後悔する選択
凄まじい強さを誇った黒の凶犬を退け、どうにか第五層目に到達した俺たちプレイヤーは、いつものように酒場でどんちゃん騒ぎをした後、各自散開した。
二次会に行く猛者もいたようだが、俺はそこまでの体力は無い。あったとしても行くのはごめんだが。
ちなみに、リヒトとテラコッタは参加しに行った。酔い潰れて帰って来れなくなる未来が見えるが、そうなったらそうなっただ。俺には関係無い。
時刻は八時三九分。寝るにはまだ少し早いし、何かをするには遅い時間だ。
じっとりとした夜の街を歩く。暑いといえば暑いが、クーラードリンクを飲むほどじゃない。余計な出費を抑えるためにも、滲む汗を拭って目的もなくふらふらとさまよう。
さてどうするかと適当に周りを見渡していると、見知った顔が店を閉めている姿が見えた。
丁度いいので声を掛けることにする。
「おーい」
「ん? ――ああ、誰かと思えばソルさんじゃないですか。お久しぶりです」
「ああ、久しぶり。あの時はどうも」
赤いワンピースタイプの服に白いエプロン。短かく切りそろえられた赤い髪には、同じく白いフリルのカチューシャ。袖や裾にもフリルをつけた、いわゆるメイド服を身につけたヒイロという少女。これが店の制服らしい。
店を閉めてるのにまだ着ているのは気に入っているからだろうか。似合ってはいるが。
……微妙にテラコッタのとこの制服と被ってる気がするが、似たようなデザインなんかいくらでもあるしな。仕方ないと割り切ってもらおう。そもそも店の方向性が違うし、競合することもないだろう。
正確な歳はわからないが――別に興味もないから聞かないが――物腰とかから察するに多分俺より少し上ぐらい。
本当なら敬語を使うべきなのだろうが、向こうが敬語じゃなくていいって言ってたから別にいいだろう。本人はクセかなんかで崩れ気味の敬語を使ってるけど。
そんな彼女は戦線には出ないものの、数々のプレイヤーのやる気をブーストする要員の一つとなり得る『食』を提供する店、その中でも洋菓子店を経営する――といってもお金の関係でまだ仮ではあるが――オーナーである。
以前にスペードたちと少々いざこざが起きた時に、機嫌を直してもらおうという打算も含めて、ヒイロの店でケーキを買っていった時から知り合った。
曰く、『トッププレイヤーとコネがあると色々と便利だから』という理由でフレンド登録もしている。
俺自身もこの店の洋菓子は結構気に入っているので、少々値は張るものの可能な範囲でこの店を利用している。
『料理』スキルを取ったプレイヤーの作る食べ物は店売りのものよりも美味しくできあがることが多いため、こういったプレイヤーの店を利用する客は多い。
金に余裕があれば利用させてもらっているのだが、そろそろ新しい防具やらを新調したいところだし、しばらくは見送りだ。
「どうしました、こんな時間に。お店はもう閉めちゃいましたよ?」
「いや、別に用はないけど見かけたからな」
「ナンパですか?」
「違うわ」
即座に真顔で否定してやると、口元に手を当ててくすくすと笑うヒイロ。料理の腕はいいのだが――どうせスキルで全部オートだが――俺はこいつが少し苦手だ。何か全てを見透かされているような感じがしてな……。
「まあ冗談はさておき、一人なんですね、珍しい。彼女さんに振られました?」
「最近言われたような気がするな、そのセリフ……。彼女じゃねえよ。ただの幼馴染だって」
というか冗談さておいてねえし、という言葉は呑み込んだ。下手に喋ると勝手にペラペラ喋りだしそうだ。
と、そんな風に返すと今度は冗談抜きに意外そうな顔をして、
「え……彼女じゃないんですか……? 嘘でしょ……あんな仲良さそうなのに……?」
「何をどう見たらそう見えるんだよ……」
「どっからどー見てもそう見えますが……」
そうか、こいつの中では罵倒される=仲がいいなのか……。
確かにある意味仲がいいと取れることもあるが、あいつの場合そういう感じはしないしな……。信頼関係はあるが、恋愛感情とかそういうのはないと思う。
