閑話(青田の過去)その三
施設には、突然親が死に、引き取り先が無くて連れて来られる子どもも沢山いる。
一日中泣き続けたり、食事を取らなかったり、誰とも喋らなかったり……。
反応は様々だけど、数日もすれば彼らなりの日常を見つけて、施設での生活に慣れていく。
僕は、彼らが施設に慣れるまでのサポートを何人もしてきた。
爺さんの孫娘だって、同じように接していればいつか心を開いてくれるだろう。
「僕の名前は青田だよ。
君の名前は?」
「……」
「名前で呼ばれるのは嫌?
なら、君はこの屋敷のお嬢様だから
『お嬢』と呼ぼうかな?」
「……」
時間が掛かることは分かっている。
突然両親を亡くして全く知らない世界へ連れて来られたのだ。
爺さんが言うように、自分が置かれた運命を受け入れるのに掛かる時間は人それぞれだ。
「お嬢。僕の事はお兄さんだと思って。
困ったことがあったら何でも僕に言ってね」
お嬢は僕の目を見たまま、黙って首を横に振った。
それは、困っている事が無いという意味なのか、それとも僕を兄だと思えないという意味なのか……。
お嬢は何日経っても言葉を発しなかった。
だからといって、僕達に反発しているようではなかった。
お嬢は常に、僕か黒川君か白石君の洋服の裾を掴んでいた。
「青田君。
何故、お嬢は洋服の裾を掴むのでしょうか?」
お嬢に洋服の裾を掴まれ、不満そうな白石君が僕の所へやって来た。
「白石君。
小さい子は、不安だったり何か言いたい事があるけれど言えない時、こうやって近くにいる大人を頼ろうとするんだよ」
「そうですか。
……で、お嬢。
俺に何が言いたいのですか?」
白石君が、お嬢に掴まれている洋服の裾を引っ張りながらお嬢に聞いた。
「……」
「あ……、白石君。
そんな風に聞いたら怖くて何も言えなくなるよ。
目線を合わせて、ゆっくり優しく……」
「俺、そんなに暇ではありませんし、
人に触れられるのが本当に嫌ですから」
「分かったよ、白石君。
次から僕の所へ連れて来て。
お嬢、こっちにおいで」
お嬢の手が白石君の洋服の裾から僕の裾に移ると、何故か僕はホッとした。
「ああッ!
裾に皺ができている!
……。
新しいシャツに着替えてきます」
白石君はブツブツ言いながら向こうへ行ってしまった。
「……」
「フフッ……」
白石君の後ろ姿を黙って見送るお嬢の姿に思わず笑ってしまった。
「青田君ー!
お嬢をどうにかしてください」
それから毎朝、白石君が洗濯をしているランドリールームにお嬢を迎えに行くのが日課になっていた。
「お嬢。
あっちで赤井君達と一緒に遊ぼう」
お嬢に手を差し伸べると、お嬢は掴んでいた白石君の洋服の裾をするりと離して僕の所に来る。
「ああッ、もう!
どうしてお嬢は毎朝俺の所へ来るのでしょうか?」
白石君が洋服の皺を気にしている隙に、お嬢を庭へ連れ出す。
「フフッ。
お嬢。白石君の事が好きなんだね。
白石君、あんなに怒ってばかりなのに。
どうして?」
「……」
お嬢が答えてくれない事は分かっているけれど、それでも僕はお嬢に話しかけた。
僕が会話を諦めてしまえば、お嬢は一生喋らないままだろう。
「青田君。
何故俺がお嬢の世話係に選ばれたのだろう」
爺さんが黒川君をお嬢の世話係に指命したのには、僕も驚いた。
「黒川君。
どうせ爺さんは海外へ行ったきり帰って来ない。
お嬢の面倒なら、今までどおり僕が見るよ」
「いや。青田君は、ただでさえ赤井君と桃の世話で大変なんだ。
お嬢一人の世話なら俺でも何とかなるだろう。
しかし爺さんが何を考えているのか、本当に分からないな」
黒川君。
今まで僕は、ずっと三人の面倒を見てきた。
今さら『大変だ』って……。
僕達の事を、どう思っていたのかな。
黒川君が世話係になってから、お嬢は黒川君から逃げるようになっていた。
朝一番は白石君のランドリールームに逃げ込み、その後は僕の所に来た。
僕が畑の手入れをしていると、いつの間にか僕の隣にしゃがんで土をいじっている。
「どうしたの?
また黒川君から逃げてきた?」
「……」
「お嬢。
隠れたいなら、あのトマトが成っている辺りがいいよ」
「……」
お嬢が黙って首を横に振った。
黒川君から本気で逃げているわけではなさそうだ。
「お嬢。ここにいたのか。
何故、逃げるんだ。
ほら、部屋に戻ろう」
黒川君がお嬢の手を掴み、引きずっていく。
「黒川君。そんなに乱暴に引っ張らなくても……。
お嬢が黒川君から逃げるのには、何か理由があるはずだよ」
「理由? ……分からないな。
お嬢。お前の気持ちは言葉にしなければ誰にも伝わらない」
「黒川君。
言葉で伝えられない気持ちもあるんだよ」
「伝えられないのなら、それでもいい。
誰にも分かってもらえない。
ただそれだけの事だ」
「……」
黒川君の言葉が、僕に言っているように聞こえた。
僕も本当の気持ちを隠して生きてきた。
僕だけじゃない。
この屋敷の中にいる皆、自分の気持ちを言葉にしない。
そんな中、桃の気持ちが穏やかでないことだけは分かった。
「青田君。
ボクとお嬢、どっちが可愛い?」
桃は、この屋敷の絶対的なお嬢の存在を恐れていた。
不安になればなるほど、他人の評価や自分の順位が気になるのは分かる。
だけど『一番だよ』と言って安心させたところで、その場しのぎにしかならない。
一番を獲ったその後は、一番から転落する恐怖と戦わなければならなくなるからだ。
「桃。桃もお嬢も、どっちも可愛い。
それでは駄目なの?」
「……。
青田君にボクの気持ちは分からないよ」
桃はそう呟いて僕の部屋から出て行った。
桃……。
桃の気持ちは痛いほどよく分かる。
『いい子』にしていれば必ず迎えに来てくれると待ち続け、迎えが来ないのは自分が『いい子』にしていないからだと責め続け、自分を責めるのに疲れたら、自分以外の何かのせいにしたくなる。
愛されたい。
だけど素直になれない。
そんな不器用な僕達は、何かを憎みながら生きることしか出来なかった。




