引退
ロジーナが起き上がれるようになると、クレメンスはロジーナを連れて、都から少し離れた静かな村に居を移した。
その村には温泉も湧き、静養するにはもってこいの環境だった。
クレメンスは第一線を退く旨を周囲に伝えた。
突然の引退宣言に、周囲は慌てて引き留めたが、クレメンスの意志は固かった。
ロジーナもクレメンスの引退に驚いた。
もしかしたら、自分のためなのかもしれない。
ロジーナはふとそう思った。
もしそうなら、嬉しかった。
でも、同時に嬉しくなかった。
クレメンスがロジーナのことを最優先にしてくれるなんて、こんな幸せなことはない。
でも、クレメンスのお荷物にはなりたくなかった。
クレメンスにはクレメンス自身のことを最優先にしてほしい。
クレメンスがクレメンスらしく居てくれるのが、ロジーナにとって一番の幸せだった。
ロジーナの部屋からは庭の景色がよく見えた。
向こうにはラニルィチェ山が静かに横たわり、池には青々と茂る木々と青空、そして白い雲が映りこみ、ゆらゆらと揺れていた。
ときおり涼しい風が池の向こうから吹いてくる。
「フランクは私の後を引き継ぐのに充分な技量を備えている。足りないのは経験だけだ。私がいつまでも居座っていては、あれの成長の妨げになる」
クレメンスは、庭の景色を眺めながら言った。
ロジーナは驚いてクレメンスの横顔をじっと見つめた。
今までロジーナはあえてクレメンスに引退の理由を尋ねなかった。
もちろん理由を知りたかった。
でも、理由を知るのがちょっぴり怖かった。
「正直なところ、少し疲れたのだ。忙しすぎたのでな」
クレメンスはふっと笑った。
「そろそろ好きなように生きてもいいと思わないか?」
クレメンスはそう言いながら、ロジーナの顔を覗き込むようにみる。
優しい瞳の奥に、情熱的な光がチラッと揺れた。
ロジーナは思わずドキッとして、耳まで真っ赤に染めながら視線をそらすようにうつむいた。
クレメンスはそんなロジーナを見て目を細くする。
「当分は引き継ぎに追われることになりそうだ。寂しい思いをさせてしまうな」
ロジーナはうつむいたまま、首を左右にふった。
さみしくなんかない。
こうしてまたクレメンスと一緒に暮らせるのなら。
ロジーナはそう言いたくて顔を上げたが、恥ずかしくなって、再びうつむいてしまった。
クレメンスは「フフフ」と笑いながら、ロジーナを抱き寄せた。




