第十四話
翌日も微熱が続いたので、私は学校を休むことになった。
学校を休むのは何年ぶりだろう。
「風邪。……と、知恵熱ですね。
『真面目になる』なんて、お嬢らしくない事を言うからです」
学校へ行く前の白石が、わざわざ嫌みを言いに来た。
マスクとゴーグルを着けて。
どれだけ私をバイ菌扱いしているのだろう。
「白石。これ以上嫌みを続けるのなら、白石のベッドにダイブして風邪ウイルスを撒き散らしますよ」
「ハハハ。
そんな事をすればどうなるか分かっていますよね?
早く風邪を治して、ちゃんと学校に来てください」
「……はい」
白石と赤井と桃が学校に行ってしまうと、屋敷の中が急に静かになった。
窓辺に座って外の景色を眺めていると、黒川が部屋に入ってきた。
「お嬢。大人しく寝ていなければ駄目だろう」
黒川はお粥を机の上に置き、椅子に腰掛けた。
「黒川。会社に行かなくて良いのですか?」
「ああ。会長なんてたまに顔を出すくらいで良いからな」
「そう……。じゃあ今日は一日屋敷にいるの?」
「何だ? 俺が屋敷にいると困るのか?」
「別に……。困らないけれど……」
「フッ……」
むしろ、こんなに広い屋敷に一人でいるのは寂しいから、ここにいて。……なんて言えない。
「早く飯を食って、薬を飲んで大人しく寝ていろよ?」
そう言って黒川が部屋から出ていった。
小さい頃、黒川が読んでくれた絵本の中のお姫様は、王子様と結婚して皆ハッピーエンドだった。
現実のお姫様やお嬢様も皆、結婚して幸せになっている?
結婚して幸せになれば、今まで一緒に暮らしてきた人と離れても、寂しいと思わなくなる?
「お嬢、起きている?」
青田が部屋に入ってきた。
「お嬢。まだ朝ごはん食べていないの?」
パジャマ姿のお前に言われたくないよ。
「青田、今日は学校へ行かないのですか?」
「いや。
今から朝ごはんを食べて、少しのんびりしてから行くよ」
青田よ……。
四六時中のんびりしているだろう。
青田の『のんびり』の定義を教えていただきたい。
「お嬢。昨日の話だけど。
僕達は、お嬢を厄介払いするつもりは毛頭ないから安心して」
「分かっていますよ。
昨日は熱のせいでおかしくなっていたから。
変な事を言ってしまって、ごめんなさい」
……分かっているよ。
早く恋をして幸せにならなくちゃ、皆に迷惑を掛けてしまう事ぐらい。
青田はゆっくり朝食を食べ、ゆっくりコーヒーを飲んで、ゆっくり学校へ行く仕度をした。
「いってらっしゃい」
私は庭先に出て、学校へ行く青田を見送った。
「お嬢。わざわざここまで来なくて良かったのに。
でも嬉しいよ。ありがとう」
青田は私の頭を撫で、車に乗り込み行ってしまった。
青田がいなくなって、屋敷の中が一層静かになったような気がした。
私はそのまま、黒川がいるキッチンへ向かった。
黒川は超高速でキャベツを千切りしていた。
私は椅子に座り、キッチンのカウンターに突っ伏した。
カウンターに耳をあてると、ひんやりしていて気持ちがいい。
目を閉じていると、キャベツの千切りの音だけが聞こえてきて、妙に落ち着く。
「何だ? 食料を漁りにきたのか?」
黒川が千切りの手を止めることなく聞いてきた。
「……違います」
私も突っ伏して目を閉じたまま返事をした。
「お前が部屋の外でウイルスを撒き散らさないよう見張っておいてくれと、白石君に頼まれていたのだが……」
「知っています。
だから白石が用意したマスクとゴム手袋を装備しています」
「フッ……」
しばらくすると、耳元でカタンと音がした。
そっと目を開くと、近くにオレンジジュースが置いてあった。
「……。いただきます」
私はオレンジジュースを一気に飲み干し、グラスをトンと置いて、またカウンターに突っ伏した。
「……黒川」
「何だ?」
「今日の晩ごはんは何ですか?」
「豚カツ。だけどお前はうどんな」
「豚カツ……。食べたかったな……」
「なら、早く風邪を治せよ」
「うん」
「ちゃんと布団で寝ていなければ治らないだろう?」
「うん。でも、寝るのに飽きました」
「眠れないのなら、布団で数学の問題でも解いていればどうだ?
