カノン
王宮を出ると、目の前には大通りが続いていた。
両脇にはずらりと商店が立ち並び、人でごった返している。
こうして見ると、いかにも中世の都という雰囲気だ。
だが、鶏とダチョウを足して2で割ったような生き物や、
サイと牛を足して2で割ったような生き物が積荷を引いているのを見て、
改めて違う世界なのだと実感する。
取り敢えず、キツネ目の大臣に言われたとおり酒場に向かうことにしよう。
そう思って酒場を探そうと歩き出したとき、賑わう通りの中でもひときわ大きな声が上がった。
「ああそうかい!どうやらこの店にとって、信用は《チック・チック》の糞よりも軽いらしい!」
女の声だ。
かなり若い。17くらいか?
長い黒髪に、緋色の目。
10人とすれ違ったら9人は振り返るような、整った目鼻立ちをしている。
女の声を聞いて、何事かと野次馬が集い始める。
俺も紛れて見ていると、女は突然野次馬の方を見渡した。
目が合う。
するとツカツカと歩み寄ってきた。
え?なんでこっちに来るの?
「なあ、君もそう思うだろう?」
「え、いや、私は今ここに来たばかりで」
「なら聞いてくれよ、この店はボクを一文無しにしたくてしょうがないみたいなんだ」
そんなこと言われても。
何やら面倒くさそうな手合いに絡まれたぞ。
心中でここからどう離れるべきか考えていると、突然女は俺の体をぐいと引き寄せた。
そして耳元で「君の秘密を知っている」と囁く。
思わず体がこわばった。
女は「二度と来るか、こんな店!」と吐き捨てると、
俺の手を引っ張り通りを走り出す。
後方で「巫山戯んじゃねえ!」と怒鳴り声が聞こえたが、振り返ることはない。
人の多い中央の通りから横に逸れ、路地裏に入る。
そこから更に進んで人気が居なくなったところで、ようやく足が止まった。
「ふう、ここまで来ればもう大丈夫だろう」
膝に手をつき、息を切らせながら女は安堵した様子を見せる。
「あの、私の秘密を知っているって……」
「うん。転生者だろう?君」
思いっきりバレていた。
だが、少なくとも宮殿では見かけなかった顔だ。
「誰かから聞いたの?」
「ああ。高い買い物だったよ」
「でも、私のことを口外したら罰を受けるって」
「リスクを負ってでも君を囲いたい連中が居るということさ」
女はそう言うとウインクして、
「ボクもその一人だけどね」と小さく笑う。
「王宮から出る前にほとんどの者が《記憶混濁/Memory Disturb》の魔術を受けていてね。何があったのか知るのには骨を折ったよ。さっきの店には悪いことをしたな。君の目を惹くためのスケープゴートが必要だったんだ。……おっと、申し遅れたね。ボクの名前はカノン。君は?」
俺の気を引くためにわざわざあんなことをしたのか。
訝しく思いながら、取り敢えず名乗っておく。
「アリム」
「アリムか。いい名前だね」
偽名だけどな。
心の中でツッコミを入れていると、カノンはひと呼吸置いてから
「ボクは君が欲しい」
そう言い放った。
咄嗟に返答に詰まる。
えっと、今の俺は女の体なんだけど、
もしかしてこの子はそういう趣味の方なのだろうか。
カノンは真面目な顔をしていたが、
少し間を置いてから自分が何を口にしたのか気づいたらしく、
「あ、違うんだ、これは。そういう意味じゃなくて」
顔を真っ赤にして両手をぶんぶんと振る。
そしてスーハーと深呼吸をすると、気を取り直したように
「もし他にあてがないのなら、ボクとキャラバンを組んでほしいんだ」
と、俺を仲間に誘ってきた。
「うーんそう言われても、私と君は初対面だし」
「居たいと思ってくれる間だけでいいんだ。嫌気が差したらいつでも抜けてくれて構わない」
カノンは「それに、」付け加える。
「キャラバンを組んでいてくれる限り――君が必要とする知識は、ボクが補おう」
(情報が欲しいんだろう?)と暗に訴えかけてくる。
こちらの事情は大体お見通しというわけか。
掌で踊らされている感じこそするものの、話を聞く限り俺にデメリットは無さそうだ。
むしろ、情報に飢えていた分、この申し出は渡りに船だろう。
だが、転生者だからといって何故そこまで俺に思い入れるのか。
それを聞くと、カノンは顔を曇らせた。
「こればボクにとって賭けなんだよ。それもかなり分が悪い」
意味深な台詞。
何があるのか深く聞いてみたくなる。
しかし、それ以上話す気は無さそうだ。
うーむ、どんな事情があるのかは知らないが、こうまで頼られているとなると無碍にするのも気が引ける。
あの上から目線な王様との会話の後だからだろうか、
出来ることなら手伝ってやりたいと思えた。
手に負えなそうなら、そのときは縁を切ればいい話だしな。
「分かった、キャラバンを組もう。取り敢えずはよろしく、カノン」
そう言うと、カノンは「本当かい!」と目を輝かせた。
相当嬉しかったのか俺に抱きついてくる。
女の子に抱きつかれるというのは悪い気がしないな。
俺も今女だけど。
だがその前に、やっておかなければいけないことがある。
そう言って、迷宮に巣食っているらしい牛の魔物を倒さなければならないことを説明した。
最初は「今ならなんだって出来る気がするよ。何を言われたの?」と自信満々だったカノンの表情が、話を進める内に暗くなっていく。「牛の魔物」と言った辺りで、素っ頓狂な声が上がった。
「はあ!?牛の魔物って、《アウドゥムラ》に挑むのか?
