第7話:残響の断罪と、浄化の完成
レオナールが引きずり出された後、帝宮のバルコニーに満ちたのは、
静謐な夜の香気だった。
ヴィクトールは私の背後から、温かな腕で私を包み込む。
彼の胸の鼓動が背中に伝わり、王国の毒々しい叫びで汚れかけた心が、
みるみるうちに凪いでいく。
「……怖くはなかったか、エルゼ。あのような狂態を見せられて」
「いいえ。ただ、悲しい人たちだと思いました。
自分たちを支えていた土台が何だったのか、崩れて初めて気づくなんて」
私が静かに答えると、ヴィクトールは私の肩に顔を埋め、深く息を吐いた。
「奴らは最後まで、君を『機能』としてしか見ていなかった。
君が、どれほどの痛みの中で微笑んでいたかを想像だにしない。
……それが、奴らの最大の罪だ」
その時、夜空の彼方、王国の方向から不気味な紫色の光が立ち昇るのが見えた。
それは、王宮に残された「業」の澱みが臨界点に達した証。
エドワード王子が、私のいなくなった聖域で禁忌の魔導具に手を出し、
無理やり「浄化」を試みた結果だろう。
だが、中身の伴わない浄化は、火に油を注ぐようなものだ。
遠く地響きのような音が、帝都の静寂を揺らす。
「……始まったか。エルゼ、君にはもう関係のないことだが、
見届ける権利はある」
ヴィクトールの差し出した手を取り、私は目を閉じて、
かつて自分が繋がっていた「王国の地脈」に意識を向けた。
七年間、血管のように私の身体と繋がっていたあの国の土地。
今、そこにはどす黒い感情と病魔が溢れ、
王宮の地下に閉じ込められたエドワード王子の絶叫が響き渡っている。
「エルゼ、戻れ! 戻って吸い取れ! この痛みを、この醜さを!
なぜお前だけが綺麗になっている! お前の肌は、
泥を啜るためにあったはずだ!」
意識の海に響く王子の声は、もはや人間のそれではなく、魔物の咆哮に近い。
かつて彼を愛し、その痛みをすべて自分のものとして引き受けてきた日々。
その記憶が、一瞬だけ胸を掠める。
けれど、今の私には、彼を救う義理も、
その汚泥に指を染める理由もなかった。
「……さようなら、エドワード様。あなたが望んだ通り、私はもう、
あなたの前には現れません」
私が心の中でそう告げた瞬間。
私と王国の間に残っていた最後の「細い糸」が、光の粒子となって霧散した。
身体が、さらに一段階軽くなる。
呪いを還すだけでなく、
呪いを受けていたという「記憶」さえもが浄化されていく感覚。
私の肌は、月光を反射して真珠のような光沢を放ち始めた。
背中には、目に見えるほど濃密な光の翼が揺らめいている。
【業の肩代わり】という呪縛から解き放たれ、本来の、いや、
それを遥かに超越した「真の聖女」としての覚醒。
「エルゼ……君は、本当に……」
ヴィクトールが、跪くようにして私の手を取った。
彼の黄金の瞳には、畏怖ではなく、深い愛情と誇らしさが満ちている。
「君の光は、もう誰にも奪わせない。明日、
あの国は自らの業に呑まれて歴史から消えるだろう。
だが、君はここで、新しい歴史を私と共に刻むのだ」
私は彼の手を強く握り返した。
王国の滅びは、私が下した罰ではない。彼らが自ら選んだ結果だ。
私はただ、自分の人生を取り戻したに過ぎない。
夜明けは近い。
積年の業を餞別として手放した私は、
愛する人の隣で新しい太陽を迎えようとしていた。




