第51話 海上戦 中編
「グオオーーン!!」
まさか己より遥かに小さい生き物に傷をつけられるとはクラーケンも思っていなかったのであろう。 ヴィンスの『真空刃』によって足を切り裂かれたクラーケンは激怒して激しく暴れ出した。
「うお!?あのイカが怒り出したぞ!」
「多分こちら側の攻撃で足を斬られるとは思っていなかったんだろうな」
先程まで焦っていたハンスやマルクスも少し余裕が出て来たのか、クラーケンを観察するかのように述べる。
一方ヴィンスは心理的にあまり余裕がなかった。と言うのもクラーケンにはまだ10本近く足が残っていると思われるのだ。船の損傷の関係で躱すと言う選択肢がない以上、1本ずつの攻撃ならまだしも連続で繰り出された場合が非常に厄介だからだ。先程クラーケンの足を斬り落とした『真空刃』は弱い威力ならまだしも、クラーケンの足を斬る程の威力で放つには少々の溜めが必要なのでクラーケンの連続攻撃には対応出来そうにないのだ。
(長期戦になればなるほど苦しいな……何とかこの魔物をもっと船に近づければ勝機も見えるんだけど……)
ヴィンスがそう考えている間にもクラーケンは足を振り上げる。幸いにも振り上げた足は1本だけであった。
「(この足は斬り落とすとして次に備えないと……)ローザ!僕に『パワーアップ』を掛けてくれ!!」
「『パワーアップ』ね?分かったわ!」
ヴィンスから指示が飛んできたローザは直ぐに詠唱を開始する。
その間にクラーケンの足が迫ってきたが、先程同様ヴィンスは『真空刃』を放って斬り落とす。
その直後
「はい!『パワーアップ』よ!」
ローザから『パワーアップ』を掛けて貰い力が上昇したヴィンス。
(Lv1だと思ったよりも効果は大きくないな。でもこれとあれを組み合わせれば連続で攻撃されても何とか出来るかも)
予想より『パワーアップ』の効果が小さいと判断したヴィンスは更に攻撃力を上げるべく自身が装備している鋼鉄の剣に向かって風魔法『エアーブラスト』を放った。するとヴィンスが持っていた鋼鉄の剣に風の力が纏わり出す。
「おい、ヴィンス君何をやって……って何だそりゃ!?」
「!?」
ハンスが驚くのは無理もない。彼も初めて見るスキルだったからだ。
マルクスに至っては驚き過ぎて声も出ていなかった。
そんな中、ローザだけは少々驚きつつも見覚えのあるスキルだっただけに3人の中で一番落ち着いている。
「お父さんから見せて貰った事があるわ……あれは『魔法剣』ね!!」
「マジかよ……あれが『魔法剣』って奴か!?ヴィンス君は俺をどれだけ驚かせれば気が済むって言うんだ?」
ローザの言葉でヴィンスが何をやったのか理解したハンス。
先日テシスの町でヴィンスと模擬戦を何度もやった(やらされた?)ハンスであるが、ヴィンスの底知れぬ力に改めて驚愕する事となったのだった。
一方、足を斬り落とされて激怒したクラーケンは3本の足をバラバラにではなくまとめて振り上げる。クラーケンは連続攻撃でなく、より強力な振り下ろしを狙っていたのだ。
(まとめてくるのか……でも『パワーアップ』と『魔法剣』を組み合わせた今ならこの程度!!)
「ヤバイ!!3本まとめて叩きつけてくるぞ!!」
ハンスはクラーケンの攻撃準備を見て焦りの声を上げるがヴィンスは落ち着いていた。
ヴィンスは鋼鉄の剣を両手で握り締めると、3本まとめて振り下ろされたクラーケンの足に向かって全力の『真空刃』を放つ。『真空刃』と風魔法は相性がとてもよく、通常よりも大きく強力な斬撃となっていた。
「ギャアアーーン!!?」
クラーケンは目の前の光景が信じられなかったのであろう。己より遥かに小さい生き物に足を3本同時に斬り飛ばされたのだから。クラーケンは痛みも忘れてただただ驚くのみである。
「やった!流石ヴィンスね!!」
ローザは思わず大声で喜びを表現する一方で
「す、凄え……3本全部斬り飛ばしちまった……。何て威力だよ……」
ハンスは小声で呟いた。いつものハンスなら調子に乗って軽口を叩くところだったが、そんな事も忘れてヴィンスの剣技に見入っている。
(そうだ!目の前の光景が凄過ぎて忘れるところだったけど、そもそもヴィンス君はラルフ殿の息子さんだった……やっぱり天才の子は天才って事か!)
ヴィンスの父であるラルフは魔法を使えないので勿論魔法剣を教える事は出来ないが剣技はラルフ直伝である。そして魔法はローザの父であるアルフレッドから教わっている。つまりヴィンスは2人の天才から英才教育を受けたような存在なのだ。
(この討伐が上手くいってアルフレッド殿も帰ってきたら、警備隊辞めてアーリルに引っ越そうかな……それで俺も2人に鍛え直して貰おうか……)
少し余裕の出て来たハンスは思わずそんな事まで考えていた。
「…………」
ちなみにマルクスは目の前の光景に付いていけず放心状態になっていた。
(これで足は5本斬り落としたな……残りは5本か?)
