九条麻衣子は満たされない
九条麻衣子シリーズ番外編
九条麻衣子と一ノ宮晴人のそのあと。
※イかれた登場人物です。そういうのが嫌いな方には保証できません。読むのをおやめください。
九条麻衣子は満たされない。ただ純粋に渇望する。
知識を。
経験を。
それを超越した何かを。
そしていつも、気付くのだ。
自分は、ひとりなのだと。
***
何処も彼処も、道を歩けばカップルばかり。
しかし一番不可解なのは、その中にわたしが入っていることよね。
麻衣子は思わず、心中でそうぼやいた。
麻衣子は今、何故かリムジンに乗っていた。しかも一人ではない。二人で。
こう言うのはどうかとは思うが、麻衣子はリムジンで通学するような趣味もなければ、ましてや男女でリムジンに乗るようなことはない。
「……それで、一ノ宮様。どこへ向かわれるのですか?」
そう。だから、ましてや眼前のこの男。一ノ宮晴人と一緒にリムジンに乗るなど、本来なら天と地がひっくり返ってもあり得ない話だった。
ああ、もう、本当に面倒臭い。
目が合うたびににっこりと笑い合うこの関係は、一体なんなのだろうか。麻衣子はひっそりとため息を吐き出す。まるで恋人のようだと思いたくないが、思ってしまった。
「それは、着いてからのお楽しみということで」
ああ、本当に、この男は。
鬱陶しいことこの上ない。
あの事件以来、こうして晴人は何かにつけて麻衣子を連れ出すようになったのだ。
確かにあの日、お友だちから、と言った覚えはあるが、彼の耳には恋人として、という言葉にでも変換されたのだろうか。
もしそうなら、今すぐ耳鼻科に行くことをお勧めしたいわね。
しかしいくら内心で毒を吐き続けたところで、麻衣子の胸のわだかまりが取れるわけではない。寧ろ深まる一方だ。嫌な感じの男だと、麻衣子は改めて実感した。
まぁ、わたしのようなイカれた女を好きだなんて言ってる時点で、正常とは程遠いのでしょうけど。
息を吐き出し、外を見て。麻衣子はふと気付く。
今日は確か、 わたしの誕生日だったのではないかしら?
そして今日、連れ出されたわけを知る。
「……わたくしの誕生日祝いだなんて、洒落ていますわね」
嫌みのつもりだった。どこでどう知ったんだ、という意味での嫌みと、笑止の意味での嫌み。家でだって最近は、こんなふうに祝われたことはない。
しかし晴人は、本当に嬉しそうな笑みを浮かべて言った。
「気付いてくださいましたか。ええ、今回は力を入れました。麻衣子が生まれてきてくれた日ですからね」
胸の内に、さらなるとぐろが巻き始めた。
それに対しそっぽを向いた麻衣子に、晴人はなお続ける。
「誕生日おめでとうございます、麻衣子。生まれてきてくれてありがとう」
麻衣子に向かってそんなことを恥ずかしげもなく言えるのは、後にも先にも晴人だけだろう。
麻衣子はガラス越しに、人混みの中をぼんやりと眺めていた。
「……一ノ宮様、これは一体……」
制服のままディナーにでも行くのかと思っていた麻衣子は拍子抜けしてしまった。寧ろどうしてこうなったのだと声を大にして言いたい。
「お似合いですわ、九条様」
女店長が満足そうに微笑む。
そして麻衣子の姿を見た晴人も、とても嬉しそうに微笑んでいた。
「綺麗ですよ、麻衣子」
麻衣子の顔がわずかに歪む。
麻衣子は今、紫のドレスに身を包んでいた。パーティードレスだ。襟ぐりの開いた、花柄のレースが印象的なAラインのドレス。ふんわりとしたパニエが柔らかさを出している。
髪もいじられ、編み込みが施されている。赤い薔薇が一輪、髪を彩っていた。今の麻衣子は、見た目だけなら深窓の令嬢だ。
サイズはもちろんぴったりだ。
当たり前よ。だってこの店は、わたしの行きつけだもの。
わざわざこの店を選んだのはそれが理由だろう。本当に憎らしい、食えない男だ。
その一方で晴人も、制服からスーツへと着替えていた。
落ち着いたベージュのディレクターズスーツだ。その身目に、数名の店員がやられている。晴人が着ると何もかもが王子様然として見えるから不思議だ。
麻衣子は最後に女店長から黒のショールを着せてもらい、店を後にする。
「お手をどうぞ、お姫様?」
「……」
麻衣子は無言で、その手を取った。
本当にこの男は、何を考えているのだろうか。
麻衣子はエスコートをされながら思う。二人がついたのは、一つ星レストランとして有名なホテルだ。
中に入れば既に予約がとってあったらしい。直ぐに席へと案内される。
席についたとたん、麻衣子はにこやかな笑みで言う。
「一ノ宮様も懲りない人ですわね」
「ふふ、麻衣子から肯定の言葉が返ってくるまでは、僕は何度でも貴女を誘い続けますよ」
イかれてる人ですね、と麻衣子。
貴女ほどではありませんよ、と晴人。
なんともいえない、刺々しい会話だった。殺伐としている。
そんな中、ウェイターが飲み物を置きにきた。さすがプロ、と言ったところか。その対応はスマート。笑顔とともに来て笑顔とともに去る、というなんとも言えない様をしていた。
