数十年後
この数日、クレメンスの容態は小康状態を保っていた。
弟子や親しい者たちが次々に見舞いに訪れた。
ベッドの上に起き上がり、穏やかな微笑みを浮かべるクレメンスをみて、誰もがホッとした様子で帰って行った。
その夜、クレメンスは二人きりになると、ロジーナをベッドサイドに呼んだ。
「ロジーナ。お前に師として最後の課題を与える 」
ロジーナはクレメンスを見つめながら、聞きたくないとでも言いたげに、ゆっくりと首を横にふる。
「ロジーナ。私の死を乗り越えなさい」
クレメンスは静かだが強い声で言った。
「イヤよ。そんなこと言わないで。死ぬなんて、そんなこと……」
ロジーナは瞳をぬらしながらクレメンスにしがみつく。
「私の寿命はまもなく尽きる。お前も分かっているはずだ」
クレメンスはロジーナの手に自分の手を重ね、力づけるように握った。
「わからない。わからないわ、そんなこと。イヤよ。イヤ」
ロジーナは激しく首を横に振る。
「私は無理な課題を与えたことは一度もない。お前なら必ず乗り越えることができる。私はそのように指導してきたつもりだ」
ロジーナはずっと「イヤイヤ」と首を振り続けていた。
クレメンスは目をつぶると、大きく息を吐いた。目を開け、ロジーナの瞳を見据る。
「私をがっかりさせないでくれ」
ロジーナの見開かれた目から涙が零れる。涙は次から次へと溢れ出し、頬を伝わり、雫となってポタポタとしたたり落ちた。
クレメンスはそんなロジーナを優しく胸に抱き寄せ、嗚咽をもらすロジーナの背中をさする。
「ロジーナ。お前が一番辛いであろう時に、そばにいて支えてやることができない。それだけが心残りだ」
クレメンスの頬を一筋の涙が伝う。
「師匠……」
ロジーナは顔をあげ、涙に濡れた瞳でクレメンスをじ っと見つめる。
クレメンスは優しく微笑みかけた。
ロジーナは少しぎこちない笑みを浮かべながら、ゆっくりと頷いた。
クレメンスはロジーナの髪を愛おしげに撫でながらホッと息をついた。
「ロジーナ。私の最後のわがままを聞いてはくれぬか?」
クレメンスの揺れる瞳を見つめながら、ロジーナはこくりと頷く。
「お前の腕の中で、最後の時を迎えたい」
ロジーナはベッドにあがると、後ろからクレメンスの身体を支えるようにギュッと抱きしめた。
「お前の腕の中は心地よいな」
クレメンスはロジーナに身体をあずけ、息をつく。
「私は幸せ者だ。ロジーナ。お前のお蔭で、私は、素晴らしい人生を……送ることが……できた。あり…がとう……」
浅い呼吸をし、だんだんと小さくなっていくクレメンスの声を、ロジーナは涙を流しながら、じっと聞いていた。
「クレメンス。愛してるわ。ずっと、永遠に……」
ロジーナの声は震え、それ以上、言葉を続けることが出来なかった。
「ロジーナ……」
クレメンスは吐息まじりに言うと、ロジーナの手を探して手を重ね、弱々しく握った。
ロジーナはもう一方の手をその上に重ね、ぎゅっと握る。
「ロジーナ、忘れるな。たとえこの身は滅びても、私の心は、常にお前と共にある」
クレメンスは小さくかすれる声で、だが、はっきりとそう言うと息をつく。
ロジーナはクレメンスに頬を寄せた。
ロジーナは夜が明けるまでずっと、クレメンスを抱きしめていた。
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ニコラスは、ふと顔を上げると立ち上がり、庭におりた。
北東の方角を見上げる。
「楽しかったよ」
白んでいく空を見つめながら、ニコラスはにっこりと笑った。
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クレメンスの葬儀が終わり、ロジーナは一人、遺骨の前に座っていた。
「ロジーナ。おめぇ大丈夫か?」
兄弟子のカルロスが声をかける。
「大丈夫です」
ロジーナはクレメンスの遺骨を見つめながら、抑揚のない声でこたえた。
「なーんか怪しいんだよな」
カルロスはロジーナの隣に座った。
ロジーナは視線を落とす。
「おい。飯はちゃんと食ってるんだろうな」
「食べてます」
「ホントか?」
ロジーナの即答に、カルロスは疑惑の眼差しをむけた。
しばらく沈黙が続いた。
「先輩」
ロジーナは視線を下げたまま、ポツリと言った。
「ん?」
カルロスはロジーナの顔を覗き込んだ。
「私、師匠に課題を与えられました」
ロジーナが抑揚のない声で言った。
「課題?」
「はい」
ロジーナはカルロスの問いに大きく肯くと続けた。
「『私の死を乗り越えなさい』。そう言われました」
相変わらず抑揚のない声で言った。
「そうか。師匠らしいな」
カルロスは声を震わせ、バッと手で目元を抑えた。
「はい。師匠は最後まで師匠でした」
ロジーナの目から涙が溢れる。
二人は座ったまま、しばらく動かなかった。
静かな室内には鼻をすする音だけが響いていた。
「おめぇなら大丈夫だ。師匠は無理な課題を与えたりはしねぇ」
長い沈黙のあと、カルロスはそう言うとロジーナに笑いかけた。
「はい」
ロジーナは手で涙を拭いながら肯く。
「ロジーナ。困ったことがあったら、遠慮せずに俺んとこに相談にこいよ。そりゃ、師匠のようにはいかねぇけど、俺はおめえの兄貴分なんだからよ」
「はい。ありがとうございます」
カルロスは力づけるかのようにロジーナの背中をバシッと叩いた。
その勢いにロジーナは身体は前のめりになる。
「イタイ」
ロジーナは上目遣いにカルロスを睨んだ。
「おっと、すまんすまん」
カルロスはそう言うと「ガハハ」と笑って、出口へ向かって歩き出す。
「ロジーナ。またな」
そういいながら後ろ手に手をふる。
「はい」
ロジーナはクレメンスの遺骨を見つめたまま返事をした。
カルロスはチラリとロジーナの方を見た後、ふっと視線を落とし、転移術を完成させて消えた。




