第52話 海上戦 後編
「おい、あのイカ野郎海に潜っちまったぞ。逃げたのか?」
「それはまずいな。ここで逃げられたら当初の目的である海路の安全が確保出来んぞ」
ハンスとマルクスがそう言う一方でヴィンスは嫌な予感しかしていなかった。と言うのもクラーケンは姿こそ見えないものの彼の『索敵』にはクラーケンの気配が引っ掛かったままだからだ。
(これはまずいんじゃ……!もし海中から船底を直接攻撃されたらどうしようもないぞ……)
焦るヴィンスを嘲笑うかのように船が大きく揺れた。
クラーケンが海中から船底に体当たりしたのだ。
「きゃあ!!」
「大丈夫か、ローザちゃん!?」
「うわ!?何だ今の衝撃は!?」
船は危うく転覆しそうな程の揺れに襲われローザは海に投げ飛ばされそうになるところをハンスが腕を引っ張って助ける。マルクスも尻餅をつきながら狼狽えていた。
「まずい!多分あの魔物が海中から体当たりを仕掛けたんだと思います!」
ヴィンスは冷静に状況を判断してそう答える。
しかしその判断とは裏腹に内心ではとても焦っていた。何度も体当たりされれば確実に船が破壊されるからだ。
「何だと!?海中から攻撃されたんじゃこちらは手も足も出ないぞ!」
「くそ、このままじゃ……っておい、ヴィンス君。一体何をしているんだ!?」
ハンスが驚くのもある意味当然である。何とヴィンスは装備していた鎧を外し出したのだ。
「……海から出てこないのなら海中で戦うしかないでしょう?」
水中に潜る覚悟を決めたヴィンスはそう答える。だがハンスは断固として反対した。
「冷静になれ、ヴィンス君!!いくらイカ野郎の足を斬り落としていても本体はまだ無傷だ!そんな状態で水中戦なんて正気の沙汰じゃないぞ!!」
「ハンスの言う通りだ、ヴィンス。せめてあと一撃のところまで弱体化させているならまだしもな」
2人に反対されたヴィンスは冷静さを取り戻す。
確かに2人の言う通りであるからだ。
もし飛び込んだとして呼吸をするだけなら海面に上がればいいが、水中でクラーケンの足に捕まってしまえば厄介だ。水中で足を斬り落とせなければ溺死してしまう。
「そうですね……申し訳ありませんでした。しかしそれはそれとして、まずはあの魔物を海面から現させないとどうしようもないですよ」
「確かにな……しかしイカ野郎を引きずり出す手は何かあるか?ヴィンス君の『真空刃』が海中でも届くとか?」
ハンスは問いかけるがヴィンスは首を横に振る。
「マジか……それじゃ打つ手なしなのか?」
「……せめて海面に近いところまで浮上してくれば威力は落ちても何とかダメージが入るかもしれませんが……」
ヴィンスは自身の『魔法剣』で風魔法を付与すれば多少の水の抵抗ならば何とかダメージが入ると思っていた。
問題はどうやってクラーケンを浮上させるかだが——
「……ねえ、それだったらあの魔物の体当たりの瞬間がチャンスじゃないかしら?」
ローザの提案にヴィンスは目を輝かせる。
「それだ!!確かにその瞬間なら届く可能性は高い!!」
「ちょっと待て!確かにそうかもしれないが、さっきは船底を狙われたんだぞ?どこからどうやってそのタイミングを狙うんだよ!?」
異論を唱えたのはマルクスだ。勿論彼の言う通りではある。
「方法は1つしかありません。船底を狙われた時にどうにかして躱すしかありません!」
「いやお前……どうやって躱すんだよ!?船があの魔物より速く動ける訳ないだろうが!」
「いえ、風魔法を使えば可能性はあります」
ヴィンスの提案を最初から論外だと言わんばかりに否定するマルクスに対して、ヴィンスは風魔法を使ってどうにか船を動かす事を提案した。
「風魔法?ヴィンス君、どういう事だ?」
ハンスはよく分かっていなかったがマルクスにはヴィンスの意図が一応伝わっていた。だからこそ彼には疑問も生まれた。
「成程……マストに風魔法を放てば瞬間的に大きな力を加えられるだろうが……問題は瞬間的に船を動かせるだけの力を風魔法で生み出す事が出来るのか?」
「…………」