ヒイロはヒイロで『いやいやありえないでしょ……あんなにくっついてるのに幼馴染で済ませるなんて……』とか言ってるが聞こえてるからな。引きこもりの聞き耳スキル舐めんな。
そしてにても、女というのはどうしてこうも、なんでも色恋沙汰にしたがるのか……。サクヤも表に出してないだけで興味はあるのだろうか……。
俺の視線に気づいたのか、ハッとして顔を上げるヒイロ。しかし疑念は依然として残ったままのようで、ジト目目でこちらを見てくる。
「……ホントに付き合ってないんですか? あんな美人さんで、しかもいつも一緒にいるのに? 手ぇ出してない方がおかしいですって。もしかしてゲ――」
「違うわ」
「じゃ、Eディ――」
「それも違う!」
不本意過ぎるレッテルを貼られる前に食い気味に否定する。言葉による否定がどこまで通用するかわからないが、何もしないよりはずっといいはず。
というか、仮にそんな噂が流れ始めたら俺はもう外へ出歩けない。むしろ死ぬ。自殺する。
……まあ、そういう疑いをかけられるのも仕方ないと言えば仕方ない。サクヤはそれだけの外観を持っているのだから。中身? 腐ってんじゃねえの? そうでなくとも真っ黒なのは確かだろうよ。
「……はぁ……あのな、俺はあいつに下僕扱いされてるんだよ。そんなやつが俺に好意を抱くと思うか? 便利だから近くに置いてるだけだよ」
「……ふーん。まあ、気づいてないのか気づかないようにしてるのか、はたまた気づいてて無視してるのかは知りませんけど、なるべく後悔はしないようにした方がいいですよ? こんな世界になりましたし」
まるで何もかもを知っているような口振り。それにどこか苛立ちを感じて、俺の言葉に冷たさが宿る。
「……何の話だ」
「別にぃ? ただ、言わなきゃ後悔することもあるってことですよ。ま、全部マンガか何かの受け売りですけど」
この話は終わりにしましょう、と手を打つヒイロ。いや、終わりにするも何もお前から始めた会話だけどな、これ。
……まあ、多少思うところがないでもない。
確かにこんな世界になってしまった以上、記憶を無くしてジ・エンドよりも、伝えられるうちに伝えておいた方がいいというのはわかる。
ただ、伝えてどうするのかという話だ。
俺がサクヤを守ろうとする意思を伝えろというのか? 違う。そんなことをヒイロは言っていない。
多分、『好きなら好きと伝えなさい』と言っているのだろう。
サクヤがどうかは知らないが、俺自身はサクヤに好意らしきものを持っている。それが恋愛感情なのかどうかはわからないが、まあ、好きであることには変わりない。
だが、そんな中途半端な感情を伝えることに意味があるのかどうか。
仮に、ただ漠然と『好き』だと言ったところで、『あっそ。で?』と返されるのが目に見えている。
別に現状で何も不便を感じていない以上、余計な変化を起こすのはやめた方がいいだろう。それで連携が乱れでもしたら最悪だ。
一つため息をつく。
しょうもない感情に振り回されるのはたくさんだ。まずはゲームクリア、塔の最上階まで登ることを第一に考えなければ。――いや、第一は自分たちの命か。だったら第二だ。
指を振ってウィンドウを開く。装備欄から使っていない、あるいは使わない装備を四つオブジェクト化して、ヒイロの顔面に投げつける。
「ぶっ!」
「くだらない話のお礼だ、バカ野郎」
「女の子に向かって、しかも顔に物を投げつけますかあなたは――わお、レア装備♪」
第五層の探索中に見つけたはいいが、俺には使えない武器を渡しておく。サクヤたちなら使える物もあるが、既にこれ以上に強い装備を持っているし、いくつか渡したところで別段文句も言われないだろう。万が一の時は『ボランティア』で押し切る。
「それで菓子の材料でも集めとけ。死亡率は多少減るだろうし、ステータス次第で最前線まで行けるだろ。逃げの一手に限定すりればだけどな」
「恩に着ます。で、どっか行くんですか?」