クラーケンがイカの変異種と判断していたヴィンスは足の数が10本だと仮定していた。
しかし海面に見えるクラーケンの足を数えると6本あるように見える。
(6本と言う事は合計11本だったのか?ただのイカの変異種ではないということか……)
ヴィンスは自身の仮定よりクラーケンの足が多い事に少々うんざりする。
(仮定より1本多いくらいならやる事は変わらない!!)
ヴィンスはそう自分を叱咤して襲い掛かってくるクラーケンの足を2本『真空刃』で斬り落とす。
「これで残りは4本のはず……あれ?」
ヴィンスは思わず声を漏らしてしまう。
「どうしたの?ヴィンス」
ヴィンスの戸惑いの声を聞いたローザは少々不安気に彼に確認する。
「いや……気のせいかな。何でもないよ」
恐らく先程数えた時は海面に隠れて見えなかった足があったのだろうと思い直し、ヴィンスはクラーケンの足による攻撃を迎撃する事に集中する。
(明らかにおかしい……まさか!?)
ヴィンスはクラーケンの足を合計で10本斬り落とした。それにもかかわらず海面からは相変わらず5~6本見えていたのだ。
「ちょっと待て……あいつ一体足が何本あるんだよ!?」
「もうヴィンスが10本くらい斬り落としているだろ。どういう事だ一体!?」
「ヴィンス……あの魔物明らかにおかしいわ!!」
ハンスとマルクスは戸惑い、ローザに至っては怯える様な声でヴィンスに訴える。
「多分だけど……斬り落とした足が再生している……」
「「何だと!?」」
「そんな!?」
再生している瞬間は見えないものの、ヴィンスの予想は当たっていた。
クラーケンの斬られた足は海面で隠れてヴィンス達には見えないが再生していたのだ。
「海面でハッキリは見えませんが……恐らく再生しています。でないと流石に数が多すぎます」
「だとすればどうすりゃいいんだ!?」
ハンスは思わず苛立ちながらヴィンスに問い掛けてしまう。それだけ彼は焦っているのだ。
「あ、すまん……まともに戦えているのがヴィンス君だけなのに……」
自分の失態に気付いたハンスはすぐにヴィンスへ謝罪した。
ヴィンスも素直に謝罪を受け入れる。
「いえ、大丈夫ですよ。話は戻りますが足をいくら斬ったところであの魔物は恐らく倒せないでしょう。しかし……」
「足を斬らない限りあの魔物にはこれ以上近づけないって事かしら?」
ヴィンスが喋っていた続きをローザが代わりに繋げると彼は無言で頷く。
「しかし再生を止める方法なんてあるのか?」
マルクスは難しい表情でヴィンスに問い掛ける。
「やってみないと何とも言えませんが可能性のある技はあります」
確実に成功するかどうかはやってみないと分からないと言わんばかりのヴィンスの口ぶりに周りは心配になる。
「これは相応のリスクを負う事になるのですが——」
ヴィンスは思いついた作戦を3人に伝えると
「これはまた……とんでもねえ作戦を考えたな。ヴィンス君」
「陸上戦ならここまで賭けに出る必要もないのですが、地の利がない上に長期戦も不利となるとこの方法しか思いつきませんでした」
「確かに……失敗すれば俺達は終わりだが、このままじゃジリ貧だし結果的には一番勝算のある作戦に思えるぜ」
「そうだな、俺もおっさんに同意するぜ」
ハンスとマルクスはヴィンスの立てた作戦に同意する。
「でも……ヴィンスの負担が大きすぎて」
「ローザ。それは最初から覚悟している。だから気にしないでいいよ」
ローザはヴィンスを心配してくれているのだが、彼からすれば今回は海上戦と言う事で攻撃手段が限られているのは最初から分かっているのでそんな事は今更なのだ。
「ローザちゃん。情けない大人で申し訳ないが……ヴィンス君に頼るしかないんだ。本当にすまん」
「それを言うなら俺もだ。すまん」
ハンスとマルクスは揃ってローザに頭を下げる。特にハンスは自身より一回り以上も年下のヴィンスにここまで頼りきってしまう事を大いに恥じていた。
前日の作戦ではクラーケン以外の魔物を請け負う予定で実際今日も当初の予定通り相当数の魔物を倒していたハンスであったが、そんな実感もどこかに消え失せていた。
「……私こそごめんなさい。今はヴィンスに頼るしかないのよね。作戦了解したわ!」
結局のところローザもヴィンスに任せるしかないのは分かっているので彼の作戦に従う事にした。そんなローザもハンス達と同様ヴィンスに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「よし!船員聞いたな!?今からあの魔物に船ごと突っ込め!!」
