村
「あの、仰る意味がよく分からないんですが」
「ア活めるゆフィ柿のさ不木み通?」
「伝わってないですよね、あはは……」
言葉が通じないと、つい喋ろうとするのが憚られてしまう。
それは向こうも同じだったのだろう。
何度か話そうと試みたが、結局お互いが沈黙してしまう。
黙っていても仕方がないので、自分を助けてくれたことを感謝する意思表示をすることにした。
ぺこりとお辞儀をする。
これは伝わったのだろう、男は(気にするな)というように手をヒラヒラさせると、俺の頭をぽんぽんと撫でた。
ここはどこで、どうすれば安全な場所に出られるか、
そういったことを身振り手振りで聞こうとして、
ボディランゲージの困難性に気づく。一体どうやって聞けばいいんだ。
あたふたしていると、男は指を一本だけ立てて首をかしげた。
(一人か?)と聞きたいのだろうか。
頷いて自分自身を指差し、指を一本立てる。
男は少し考える素振りを見せた後、来た方角に向かって歩き始めた。
ここでお別れということだろうか。
命を助けてもらって、その上連れていってくださいというのはおこがましいよなあ。
だが、ここで一人になってもまたさっきみたいなモンスターに襲われてはひとたまりもない。
保身と申し訳なさの間で逡巡していると、男はこちらを向いて手招きしてきた。
(着いてこい)ということなのだろう。慌てて後を追った。
やはりと言うべきか、俺の居たところは森の中でも大分深いところだったようで、
開けた街道に出るにはそれなりの時間を要した。
途中幾度かモンスターと遭遇しかけたが、その度に男の言うとおり身をかがめたり、木の陰に隠れたりしてやり過ごした。
どうやらあの熊とアルマジロを足して2で割ったようなモンスターはこの森にうじゃうじゃいるらしい。
一人だと間違いなくあそこで食物連鎖の餌食になっていただろう。
相変わらず歩いているときに何度も虫を踏む羽目になったが、
嫌悪感こそ拭しきれなかったものの、直截命の危険があるわけではないものを怖がっても……と自分に言い聞かせる。
でも気持ち悪いものは気持ち悪い。こればかりは慣れそうにないな。
街道に出てからも歩みは続いた。
だが、虫を踏まなくて済むというのはそれだけで天国だ。
ひたすら道沿いに進んでいく。
途中、馬を引いた行商人とすれ違った。
男は立ち止まると行商人と軽く言葉を交わす。
お互い懇意にしているのだろう。
話し終わると、また長い道のりが続く。
いつまで歩くんだろうか。いい加減疲れてきた。
夕暮れ時に差し掛かり、そろそろ俺の足も限界になってきたところでやっと人のいる集落に着いた。
そこかしこに木で出来た家屋が点在しているが、総数は多くても30程度だろう。小さな村だった。
周囲には襲撃に備えるためか、木で出来た柵が張り巡らされている。
入ってすぐ、大きめの広場に出た。
広場に居た数人が俺を見て好奇の目を投げかけてきたが、
男は彼らに向かって軽く手を振り、そのまま奥へと歩いていく。
広場を抜け、男の家と思しき場所についた。
玄関近くでは女性が手で服を洗っているのが窺える。
身長は俺と同じで160cm程度、亜麻色の髪を後ろで束ねていた。中々の美人だ。少し男が羨ましくなった。
「乃クい法りヲあぎ学」
「ほ全ジ術でぷ描?」
男が女性に何事かを話す。すると、女性がこちらに話しかけてきた。
「ア活めるゆフィ柿のさ不木み通?」
「えっと……すみません、分かんないです」
女性は驚いた風に男を見、また何事かを話す。
そしてまたこちらに話しかけてくるが、依然何を言っているのか理解できない。
参ったような顔をして首を横に振ると、女性は少し固まった後、不意に俺を抱きしめた。
唐突なハグに思わず狼狽する。
えっと、俺一応元は男なんですけど!
