閑話(白石の過去)その1
父は俺が生まれて間もなく亡くなったという。
俺と母は父方の祖父母の処に身を寄せて暮らしていた。
母は元々病弱で、何度も病院の入退院を繰り返していた。
母が入院している日は、学校から一旦家に帰り、母の着替えを持って病院へ見舞いに行っていた。
時折、祖母が
「お母さんに持っていってやりなさい」
と、花を渡す。
病室のドアを開けると、母は決まって
「圭ちゃん、おかえりなさい」
と、俺を迎えた。
「学校はどうだった?
楽しかった?」
楽しくなどなかったけれど、俺は
「うん」
と、答えた。
「今日もお花を持ってきてくれたのね。
ありがとう」
母がスーパーのビニール袋から花を取り出す。
「あら。
可愛いパンジーね」
母がにっこり微笑んだ。
「圭ちゃん、あのね。
病院に鉢植えのお花を持ってきては駄目よ」
「どうして?」
「鉢植えのお花は根っこが付いているでしょう?病気の人が病院に『寝付いてしまう』という意味になるから、縁起が悪いのよ」
「知らなかった」
「ふふ。
でも、圭ちゃんが持ってきてくれたパンジー。小さくて可愛いから、このままここに飾っておくわね」
母がにっこり笑って、俺の頭を撫でた。
別のある日、祖母に手渡されたのは、白くて大きな百合の花だった。
母の病室へ持って行くと、
「圭ちゃん、いつもありがとう。
でもね、百合の花は病室に相応しくないのよ」
そう言ってまた笑った。
「どうして?」
「ほら、花粉。
圭ちゃんの制服に黄色い花粉が沢山付いているでしょう。
百合の花は、花粉で部屋を汚してしまうのよ」
「本当だ」
制服に付いた花粉は手で払っても、なかなか落ちなかった。
「それにね、百合の花は香りが強すぎて、体調の悪い人は気分が悪くなってしまうかもしれないの」
「そうだったんだ」
「でも、お母さんは百合の花の香りが好きよ」
母が優しく微笑んだ。
僕は花を知らない。
学校の図書室に置いてあった図鑑を見るけれど『病室に持って行ってはいけない花』の事は書かれていなかった。
その後も病室にはタブーの菊の花やシクラメンを祖母に持たされ、その度母に優しく教えられた。
「ごめんね、圭ちゃん。
圭ちゃんは、お花のこと、あまり知らないものね。
でも、圭ちゃんが大人になった時、知っていた方が役に立つ事が、きっと沢山あるから」
俺は『知らない』事が悔しくてたまらなかった。