すると晴人が言う。
「それで、いつになったら色良い返事がもらえるのでしょうか?」
「さて……ああ、それならば、わたくしの両親に打診をかけてみてはいかがでしょう? きっと泣いて喜びますわ」
「それでは意味がないですので」
麻衣子の笑みが深まる。
「麻衣子が僕の言葉を聞いて返事をしてくださらなければ、何も嬉しくありません」
「そうですの……じゃあ、もし、わたくしたちが付き合うことになりましたら……一ノ宮様は何をしてくださいます?」
意地悪く、麻衣子はそう問うた。
刺激の何もない人生などつまらないことこの上ない。人生というのは、盛り上がるからこそ楽しいのだ。花火のように美しく燃え上がり、そして消えてしまう。麻衣子はそんな呆気ない人生を望んでいた。
イかれている、とよく言われる。しかし麻衣子自身はただ平和に過ごすだけの人生など嫌いだ。
ほんの少しの砂糖とスパイス。その絶妙な境界が楽しい。
しかし、晴人は笑みを浮かべながら言った。
「そうですね……貴女と結婚した日には、他の女性と浮気でもしましょうか」
「……あら。素敵」
浮気。なんとも胸踊る言葉だ。
「そして浮気相手の女が貴女を殺しにいく」
「そこまで考えていらっしゃるの?」
「ええ。そして殺される前に、僕が貴女のことを助けに行く……」
「……ふふふ。一ノ宮様ったら、いつか女の方に刺されますわよ?」
「それが貴女なら、本望なのですが」
ふふふ、と麻衣子は笑う。嗤う。おかしくて堪らない。ここまで狂った思考回路を持った相手と対面するのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「本当に酷い方」
「嫌いではないでしょう?」
「どうかしら」
そうこうしているうちに、料理が運ばれてくる。
前菜に手を出しながら、麻衣子はなら、と言葉を繋げた。
「貴方は、私に何を求めますの?」
「それを聞きますか?」
「勿論。見返りがない愛だなんて、つまらないと思いません?」
首を傾け、問う。すると晴人は苦笑した。
「僕は、貴女からの愛があれば何も入りませんよ」
「……嘘。そんなものは認めませんわ」
ナイフとフォークを巧みに使い、麻衣子は料理を口に運ぶ。
「愛なんて、所詮はまやかし。わたくしだけの愛があればいいだなんて、わたくしは認めません」
「手厳しいですね」
「だって、わたくし、今まで誰も愛したこと、ありませんもの」
そのとき、麻衣子は初めて、晴人の顔から動揺が浮かぶのを見た。
あら、珍しいこと。
その顔を見て、思わず笑みが浮かぶ。なんともしてやった気分、と言えばいいのだろうか。
「もし貴方は、わたくしが誰かを愛したら死ぬ、と。そう言ったらどうします?」
「……そうですね」
ああ、ああ。なんて、なんて愉快。
この男のこんな顔を見るときが来るなんて。
フォークとナイフを置き、ナプキンで口を拭う。
しかしそれと同時に、つきりと胸の奥が刺さるような感覚を感じた。
この感覚は、不愉快だ。
苦しいのも悲しいのも辛いのも、麻衣子は楽しくない。
愛はいつだって苦い。人の不幸はいつだって甘い。
だから愛なんて欲しくない。欲しいのは、本当にギリギリの、研ぎ澄まされたリアルなスリルだ。
それっきり、晴人は口を開かなくなる。それを見て、麻衣子は落胆した。どうやらこの期待は、成就しないらしい。
それはそうだ。だって麻衣子は誰も理解しないし、誰にも理解されない。
ずっと昔から、ひとりきりだったのだから。
料理は次々に運ばれてきた。
そしてそれを、ただ黙々と食す時間。
胸の辺りがむかむかしてくる。高級な食材を使った最高の料理なのに、ろくな味もしない。それがさらに、麻衣子の胸を黒く染めていく。
なんてつまらない。
料理のコースはいよいよ、デザートへと移った。
そのときだ。麻衣子の目の前に、誕生日ケーキが置かれたのは。
「……これ、は」
麻衣子の顔に動揺が走る。ここまであからさまに動揺したのは、多分これが初めてだろう。
後にも先にもこれっきり。
「……言ったはずですよ、麻衣子。生まれてきてくれて、ありがとう、と」
慌てて顔をあげれば、そこには笑顔の晴人がいた。
「もし麻衣子が誰かを愛することによって死ぬなら、それでいい。毎日死にながら僕のそばにいてくれるなんて、なかなかイかれた人生だとは思いませんか?」
「……貴方、という人は……」
誰かを愛することによって死ぬ女。
はたまた、愛する人が死ぬのを、そばで幸せそうに笑っている男。
--はてさて、どちらが本当にイかれているのでしょう。
麻衣子は一口、ケーキを食べる。その味はケーキの甘さか、愛を知った喜びか。
麻衣子にとっては、どちらでも良かったけれど。
「……せいぜい、わたくしを飽きさせないよう、殺し続けてくださいね? 晴人様?」
麻衣子は最後の足掻きとして、そうぼやいた。
九条麻衣子は満たされない。
彼女が愛で満たされるとき。それは。
死ぬときだけなのだから。