「ああ。暇つぶしはできたし、これから狩りにでも行こうかと思ってな。経験値稼ぎだ」
敵の質が上がる時間帯ではあるが、その分見返りも多い。『陽光の森林』にでも行って――今は月光の森林とでも呼ぶべきだが――熟練度上げも兼ねたいところだ。
ドロップアイテムにも期待がかかるが、これはおまけ程度に思っておいた方がいい。あまり高くを望みすぎると、落差が大きかった時にきついからな。
「そうですか。なら私も一緒に、と言われたいところでしょうが」
「別に言われたくねえよ」
「私は夜のフィールドには出たくないですねー。スライムですら結構強くなってますし、何より凶暴ですし」
俺の突っ込みをさらりとスルーし、話を進める。なんか俺が振られた感じになってるじゃねえかオイ。
ともあれ、俺としてもそっちの方が助かる。
夜のフィールドのモンスターはかなり強いし――夜と認識されるのが七時で、だいたいレベルが三ぐらい上乗せされる――中途半端なやつを連れて行っても、正直なところ『足手まとい』だ。
少なくともヒイロは戦いに向いたプレイヤーじゃない。戦力的にも、性格的にも。
「無理に来なくていいよ。元々ソロでやるつもりだったし、もしも周りに人がいたらそこで野良パーティでも組むさ」
いないならいないで最高効率のソロプレイ。いたら安心安定のパーティプレイ。どっちに転んでも損はないし、長居するつもりもないから適当にやって退散する予定だ。
「そうですか。まあ死なないように頑張ってください。たまに材料採取の依頼とか出しますので、その時は頼みます」
「人を便利屋扱いすんなよ……まあ考えとく。じゃあな」
依頼作成画面から内容と報酬を設定して、適当に掲示板に貼り出すという方法があるものの、報酬次第で受けられるかどうかが変動するため、結果的に直接依頼する方が確実だったりする。
ヒイロは後者を取ったのだろう。報酬の意味でも、実力判断の意味でも、直接依頼の方が都合がいい。
ニコニコして手を振るヒイロに別れを告げてフィールドへ向かう。
この時間帯のあのフィールドなら、ダークウルフあたりが経験値効率がよかったはず。
攻撃力が高くてHPが低いのが特徴だから、注意さえしていれば短時間で回せる。モンスターのポップ量を多くする『興奮香』があればさらに効率アップだ。死ぬ可能性も高くなるが、まあ大丈夫だろう。
腰の剣の耐久値を確認し、あまり遅くはならないようにしようと考えて街の境界を踏み越えた。
この森ではいろいろな物が採取できる。
それは木の実であったり、クモの糸であったり、たまにモンスターの素材であったり。とにかくいろんな物が採れるのだ。
昼間は採取目的の人が集まって賑やかなこの森も、夜になれば静かなものだ。
夜の森は薄暗いなんてものじゃなく、まさに闇があたりを侵食しているような世界だった。
申し訳程度に月の光が差し込んできてはいるものの、それだって視界を良くするほどの光源にはならない。
夜特有のSEである獣の唸り声、ところどころで一瞬見える小さな光。これは多分フクロウの目だ。
足を踏み出せば小枝を割る音が五月蝿いぐらいに響き、必要以上に精神を摩耗させる。
視界が制限された状態、敵が強くなっているという緊張、さらには援護が期待できないソロプレイ。
これだけ条件が揃っていれば、いくらなんでもさすがに警戒心も強くなる。
ともあれ『観測者』のスキル、『索敵』を発動する。熟練度が五〇〇になり、最近取得できたスキルだ。
起動アクションは意識を周りに向けること。立ち止まって集中する必要はあるが、見えていない範囲の敵味方でも感知できる。その範囲、半径三〇メートル。
プレイヤーが相手の場合は『隠密』スキルが高いと効果が薄まるが、それでも便利なスキルである。
索敵で確認できた敵の数は三。プレイヤーは近くにはいない。
襲ってくるような素振りはないが――いや、囲まれているし、多分このままだと一斉にかかってくる。
同時にかかられると面倒極まりないので、剣を抜きながら反応があった方向へ駆ける。