マルクスの疑問にヴィンスは無言になる。
ヴィンスとローザは2人共風魔法を使えるので2人掛かりなら何とか出来る自信があった。しかし、2人共魔法に掛かりきりになってしまうと今度はクラーケンを迎撃する余裕がなくなってしまうのだ。
確実に作戦を成功させるためにはローザ1人で船を動かさなければいけないのだが——
「ローザ、付与魔法の『マジックアップ』を使って『エアーブラスト』でどうにか出来るかい?」
「……やってみないと何とも言えないけど……いえ、何とかして見せるわ!!」
正直なところローザは自信が無かったが、それでもこのタイミングで「自信が無い」とは口が裂けても言えなかった。何故ならこれ以上考えたところでそれ以上の良案が出るとは思えないのだ。
であれば「出来ない」ではなく「やるしかない」
「よし、今の内に自分に『マジックアップ』を掛けておいて。僕は『索敵』であの魔物が体当たりしてくるタイミングを探るから、合図をしたらマストに『エアーブラスト』を放つんだ!」
「……分かったわ!!」
ヴィンスはそう言うと自身の準備に入る。船尾に移動するとまずは鋼鉄の剣に『魔法剣』を掛け直して全力の『真空刃』を放てるように深く構える。そして『索敵』でクラーケンの気配を察知してタイミングを探っていた。
(これで私の魔法の威力が足りなかったら……ううん、失敗した時の事を考えてもどうしようもないわ!全力でやるだけよ!!)
ローザは失敗した時の事を考えるのをやめて開き直る。それでも少し肩に力が入り過ぎているのをハンスは見逃さなかった。
「ローザちゃん、少し肩に力を入れ過ぎだ。一回深呼吸するんだ」
「……はい、ありがとうございます。ハンスさん」
ハンスに言われた通り大きく深呼吸をするローザ。それから詠唱を始める。
「(……来る!!)ローザ!!今だ!!!」
クラーケンの動きを読み切ったヴィンスはローザに合図を出す。
ローザは返事をする時間も惜しいと言わんばかりにそのまま船のマストに向けて『エアーブラスト』を放った。
マストは大量の風を受けて急発進するかのように船が動き出す。
(どうだ、躱せるか!?)
船尾で構えていたヴィンスは船の動きとクラーケンのスピードを比べて非常に微妙なタイミングだと見立てた。
そして——
「グゥオーン!?」
船尾からクラーケンの頭が見えた。
ギリギリ躱す事に成功したのだ。
クラーケンもまさか自身の体当たりが外れるとは思わなかったのであろう。恐らく戸惑っているであろう声を出していた。
「喰らえっ!!」
若干海面から本体を出したクラーケンにヴィンスはここぞとばかりに全力の『真空刃』を放つ。
ヴィンスから放たれた『真空刃』はクラーケンを一刀両断とはいかないまでも本体を大きく切り裂き大ダメージを負わせる事に成功した。
「グウォオオーーン!!」
クラーケンは『真空刃』で負った傷から大量に出血する。
その出血に寄って、辺りの海面は一気に変色した。
「(ここで逃がす訳にはいかない!!)ローザ!直ぐに僕へ『フィジカルアップ』を掛けてくれ!!」
もう一度同じだけの威力の『真空刃』はもうヴィンスには撃てない。先程の『真空刃』でヴィンスのMPは底を尽き掛けていたのだ。ヴィンスがクラーケンを倒すにはもう直接攻撃するしか手は残っていなかった。
「ヴィンス!『フィジカルアップ』よ!!」
ローザも自身の残りMPを振り絞ってヴィンスに付与魔法を掛けた。
「(これであの魔物を倒せなければ僕達に打つ手はない……絶対に仕留める!!)ローザ!僕のポーチを預かっていてくれ!!」
ヴィンスは先程外した鎧以外にもブーツなど外せるものは全て外して軽装になるとマジックポーチに仕舞ってローザに預ける。そしてクラーケンにトドメを刺すために鋼鉄の剣と槍を持って船から飛び降りた。
「おい、ヴィンス君!!……飛び込んじまった……」
「ヴィンスの『真空刃』で倒せこそ出来なかったがかなりダメージを与えたはずなのに……もう一度同じ戦法でいった方がリスクはなかったはずだが……?」