お前なら五分もあれば眠ってしまうだろう?」
「眠るより前に、頭が痛くなりそうです」
「ああ……。それもそうだな」
「……」
「フッ……」
キャベツの千切りの音が消え、水道の蛇口を捻る音がした。
「……え? 何? ぎゃっ!」
急に自分の体が宙に浮いたので、慌てて目を開くと、黒川が私を抱き抱えていた。
「く……、黒川。降ろしてください。
大人しく自分の部屋に退散しますから」
黒川は私を抱き抱えたまま、黙って私の部屋へ向かった。
「黒川。喧嘩を吹っ掛けてごめんなさい。
部屋で静かに反省しますから……。だから降ろして」
「は? 今までの会話の中に喧嘩をする要素があったか?
てっきり部屋まで連れて行って欲しいのかと思ったが……」
いつもなら、どうでも良い事ですぐ怒るくせに。
黒川の怒りのツボが全く分からない。
「部屋へ連れて行けという要素の方が、会話の中に含まれていなかったような気がします。
だから降ろしてー。子ども扱いするなー」
「いや。お前はいくつになっても子どもだ」
「黒川ー。お前は私の親かー」
「保護者だー」
「……」
結局私はベッドの上で降ろされ、丁寧に布団まで掛けてもらった。
私が布団に潜ると、黒川は椅子をベッドの近くまで持ってきて腰を降ろした。
「……で。何で喧嘩を吹っ掛けてきたんだ?」
「放っておいてください。
私は只今、絶賛反抗期中です。暗黒少女なのです」
「喧嘩を吹っ掛けておきながら放っておけとか……。
随分面倒な奴だな」
「暗黒少女は面倒臭い生き物なのです」
「へぇー」
「でも反抗期は今日で終わります。
明日はきっと、暗黒少女は消えていますから……。
だから安心してください」
「短い命だな。暗黒少女」
「……」
「なら、暗黒少女のうちに言っておけよ。
何で怒っているんだ?」
「……。別に」
「フッ……。
お前、普段は俺から逃げてばかりなのに、何かある時は必ずあのカウンターに座っている」
鋭い、黒川。
暗黒度でいえば、暗黒少女より黒川の方が遥かに上をいっている。
「黒川が……。
爺ちゃんの会社を乗っ取って、ここから私を追い出そうとしているからです」
「ああ……。あの会社は、お前の爺さんに頼まれていたからな。
会社を売ってしまえば、従業員やお前が路頭に迷うかもしれないから、せめてお前が大人になるまで会社を存続させたいと。
乗っ取るつもりは全くないから安心しろ」
「……ううっ」
「……泣いているのか?」
黒川が布団を剥ぎ取ろうとするので、私は必死に布団にしがみついた。
「くっ……、重い。何なんだ? 一体」
黒川が布団を剥ぎ取るのを諦めたので、私は布団と一緒にベッドの上に落下した。……酷い。
「私は馬鹿だ。いつも自分の事しか考えていなくて……。ううっ」
「いや。従業員も、お前にだけは心配されたくないだろう。
だから、そのまま馬鹿を貫いていろ」
「何それ。酷い」
「無理して大人になるな、という事だ」
「……」
こうして私は、たった一日で反抗期を終えてしまった。
「お嬢、ただいまー。
お嬢の好きなプリンを買ってきたよー」
「わーい。ありがとう、桃ッ」
翌日、元気になった私の代わりに黒川が熱を出してしまった。
その話は、また後日。