「「はいっ!!」」
マルクスの決死の号令に船を操る船員たちは叫ぶかのように返事をすると船をクラーケンに向けて漕ぎだした。
その間にヴィンスは『魔法剣』を掛け直す。先程の風魔法と違い、今回掛けたのは炎魔法である。
そしてローザはヴィンス、ハンス、マルクスの順に『パワーアップ』を掛ける。
「ウウォーン!!」
クラーケンは船が接近してきたと見るや3本の足でバラバラに攻撃してくる。
ヴィンスは右手に剣、左手に魔力を込める。
「喰らえ!!」
ヴィンスから離れた距離に向かってきたクラーケンの足に向かい、ヴィンスは珍しく吠えながら炎魔法Lv3の『ファイアーストーム』を放って足を焼き切る。そして正面の足は『真空刃』で斬り落とした。
クラーケンの足を2本とも炎属性の攻撃で斬ったため切り口が炭化させる事に成功する。
「(これで簡単には再生出来ないだろう……)残り1本は任せます!!」
「「任せろ!!」」
残り1本の足が船に当たる直前に盾を構えたマルクスが潜り込む。
「ふん!!」
マルクスは盾技『ハードシールド』を発動してクラーケンの足を何とか受け止める。
「ハンス、早くしろ!長くは持たんぞ!!」
自身の『ハードシールド』とローザの『パワーアップ』の効果でギリギリ受け止めているがマルクスが装備している鉄の盾は軋み出している。焦ったマルクスはハンスに向かって叫ぶ。
「任せろ!喰らいやがれ!!」
ハンスは自身が使える最高威力の剣技Lv3『剛閃』を放つとクラーケンの足半ばまで斬る事に成功する。
「ぐぬぅ~!!」
ハンスは更に剣技『剣圧』を発動して強引に剣を押し込んだ。
「おらぁ!!どうだ!!」
「うお!危ねぇ……」
ハンスの執念が実ったのかクラーケンの足を斬り落とす事に成功した。
斬り落とされた足に踏みつぶされない様にマルクスはギリギリで躱すと甲板に落下する。するとそれだけで船は大きく揺れた。
「ローザちゃんの『パワーアップ』に『剛閃』と『剣圧』を発動してやっと斬れた……改めてヴィンス君の凄さが分かるわ……」
「お前も大したもんだぞ。前回は今より小さかったがあいつの足を斬る事は出来んかったからな」
「おっさんが盾で止めてくれたから何とかなったんだ……俺だけの力じゃねえよ」
「あっはっは、珍しく謙虚だな」
ハンスは少し照れながらマルクスにそう言うとマルクスは大笑いする。
「これで3本斬り落とす事が出来てその内2本はすぐには再生出来ない……」
「ああ、ローザちゃんの言う通りだ。お!ヴィンス君がまた2本斬り落としたぞ!!」
クラーケンの次の攻撃は足2本だった為、先程の戦法でヴィンスは1人で対処に成功していた。
「2本以内の攻撃ならヴィンス君が1人で、3本なら俺達が1本を受け持つか……これ4本以上で攻撃してきたらどうするつもりだったんだ?」
「その時はお前も盾で何とか時間稼ぎすればヴィンスが斬ってくれるだろ」
「俺、盾技はあまり得意じゃないんだよな……頼むから4本同時には止めろよ、イカ野郎!!」
ヴィンスが提案した作戦とはクラーケンの足を斬りつつ船を接近させると言う、捨て身の特攻に近いものであった。彼が危険な作戦を提案したのもクラーケンが足を再生する前に本体に攻撃を叩き込むためである。そして再生を少しでも遅らせるためにヴィンスは『魔法剣』で付与させる魔法を切れ味の増す風魔法から切り口を炭化させる炎魔法に切り替えたのだった。
一見合理的に見える作戦ではあるが、魔法剣の付与を変更して切れ味が落ちたためにヴィンスの負担は先程よりも大きくなっていたのだ。そしてその負担を少しでも減らすために足3本以上で攻撃された場合、ハンスとマルクスも迎撃に加わる事になったのだ。
一方、足を斬られたクラーケンは5本の内4本が中々再生出来ずに戸惑い出す。
その間にも船が接近してくるため足で迎撃するが更にヴィンスに足を2本斬り落とされてしまったのだ。
「これで7本。1本再生したとしても残り4本ならそんなに怖くは——」
ヴィンスがそう呟いた瞬間、クラーケンは想定外の動きを見せる。
※スキル『魔法剣』…装備している武器に魔法を纏わせることで通常の攻撃に属性の付与と威力を向上させる。スキルLvまでの魔法しか纏わせる事が出来ない。
※盾技Lv1『ハードシールド』…構えた盾を中心として一時的に防御力を上げる。
※剣技Lv3『剛閃』…『疾風斬り』よりも力強い斬り。同じLv3で『瞬閃』と言う『疾風斬り』よりも更に速い斬りもある。