位置さえわかっているなら、そっちへ走ればいいだけだ。後はいつもと同じように狩るだけ。
闇の奥から四足歩行の獣の姿が浮かび上がる。
高さが八〇センチの黒い狼といった風貌の『ダークウルフ』が、こちらの接近に気づいて短く吠えた。音を殺して歩くのをやめ、鋭い牙を剥き出しにして襲いかかってくる。
口を大きく開いて噛みつき攻撃を放ってくるダークウルフ。それを剣で受け止め、流しながら、がら空きの首元に一閃する。
刃は何の抵抗もなく沈んでいき、刀身が一瞬きらめいてクリティカルエフェクトを放ちながら、ダークウルフのHPをゼロにした。
次いで、声に気づいた二匹が遅れてやってくる。仲間が消えていったことに憤慨した――かどうかは定かではないが、少なくとも友好的でないのは確かだ。
二匹が交差しながら、撹乱するように動き回り、そして爪の連撃を放ってくる。
後ろに下がりつつ勢いを殺して攻撃を防いでいく。まともに受ければ力の差で吹き飛ばされる。二体同時に相手取っている時にそれは避けたい。
直接受け止めるのではなく流すようにして爪を捌き、どこかに隙はないかと目を光らせる。
そしてその時は来た。
ダークウルフたちの腕が同時に上がった瞬間、その爪が振り下ろされる前に、脚に力を込めて大地を蹴り飛ばす。
すり抜けざまに一閃。
急所を斬り裂く『ストリーム』の一振りは、ダークウルフたちを容易くポリゴンの欠片に変じさせる威力を持っていた。
かしゃんと儚い音の残響の幻聴を聞きながら、血振りの動作をした後、剣を鞘に納める。
夜の森で行われた戦闘はほんの数分で幕を閉じ、再び辺りを静寂で満たした。
さあっと風が木々を揺らす。さっきの戦闘で熱を持った身体には心地いい風だ。
敵性モンスターがいるという安全とは離れた場所でも、安らぎはあるのだと少し思う。
近くにある木に寄りかかって、しばらく風に当たる。
ひらひらと舞い落ちる木の葉を手に乗せ、くしゃりと握る。
――やっぱ、リアルだな。
改めてそう思う。風の感触、木の葉の動き、背中に感じる圧迫感。その全てが現実にいた時となんら変わらない。あまりにもリアル過ぎて、ここがゲームの中だということを忘れてしまいそうになるレベルだ。
だが、それでもやはり決定的に違うものがある。
剣や鎧は現実では使わない。攻撃力や防御力なんてものはありはしない。俺みたいなガキでもオリンピック選手さながらの速度が出せるなんて馬鹿げてる。
何より――人の命は数値に表されない。
全てが規定されている。気温も、天候も、人の動きでさえも。全てはこの世界のシステムが電子的なデータで算出した計算の結果でしかない。
視界端に映る緑のHPゲージが、否応なしにここが現実ではないと突きつけてくる。
いっそ忘れられたらどんなに楽になるだろうか。全てを忘れて、何にも怯えずにここで暮らして――いや、住むことができれば、きっとこんな鬱屈した気分に駆られることも無くなるのだろう。
しかしそれは許されない。そして自分でそれを許す気もない。俺は必ずサクヤを現実に還さなくてはならないのだ。
あんな思いはもうたくさんだ。もう二度とサクヤを危険な目に遭わせたくない。悲しませたくない。例え俺がどうなろうとも。
目を閉じ考える。
本当ならボス戦にサクヤを参加させるのもあまり気は進まない。
しかしサクヤはそれを望んでいる。ならば俺はそれに反対する資格はない。俺個人の意見でサクヤをどうこうすることは許していないのだから。
それに結果として、参加してくれていた方が攻略も早く進むのだ。他のプレイヤーの士気を下げないためにも、今更『退がれ』なんて言えるはずもない。
現状維持が一番なのだ、今のところは。
サクヤを早く現実に還すために、サクヤを危険な戦場に出さなくてはいけないというジレンマ。
どうにもできないし、どうにもならないのなら、このまま進むのが一番なのだろう。
目を開ける。
木の葉が一枚ひらひらと舞い落ちる。
