プロローグ
プロローグ
「聖なる刻印をその身に宿した勇者が現れた。
その者を見つけだし、共に魔王の討伐にむかえ」
それが主君である国王から近衛騎士団団長レミリアに下された命令だった。
どうやら中央教会に属する聖女が勇者に関する神託を受けたらしい。
「はッ! 我が身命に懸けて必ずや!」
この任務を仰せつかったとき、レミリアの胸は震えた。
その感動は、女の身でありながら近衛騎士団の団長に任命されたときよりも遥かに大きいものだった。
当初、レミリアは勇者を探し出すことに関しては簡単なものだと考えていた。
勇者に選ばれた人物がすぐに名乗りでるだろうと思っていたからだ。
しかし、勇者はいっこうに現れなかった。
それでもレミリアは聖女の神託を疑うことはなかった。
聖女の神託には今までに数えきれないほどの実績があるし、そもそも聖女の神託を疑うということは、それを信じた主君のことも疑うということであるからだ。
それは騎士の誇りを重んじるレミリアには受け入れられない行為だ。
もしや、すでに魔王討伐に向かったのではないか?
そう思ったレミリアは、すぐさま魔物が跋扈する土地に隣接している街であるブルグにむかった。
レミリアはその街に着いた日から情報収集を行ったが、なかなかめぼしい情報は手に入らなかった。
やはり魔王討伐にむかったのだろうか。
そう思い始めた矢先、右手に刻印を持つ男がいるという噂を聞き、その男の住居を訪ねた。
そして――
「勇者様っ! 力をお貸しください、勇者様!」
レミリアは勇者と呼ばれるべき男にそう懇願した。
そして「任せておけッ!」という力強い言葉を期待した。
しかし、返答は残酷だった。
というかひどかった。
「いやだよ、めんどい」
「なぁっ!? あなたはそれでも勇者ですか!」
「いや、知らないよ…。
あんたらがオレのことを勇者、勇者って勝手に呼んでるだけだろ。
しょ~じき迷惑なんだけど。
オレは勇者になった憶えはないし、これからもなる予定はない」
右手の刻印を迷惑そうに見ながら彼は言う。
「あなたという人はっ!
あなたは勇者の証として聖なる刻印をお持ちのはずです。
それを持つ人間は人類の為に戦う義務があるんですっ。
そもそも魔王を討つためにこの街に来たんじゃないんですか!?」
そう、魔王がいると言われている城にむかうにはこの街を通らなければならない筈だ。
「いや、違うよ。オレは元々この街にいたんだ」
「そ、それはともかく…我々と共に魔王討伐にむかいましょう!」
「それがいやなんだって。
山を登ったり、砂漠を渡ったりしなきゃなんないし……。
魔王の城まで遠すぎるよ。
だからさ、魔王をここまで連れてきてよ。
そしたら倒すから」
レミリアは勇者の発言に頭が痛くなった。
「私たちにそのような力はありませんっ。
魔王に唯一対抗できるのは、勇者であるあなた様ただお一人なんです!」
そして痛む頭を押さえつつ、辛抱強く説得を続けた。
「ん~じゃあ魔王がここまで来るのをのんびり待つよ。
それでいいだろ?」
「ダメに決まっていますっ。
この街だって、いつ魔物の襲撃を受けるかわからないんですよ!?
これ以上、手をこまねいている場合ではありませんっ。
今すぐ魔王討伐に向かわないとッ!」
「それにオレが魔王の所に行ってる間に、むこうもこっちに向かってきて行き違いになったらどんすんのよ?
笑い話にもならないよ。
確実にエンカウントするためには、ここで待ってるほうがいいんだって」
「それも一つの手なのかもしれないが、受け身のままでいるのは危険です。
むこうが侵攻する準備が整う前にこちらから仕掛けたほうが良い」
「だから魔王のところまで行くのは、めいどいからいやだって言ってんじゃん」
結局、話は平行線のまま交わることはなかった。
「あ、そーだ」
「な、なんです?」
今までずっとだるそうな顔をしていた勇者が急に真面目な顔をした。
その引き締まった端正な顔立ちは勇者と呼ばれる者にふさわしいもので、レミリアは少しだけ見とれてしまった。
だがしかし。
「これから就職活動の面接に行かないとダメだから、そろそろ帰ってくれない?
も~いやだよね~。働かなくても生きていけたらいいのに…」
「……」
レミリアは開いた口が塞がらなかった。
こんな人が人類の希望である勇者であるはずがない。
あっていいわけがない。
第一、就職活動ってなんだ。
ほかにやるべきことがあるはずだ。
魔王を倒すとか、魔王を滅ぼすとか、魔王を討つとか。
この男は勇者ではない。
刻印のことも何かの間違いだ。
おそらく真の勇者が別に居るのだろう。
もう少し待っていれば本当の勇者が現れる筈だ。
そうであってほしい。
現実逃避しているような気がするが、そう思わないと正気を保っていられない。
もうこれ以上、この場に留まっていたくなかった。
「…迷惑をかけたな。これで失礼する」
いつの間にか、言葉づかいが変わっていた。
出ていく前にチラリと一瞥したが、出かける準備にとりかかっていてこちらを見向きもしなかった。
そしてこの男とは二度と会うことはないだろう、というか会いたくない、そう思いながら住居をあとにした。