「いえ、あの魔物にかなりの傷を負わせたので同じ展開に持っていける保証もないでしょうし、それに多分ですけど……どちらにしてもヴィンスにはもう先程の様な威力の『真空刃』を撃つだけのMPが残っていなかったんだと思います。この戦いだけでも相当数のスキルを駆使していたはずですから……」
マルクスの疑問に答えたのはローザであった。
ローザはまだまだヴィンスには届かないものの、この旅を始めてから飛躍的にMPが増えている。だからこそ今回の戦いでは付与魔法を中心に何度も魔法を使う事が出来たがそれでもまだまだLvの低い魔法ばかりだった。
それに対して今回ヴィンスが使っていた『真空刃』は剣技であるがそれでもLv5のスキルであり、魔法でこそないがMPをそれなりに消費する。それを幾度となく使用すればどうなるかはローザもよく分かっていたのだ。
「そうか……もう直接攻撃するしか方法がなかったって事か……こうなったら後はもうヴィンスを信じるしかないって事だな……」
「大丈夫だぜ、おっさん!ヴィンス君なら絶対倒してくれる!!」
ハンスは口ではそう言うものの、ただただヴィンスが無事に戻ってくる事だけを願っていた。
「おい、大丈夫か……もうヴィンスが潜ってから数分経ったぞ」
「頼む……ヴィンス君、早く上がってきてくれ……!!」
「ヴィンス……!!」
ヴィンスが海に潜って時間が経過するにつれ3人は次第に焦りだす。
数分が経過した頃には3人共気が気ではなかった。ローザに至っては両手を握り締めながらヴィンスの無事を祈っていた。
「おい!海面から何か浮かんできたぞ!!」
ずっと海面を見ていたハンスがそう叫ぶと次第に大きな影が見えてきた。
浮上してきたのは全く身動きしないクラーケンであった。
「イカ野郎の方か! しかし全く動かないな……ヴィンス君が倒したのか!?」
「でも……ヴィンスの姿が見えないわ!?どうしてなのよ!?」
「「……」」
肝心のヴィンスが見えなくてローザは泣きそうな声を出す。
それに対してマルクスだけでなくハンスですらも何も答える事が出来なかった。
そして——
「——ぷはぁっ!はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
クラーケンから遅れる事十数秒後にヴィンスが浮上してきたのだ。
ヴィンスは海面から顔を出すとここぞとばかりに呼吸をする。
「ヴィンス!ヴィンス!!……よかった……よかったよぅ……」
ヴィンスの姿を確認出来たローザは大泣きして喜ぶ。
「ヴィンス君!!よくやった、本当によく頑張ったな!!」
「よかった……ヴィンスが無事に帰って来て……」
ハンスやマルクスもヴィンスの姿を安堵の声を出してヴィンスを甲板に引き上げた。
ローザはヴィンスに走り寄って思わず抱き着いてしまう。
「ちょ、ちょっとローザ……」
「もう!本当に心配したんだから……どうしてあの魔物より先に上がって来ないのよ!?」
泣きながら抱き着いたローザはヴィンスの両肩を叩きながら詰問する。
「いや、それがさ……」
「ん?そう言えばヴィンス君の剣と槍はどこにいった?」
ハンスはヴィンスの手に何も握られていない事に気づいたのだ。
「それなんですが……なんとか魔物を倒したまではよかったんですけど、いざ浮上しようとしたら剣と槍を持ったまま浮上出来るだけの体力が残っていなくて……なので放棄してきました」
ヴィンスも砂漠で購入して以降愛用の武器だっただけに出来れば手放したくはなかった。しかし、彼の言葉通り武器を持ったまま浮上出来るだけの体力は残っていなかったための苦渋の決断だったのだ。
「そうか……まぁ仕方ないな。命より大事な物なんてないからな」
「ハンスの言う通りだ。武器を捨てるのは出来そうでなかなか出来ない判断がよく決断したな。武器は町に戻ったらまた買えばいい」
「もう……私は何でもいいわ!ヴィンスが無事に戻って来てくれれば……うぅ……」
ハンスとマルクスはヴィンスの判断を褒め、ローザはまだ泣き止まずにただただヴィンスの無事を喜ぶだけだった。