狙いを定めて剣を抜く。
ヒュアッ、と乾いた風切り音が鳴り、風に煽られて落ち葉が不規則に揺れた。
しかし葉を断つことはできず、そのままの形でひらひらと地面に落ちる。
俺は武道の達人じゃない。だからこの結果は当然のことだと言える。
それでも――やはり正確な狙いというのは重宝する。
動き回る敵を相手に、冷静に、正確に弱所を突くことができればそれは大きな武器となる。
力のない俺でも大きな戦力になれるのだ。その効果たるや絶大である。
これからはより速く、より複雑な動きをするモンスターが出るだろう。
それらに対抗できるようにならなければ、俺のここでの存在価値はない。
攻撃の一つもしてこない葉っぱ程度、的確に切り落とせなくてどうなるというのだ。
僅かな差が勝敗を分けることもある。ならば俺はその差を埋めなくてはならない。
サクヤのパートナーとして。この世界で生き残るために。
また目を閉じる。そして『索敵』。
南東の方角に二体モンスターが出現している。
ゆっくりと、動作の一つ一つを丁寧に立ち上がり、その方向に向き直る。
草葉を踏む音がだんだんと近づき、やがて姿の輪郭を認識できる距離に来る。
抜いた剣を正面で構えて、敵を屠るために俺は動いた。
もうどれくらい経っただろうか。
作業のように淡々と狩るのをやめ、動きを洗練していくように意識しながら剣を振るう。
モンスターを倒した後も、演武のように動作をこなしていく。
右の踏み込み。そして縦に振り下ろす。繋いで横薙ぎ。交差させた軌跡の中心を狙うように、左脚で踏み込みながらの突き。
躱されたことを想定して前のめり気味に上半身を沈めて、前に飛んでいくのを抑えるために少し引きながら剣を放って地面に片手をつき、浮いた両脚で上段と下段に、放った剣を間にするように逆立ち回転二段蹴り。
着地と同時に跳ね上がる勢いで宙の剣を掴み取り、そのまま斬り上げた。
曲芸染みた動きだと自分でも思う。だがこの動きが一番読まれにくく、相手の虚をつけるのだ。
剣撃だけじゃなく、脚技も絡めた曲芸戦法。
身体能力にものを言わせて相手を翻弄する、まともではない戦法だ。
もちろん現実でこの動きをしろと言われてもできないが、この世界でならそれが可能になる。というよりは可能になるようにポイントを振っているというのが正しいか。
SPD極振りの俺なら脚技も立派な武器になる。剣を一時放るというのも、相手の意識をそちらに向けさせるという、一種の視線誘導の意味もある。
両手両脚全部を使った、魅せ技と断じられる程度の実用性の低いものを、俺なりに戦闘に組み込めるように開発した戦術はモンスター相手でもそれなりに通用する。最も効果が高いのは対人戦だが。
全てはサクヤを守るため。そのために自分はいる。そうでなければ俺はサクヤの傍にいられない。
本人が聞けば余計なお世話と怒るだろうが、俺にはこれしかないのだ。自分の罪を清算する方法がこれしか思いつかない。
結果的にサクヤに愛想を尽かされることになっても、こんな方法しか思いつけない自分が悪いと思う他ない。
だからせめてその時が来るまでは、あいつの役に立てるように。
俺はもう一度剣を振るった。
時間も十分に潰れた午後一〇時過ぎ。徒歩で街まで帰ってきても、酒場の方から馬鹿笑いが聞こえてきた。
武器屋や道具屋といった店は全て閉店しており、聞こえてくるのはかすかな騒ぎ声。
まだやっているのかと呆れながら、別世界のような夜の街並みを歩いて自分の宿屋へと向かう。
自分が使っている『カーナイルの宿屋』へとたどり着き、階段を登って自室の前まで行き、ドアノブを捻る。
明かりはついていない。もう寝たのかと思いながら靴を脱いで部屋に入る。
ただいまという言葉が口をついて出た。それを特に意識することもないまま、ウィンドウを操作して部屋着に着替えて寝室に向かう。
「どこに行ってたの」
後ろから聞こえる声。振り返ると風呂にでも入っていたのか、首からタオルを下げたサクヤがいた。
