつい脚を自慢げに叩いた。

「キャプテンは工場の場所を知りたいってことかな……」

「でやんしょね」

「きみは私を恨むかい」

「え? いや、別に」

 眉をひそめ頭をひねるエクサに苦笑した。

「遠慮しなくたっていい。私は死神を作った関係者かもしれないんだからね」

「それはそうなんでしょうがね……」

 彼は腕を組み、頭をひねり続ける。

「ペタさん。アンタはもう報いを受けたでやんしょう?」

「……え?」

「その顔は整形でやんしょう?(報いって何だ)新聞に写ってたのと違いやす。それにあの二人。一人は装具士で片や元看護婦でやんすからね。どこがどうなのかは見た目区別つかないでやんすけど。あんな恐ろしいもんから(クビカリから)生き延びた(クビカリから)んでやんす。ちゃんと責任取れってこと(どうやって)でやんしょう。それを俺がどうこう怒り狂って邪魔しちゃあ、お頭にも申し訳ないでやんす」

 実は借金の肩代わりをしてくれたのだと明かされる。仲間にならざるを得ないほどの借金相手と額だったのだろう。だからといって、許せるものなのか。私の罪は。私の罪は……。

「大丈夫でやんすか……? ものすごい汗でやんす」

 言われて自覚する額の水気。対し首から下は鳥肌が立つほどに冷えていた。

「もうこの辺にしときやしょう。(あね)さんに叱られちまいやす。俺がベラベラしゃべっちまったことは内密に願いやす」

 エクサはコソ泥のように退室した。一人になった途端に起こる耳鳴り。

 私は生き延びた。責任を取るために。責任を取るために、まずは記憶を完全なものに……。

「ジェーン……」

 その名前を口にしてみる。虫を恨み、否定し、根絶を願う彼女。


 ――ああ、もう。いい加減にして。


 ――アンタって男はいつもそうやってめそめそ、めそめそ。


 ――この泣き虫野郎。


 ――どう責任を取るつもり!?


 私は責められている。血の気のない、マネキンのような(そしてトルソになりかけた私……)顔をした彼女に。その目玉には涙の膜ではない、人工的な光沢があった。

 詰め寄る目玉に映っているのはかつての私の顔。ジョー・グリーンの顔だ。


 ――どう責任を取るつもり!?


 顔をそらす彼女。目玉に映されたのは。私の責任は――

 鳴り止まない耳鳴り。キン、と不快な金属音がする。やがて鼓動と連動し、つるはしで鉱石を発掘しているような音が幻聴として起こった。私は布団をかぶった。冷や汗も震えが止まらない。

 この音は何だ。まるで足音のような間隔。私の責任を取らせるためにやってきた、アイツ……。

 クビカリ……。

「私はもう報いを受けた」

 クビカリが来る。

「もう報いを受けた」

 罪人を裁くために。

「報いは受けたんだ」

 私の元へ。

「もう来ないでくれ。お願いだ」

 クビカリが――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