この国のAランク冒険者ですら歯が立たなかった相手だぞ。
いくら転生者とは言えそれを一人でなんて、自殺行為もいいところだ」
国じゃ手に余るのは知っていたが、
そこまでの相手なのか。
「君が剣を扱えるようには見えないし、戦うとすれば魔術を使ってだろう?でも、無理を承知で言わせてもらうが、第四位階の魔術を使えないと《アウドゥムラ》には勝てないだろうね」
「えーと、一応さっき、第五位階の魔術が使えるようになったところかな」
途端、カノンの表情が「は?」と言いたげなものになる。
「……本当に?」
「うん。どういう経緯でかは口止めされてるけど」
「嘘は……言ってなさそうだね。想定外だよ。転生者はそこまで規格外なのか」
やっぱり第五位階の魔術が使えるのは異常なのか。
スクロールも死蔵してたと言っていたしな。
「異常なんてものじゃない。僕も第一位階の魔術は使えるから、その難しさはよく知ってる。第三位階を習得できず、志半ばで諦めるメイジがどれだけ居ることか。メイジがこの場に居たら八つ裂きにされてもおかしくないよ」
カノンは人差し指をこめかみに添え、思案する。
「ただ……。王国もこの前調査兵を派遣したと言っていたし、《アウドゥムラ》の弱点となる魔術の捕捉は出来ているはずだ。いくらAランクを退ける程の化物といえど、弱点の、しかも第五位階の魔術をくらったらひとたまりもないだろう」
「つまり、その《アドゥ……。《アウドゥムラ》を倒す分には問題はない?」
「多分ね。それよりも、問題となるのは道中だ。第五位階の魔術しか使えないとなると、マナの燃費はすこぶる悪い。
《アウドゥムラ》までの雑魚を蹴散らす手段がほしいが……」
それは俺も気にかかっていた。
たどり着くまでにマナを切らせていたら元も子もない。
もっとも、《灼熱/Burning》の魔術がどれほどのマナを消費するのかはまだ分かっていないのだが。
「一番簡単なのは、酒場でクエストを依頼することだけれど」
酒場か。
《アウドゥムラ》の情報収集や、冒険者登録のことを考えると顔を出しておく必要があるだろう。
だが、それは後に回して、取り敢えず装備を整えようとカノンは提案する。
「普段着で迷宮に行くなんて主張ところで、笑われるのがオチだろうからね」
う、確かに。
俺の服は最初の村で着せてもらった民族的な衣装のままだ。
最初は真っ直ぐに酒場を目指していたことを考えると、カノンに会わなければ、きっと今頃は酒場で笑いものになっていたことだろう。
カノンに連れられ、路地裏から再び大通りに出て、大きめの武具屋に入る。
茶色い髭を生やしたガタイのいいおっちゃんが「おう、らっしゃい!」と出迎えた。
「見たことねえ顔だな」
「ああ、二人でキャラバンを組むことになってね」
「こんなかわいい嬢ちゃんたちがキャラバンか。いや、深くは聞かねえがな。まあゆっくり見て行ってくれ」
言われたとおり店内を見て回る。
武器、武器、武器、
防具、防具、防具。
種々雑多な武器や防具が陳列されている。
「流石に王都の武具屋だけはあるね」とカノンも満足げだ。
と、いかにも鎧、という感じのプレートメイルが目を引いた。
あれを装備して動き回れたら格好いいだろうなあ。
そう思い、おっちゃんに頼んで試しに着けてもらう。
が。
なんだこの重さ。
走ることはおろか、体を動かすことさえままならない。
おっちゃんは動こうとしてぷるぷる震える俺を見て「ガハハ」と笑った。
「嬢ちゃんにはそれは合わねえよ、見たところメイジだろ?
大人しくローブと杖にしとくんだな」
プレートメイルのまま無理矢理カノンの方を向くと、
あの野郎、口元をひきつらせていた。
「ぷっ……くくっ、ボクも、それが無難だと、思うよ、ぶふっ」
あいつ後でシメる。
プレートメイルをおっちゃんに外してもらい、
大人しくローブに着替える。
「流石にプレートメイルには遠く及ばねえが、《トラヴィス》の皮をなめして作られたローブだ。ある程度衝撃にも強い」
おお、いかにもメイジって感じだ。
ローブの動きやすさを確かめながら、
ふと思いついたことを口にする。
「あの鎧に軽量化の魔術を使えば、楽に装備出来たりしないのかな」
呆れた顔をされた。
「嬢ちゃんがどれだけ凄いのかは知らねえが、重力制御っつったらかなり高位階の魔術だぜ。普通のメイジにはまず無理だな」
カノンが「それに、」と後を継ぐ。
「仮に重力制御魔術を扱えたとしても、その使い方をするためには常に魔術をかけ続けないといけない。そうなったら一瞬でマナが枯渇して終わりだよ」
うーん、無理か。
おっちゃんに勧められた通り、手頃なローブと杖を選ぶ。
ついでに、ダガーナイフも買っておくことにした。
装備を受け取り、革袋からお金を出そうとする。
すると、
「おいおい、なんのためにボクがキャラバンを組もうなんて申し出たと思っているんだい?」
カノンがニヤリと笑って俺を引き止めた。
「アリムは外で待っていて。ここからは商人の戦場だよ」
そう言われ、店の外へ押し出される。
数分後、「もう来ないでくれ……」と泣きそうな顔のおっちゃんを後にして、ホクホク顔のカノンが店から出てきた。