服も既に白の上下に着替えており――キャミソール姿は流石に目に毒すぎたから適当なものを買った――長く艶やかな髪は濡れている。
声がやや不機嫌だ。俺が何かしたのだろうか。
「少し狩りに行ってたんだよ。心配することじゃない」
もしやと思い、心配させたのなら悪いと思って謝罪する。
しかしサクヤの怒りは別のところにあったようだ。ずいと俺の前まで詰め寄り、不機嫌な双眸を向けてくる。その距離、わずか三〇センチ。
「あんたが勝手に私から離れたことを言ってんのよ、このバカが」
怒っているのはわかる。この状況も理解している。
しかし鼻腔をくすぐる甘い香りが俺の思考を乱してくる。女性特有の匂いなのか、それともシャンプーなのか。
それを抜きにしても、ほぼ目の前で女の子の顔がある状況というのは、男としてはなかなかに戸惑う。
背が低いこともあって、上目遣いに見つめてくるサクヤは、正直に言ってかなり可愛い。
気恥ずかしさとサクヤの勢いに気圧されて一歩下がる。
対してサクヤが一歩、近づく。
「あんたは私の下僕なの。勝手な行動は許さないわ」
さらに一歩。
「あたしと別れた後、何してたの? てっきりテラコッタたちを連れ帰るために残ったものだと思ってたのに、ソナに聞いてみればあんたはいないって言うし。またどこかの女の子と逢い引きでもしてたのかしら」
じりじりと距離を詰めてくるサクヤに後退る俺。
そして、足がもつれた。
バランスを崩して後ろに倒れ込むと、柔らかい感触。
決してサクヤの胸とか、そんなのじゃない。ただの布団だ。サクヤが先に敷いていたものだろう。ただ、ある意味それよりも問題な状態になっている。
俺は足がもつれて後ろに倒れ込んだ。のしかかられた時に少々の痛みはあったがそれは別にいい。それよりも、俺が倒れた拍子にサクヤもつられて倒れ込んだのが問題だ。
自然、現在の状況はサクヤが俺を押し倒したように見えることになる。
誰かに見られる心配はない――と思う。部屋主である俺とサクヤしかこの部屋を開けることはできないし、唯一の例外である宿主も、この時間帯にわざわざ部屋を開けて回ることもないからだ。
だからよくあるマンガやアニメのように誰かに見られて誤解を招く、なんて状況には陥らないのだが。
如何せん俺の精神的によろしくない。何が楽しくて女の子に押し倒されなければならないのだ。
濡れた髪が俺の顔にかかる。吸い込まれそうな黒い瞳が俺を覗く。
「……退いてもらえるか」
「あら、どうして? こんな美人に押し倒されるなんてなかなか経験できないわよ」
「自分で言うか。いいから退いてくれ」
「じゃあ何してたか言うのね」
何だこの捨て身の尋問は。下手したら立場が逆転するんだぞ。
信用と言えば聞こえはいいが、単に無防備なだけな気がする。……まあ、話して都合の悪い事でもなし、素直に白状しよう。
「……別に大したことはやってない。『陽光の森林』で暇つぶしに狩りをやってただけだ。それだけだよ」
「それだけ?」
「ああ――いや、そういえばヒイロとも少し話したな」
「ヒイロ……って、あの洋菓子店の子ね。何を話したのよ」
ヒイロのことを言ってから少しやばいと思ったが、幸いそれに突っ込まれることはなかった。
話か。何を話したってそれは――
「いや、ただの世間話だ。それより寝るんじゃないのか?」
「……ええ、そうね。髪乾かしてくるわ」
不承不承といった様子ながらも、どうにか納得してくれたようだ。
ゆったりとした動きで立ち上がり脱衣所へと向かうサクヤの後ろ姿を見送る。
脳裏に浮かぶのはヒイロとの会話。
『言わなきゃ後悔することもあるってことですよ』
――煩いな、クソ。
頭をガシガシと掻きながら心の中で吐き捨てる。
わかってるよ、そういうことがあることぐらいは。だが言ってどうなる。この世界から脱出できるのか? ただ相手を困らせるだけではないのか?
どうでもいいのだ、俺の想いなど。
ただ一つ、『サクヤを守る』という芯があればそれでいい。それでいいのだ。
 