だが、何か言おうとしてもムグムグとしか出てこない。
俺のそこそこ程度にしか無い胸とは違い、その豊満なおっぱいは全てを許容するかのようで……って違う、そうじゃない。
人が内心慌てているのには全く気付かない様子で、女性はしばらく俺を抱きしめると、それから家の中に招き入れた。
家にお邪魔してすぐ、例のモンスターの頭が立てかけてあるのが見えた。
つい後ろに後ずさってしまう。
だが、生きていた頃とは違い、片目は空洞で、もう片方の目は虚空を見つめていた。
男が仕留めたのだろう。
家の奥にある藁のベッドに案内され、そこでしばらく待っているよう身振りで伝えられる。
なにか手伝えることはないかとも思ったが、
言葉が通じない以上無理に動いても逆に迷惑だろうと思い、お言葉(この場合はボディランゲージ?)に甘えることにした。
ベッドに腰掛け、歩きつめた足を休める。
しばらく待っていると香ばしい匂いが漂ってきた。
食事の用意ができたのだろう。女性が3人分の器を運んでくる。
匂いの正体はシチューだった。
いつも食べていたような黄色がかった見た目ではない。
乳白色に大きめの肉や野菜が浮かんでいる。
テーブルにつくと、男は飾ってあるモンスターの頭を指差した。
このシチューはそのモンスターの肉ということだろうか。
俺の命を一方的に奪える存在が俺に食べられるというのはなんとも皮肉な話だ。
いただきますの動作をして、口に運ぶ。よく煮込まれていて、口の中に入れた瞬間肉がとろけた。
何これ美味い。思わず口がほころぶ。
「うわっ、これ、凄い美味しいです!」
伝わらないのを承知で言葉を発した。
言葉は伝わらなくとも意図は伝わったのだろう、夫妻はどちらもニッコリと笑うと、どんどんお食べ、という風にスプーンでかき込むジェスチャーをする。
お言葉に甘え、遠慮せずにがっつくことにした。
食事が終わり、せめて洗い物の手伝いくらいはすることにした。
別に構わないという素振りをされたが、命を助けてもらった上にここまで世話になりっぱなしというのも気が引ける。
桶に溜めてあった水で食器を洗い流し、一通り洗い物を済ませたところで戻るよう促された。
藁のベッドに戻り、体を預ける。
目を閉じて、今日起こったことについて考えを巡らせることにした。
だが、考えても何がどうなっているのか全くわからない。
気づいたら女の体で森の奥にいたこと。
出会った人とは言葉が通じなかったこと。
いくら小さな土地とは言え、車の一台も通っていないこと。
今日遭った全てが現代の常識からかけ離れている。
例えここがどこか知らない外国の奥地だとしても
あんな大きなモンスターなんて知らないし、そもそも車の一台も通ってないなんてことが有りうるだろうか。
分からないことはどうしようもないので一旦横に置いておき、それよりも自分が住んでいたはずの世界を思い出そうとした。
そこで気づく。
自分のことを思い出せないことに。
正確に言えば、現代社会に過ごしていたことは覚えているのだが、自分の名前や、どういう経緯でこうなったのかがすっぽりと抜け落ちているのだ。
何か足場のない、不安定な感覚に陥る。
だが、それ以上考えるよりも前、どっとくる疲労が思考を放棄させた。
(ま、いいか。明日から考えよう……)
そう決意するかしないかのうちに、意識は深く沈んでいく。
体を揺すられて目が醒めた。
起こしたのは女性のようだ。亜麻色の髪は結んでおらず、ストレートに流している。
寝ぼけまなこで藁のベッドから降りる。
女性に肩を押されつつ家から出た。
外にはまだ朝もやが立ち込めている。
普段なら余裕で夢の中にいる時間帯。なるほど、道理で眠いわけだ。
そのまま村から離れ、川沿いまで歩を進める。
替えの服を持っている辺り、恐らく水浴びをするのだろう。女性はおもむろに服を脱ぎ始めた。
むき出しの肌は……いや、これ以上の叙述はやめておこう。
川の水は冷たかったとだけ伝えておく。
水浴びを済ませ、ボロのマントから民族的な衣装に着替えたところで家に戻る。
男は既に起きており、布で矢尻を磨いていた。
ぺこりと挨拶。
それから、3人で昨日のシチューの残りを食べた。
1日置いても、モンスターの肉は相変わらず柔らかくて美味い。
お腹一杯になるまでご馳走になった。
食事が終わった後、男が着いてこいとジェスチャーをする。
再度家を出て、村の広場を通る。
昨日来た街道から脇道に逸れ、道なき道を進んだ。
自分の身長ほどある草が生い茂る中をかき分けていく。
周囲の状況が分からないため、今どこに向かって歩いているのか見当もつかない。
だが、男は迷う素振りも見せずぐいぐいと先に進んでいく。
はぐれたら一巻の終わりだ。必死に後を追った。
1時間程歩いたところで、急に開けた土地に出る。
森からも草々からも分かたれた、境界線のような場所。
だが、そこには家が一軒あるだけだった。
小ぢんまりとした家だが、それに不釣合いな程大きい、鉄で出来た門扉の荘厳さに目を惹かれる。
男と共にその前に立つと、何をするでもなく、一人でに扉が開いた。